まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

朝陽を浴びての骨ストレッチから

2018年08月12日 | Weblog

というのが、盆休み二日目の朝だ。

いつもとルーティンを変えてみた。

出がけに車中から、白い雲の縁を輝かせている太陽、見ちゃったからね。

そりゃ、最初にカラダと太陽の会話でしょ、ってなもんだ。

厳密には、その前に、ベランダの水遣り、だけど。

汗だくになってのワークは、気分がよくて、続いて。

ボール・ウォーキングをしていたら、屋上に白セキレイがやって来た。

珍しい。

しかも、こんな高いところで見ることもないからね。

歩きながら、山並みを眺め、そうか、わが、山の師匠は、この連休中、山に入っているんだな。

なんてこと、浮かんで来て、そういえば、山、登ってないな、と。

初めての山登り、その下山時の膝の痛みから、というのがそもそもの由来、それが骨ストレッチだった。

スクワットがいいですよ、みたいな話があって、筋トレ云々、から。

いやいや、外側の筋肉を鍛えるんでなく、内側の、骨に直結する筋肉をゆるめるんです。

というのが、骨ストレッチのコンセプトで、かれこれ、三年くらいになるのか。

今では、深部の筋肉を動かす日常生活、ってのを、手に入れつつあるので、食べることに。

つまり、ふっとっちゃうから食べられません、というストレスがなく。

なんでもどれだけでもいけちゃう、のだけれど、よくしたもので、そうなると。

カラダの求めに応じた供給、なんてことにもなってくるんだね。

お酒だけは、たまに、羽目を外す、というのが、これまた、ご愛嬌で、わがキャラクターだな。

ルーティンと英語で書いちゃうけど、習慣だよね。

習慣、おそるべし、ってわけで、潜在意識が勝手に動き出し、ほぼ、オートマチックなので。

わが意志を酷使する疲れ、ってのは、ないんだよね。

なので、この習慣の端っこに、ほんのちょっとしたこと、混ぜ込み、という作法が。

どうも、生きやすくするこつ、みたいなものだ、とおっしゃるのが。

このところ、ちょっとはまっている、占星学の女史の物言いで。

札幌のホロスコープの女史とは、また、別人なんだけどね。

あなたの能力の120%を出せる場を作るのが、僕の仕事です、とのたまっている社長としての僕。

なんだけどね、これ、十分に応用できるな、というのが、テーマです。

なにかを宣言すると、あらゆることが、そこをめがけて繋がってゆき。

ルフィーじゃないけど、ひと連なりの宝物としてのone piece、って具合で。

そこに実は豊かさが顕現しているんだけど、そこ、見落としちゃうんだよね、ことに。

それが、壁のように立ちはだかっている、なんて認識しちゃうとさ。

宣う、宜なるかな、の言葉があるように、言葉として宣言することが、大事なんだろうな。

そこへ陸続とツワモノどもが寄り集まり、って仕儀。

シンプルに書くと、宣言する、あとは、ゆっくりする、とでも書けるか。

大きな流れが、オートマチックに運んでくれる、あるいは、たゆたふ、でもいいか。

暗黒の中世、つまり、大きな神の仰せの通り、みたいな暮らしを強いられ、その反動として。

近世の、コギトエルゴスム、だっけ、我思うゆえに我あり、なんていう、無体なことになり。

アンチ、アンチ、と唱えることが、インテリの証、みたいな時代を経て。

さて、これからの時代は、というわけだ。

宜なるかな、とどれだけ大きなスケールで言うか、だな。

せごどんの大きくなる鐘、のイメージだ。

榛原郡には、大鐘家なんてオタクもあったね。

あの社長さんも、面白い御仁だけど、鐘庵ね、ってことはともかく。

大きく鐘を鳴らしましょうか。

その鐘を鳴らすのはあな〜た、って和田アキ子、歌ってたよね。

なんて書いてくると、志ん生の「火焔太鼓」思い出しちゃうけど。

だからあんたはバカだ、って言うんだよ、そんな汚い太鼓、一分で売ってくるんだよ。

じゃないと、あんたの首が飛んじゃうよ、と良妻賢母のようなおかみさんに急かされ。

お大名の屋敷へ向かい、300両持って帰ってくる、その賢いおかみさん。

腰を抜かす、って噺だけど。

あんまり、文脈が繋がっていないけどね。

無理くりつなげれば、自らを限るな、なんてこととも言えるね。

自分の過去からの判断では、火炎太鼓は、一分の値打ち、しかし、見る人が見たら300両。

ってわけだ。

だから、どうせなら、自分を限らず、しかも、大言壮語せず、淡々と、あるがままに、ってことか。

なんて書き続けるとキリがないので、ここらでよかろかい、と。

 

コメント
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