表題は、昨日の営業会議。
弊社、新入社員くんのコメントなんだけどね。
ま、わが長男坊で。
節約生活しているので、というわけだ。
これね、21世紀の、代表的な、あるいは、必須の理論につながると思うんだよね。
人間や草花が成長する、と使うときの、成長、という言葉を。
経済学とかいう、あるのかないのか、実のところ、わけわからないものにまで。
経済成長、なんてあてはめて、というところがね。
ある種の、洗脳、価値観の強要、みたいなところにつながり。
不幸のドツボに落ちてゆく、というありがちな。
ストーリーから、逃れ出るためには、とても、大切な「理論」です、まる。
ってことで。
そもそも、「理論」なんて、書いてる自体で、価値観の強要につながりそうだけど。
ところで、去年とれた種を蒔いた、今年のアサガオがね、大きな葉っぱをつけなくて。
なんて話をしていたら、F1かもね、なんてコメントをいただき。
おいおい、アサガオにまで、あの、なんとかいう会社のコンセプトというのか。
採れた種からは、次の世代は生まれません、というね。
なんとも、胸のあたりに、乾いた風というか、油のきれた歯車が音をたてているような。
そんな気分になる、F1コンセプトですが。
このところの暑さで、わがハーブたちも、省エネ飛行、というか、省エネ生活に。
長男坊の節約じゃないけれど、そんな具合で。
地表での活動を、しばしお休みし、地中でのひそかな、蓄電をしているようで。
そんななかで、地表活動を継続中の、ローズマリーとレモングラスとセージを摘み。
今朝のフレッシュハーブティーなのであります。
表題もそうだけど、煎じ詰めると、その気になる、ってことで。
なんにしても、身内からたぎる思い、ある人は、パッション、と呼んだりするけれど。
そこんとこ、テストに出ますよ、ってわけだ。
もうね、自分への嘘はやめとこうか、とね。
よく言われる言い方ね、今日、死ぬとしてそのことをしますか、なんてのね。
アップルのジョブズも言っていたんだったか。
吉田松陰だったか、本居宣長だったか、やむにやまれぬ、と言っていたよね。
そのあとに続く、大和魂、ってのは、どうも、「理論」になっちゃうんだけど。
それはおいて、やむにやまれぬ、って思いを、ほんとのピュアな思いを。
そりゃ、一番の大事なものにしてだね、なんだけど。
その、思い、ってのも、なかなか、フィルターがかかっちゃっていて。
微妙なんだよね。
なので、瞑想やら座禅やら、っていう静寂の時があれば、なんてことにも。
つながるんだろうけど。
あるいは、少思多動、だっけ、たくさん動けば、考えが少なくなります。
ってやつね。
もうね、山歩きなんて、最高だね、って我田引水になっちゃうね。
職人の技、匠、なんてのも、出来上がった作品がとやかくされるけど。
実際のところは、製作中の、現場での施工中の、作っているそのものになっちゃう、ってところがミソなはずで。
他人の目は、必要ないんだけどね。
そうはいっても、今日の飯をたべなきゃ、なんていう、そんなおそれが邪魔しちゃうんだよね。
なので、今日からお前はゴッホになれ!ってわけだ。
作品への評価なんてのは、死んだあとでいいんだ、あるいは、どうでもいいんだ。
というね、雄々しい、と書いたら女性に叱られるんで、潔い、という境地だな。
なんて書いてくると、今までのことがすべて、つながるような気もしてね、この60年なにがしの。
歲月がさ。
おやおや、お寺の鐘、増上寺さんではないけれど、セミの鳴き声を包容するように。
鳴っているんだけど、「芝浜」でも、くまさんが聞いているのかどうなのか。