ので、書き出しがむずかしく。
というわけだけど。
そこはそれ、キーボードにつながる指先が、なにやら考えてもいるようで。
こんな具合に、文字の羅列が始まるのですが。
そう、今朝は、ハーブの、例えばミントなんかの、茎を丁寧に取り除き。
葉っぱ一本、ということで、やってみた。
どこかのサイトに書いてあったのを、思い出し、ね。
どうだろう、多少、変化はあるのか、たしかに、刺激が少なくなる。
とでもいうのか。
あるいは、ハーブそのものに限りなく近い、とでも言えばいいのか。
そんなわけで、フレッシュ・ミックス・ハーブティーで。
カタカナ文字が長いけどね。
この、カタカナ文字の原型が、カタカムナ、なんて話もあり。
下をかまないでくださいね。
平十字(ひらのとうじ)という、山の民から、楢崎さんという物理学者。
だったか、がお預かりし、それを、現代語に翻訳して、なんて本を。
自家出版で、何冊か、持っているんだけど。
平十字が、山の民と言っちゃえるのか、は、ともかく。
一子相伝、口伝、代々、口伝えで、言ってみれば、1000年、2000年の単位なのか。
伝えてきた、というんだけどね。
じゃ、カタカムナ、ってのは、なんなの、140字で答えてください。
というリクエストがあっても、無理です。
難しくて、途中で読むの、やめちゃいましたし。
印象にのこっているのは、例えば、記憶ね。
あることが、思い出せそうで思い出せない、なんてこと。
あれ、宇宙をめぐるほどの、大きな楕円軌道に、乗っちゃう。
というんだね、考え、というのか、記憶、というのか、思いつき、ってのが。
なので、また、運良く戻ってくるには、ぐるーっと回ってこないとね。
なんてことかな。
もっとも、宇宙規模の楕円軌道でも、時間空間はない、ということであれば。
戻ってくるのも、瞬時、ということだけどね。
日本には、文字はなくて、中国由来の漢字がその原型で、なんてことだけど。
実は、日本にも文字がありました、神代文字といいます。
なんて説もあって。
あちこちに、そんな足あとが残ってもいるようで。
なんて書いてくると、ドツボにはまっちゃいそうだけど。
いわゆる定説と、実はですね、とひめやかに、ひそやかに語られることってのが。
あるわけだ。
富士と沼津の境にある、なに神社だったかな、飯綱神社か、そこの宮司さんは。
たしか、天皇家より古い、256代だったか。
そこへは、何回か、訪れたりもしたけどね。
愛鷹山麓は、富士山の噴火の影響が、富士吉田側よりも少なく。
なので、実は、いろんな古いものが、残っているのです、なんて話やらね。
アヒル文字なんてのも、あるようで。
信州は、安曇野のちかく、だったか、そこに碑がある、と。
一時、富士に、実は王朝があった、なんて説を、民間歴史家の三輪さん、いや。
加茂さんという方が書いていて。
へぇー、へぇー、とへぇボタンを押しながら、読んだことがあって。
その頃、富士山のまわりには、300の浅間神社があるんです、なんて言われ。
あのあたりの神社をたずね歩いたこともあったりね。
人間、いろんなことに、興味をもつのです。
ま、そんなことを言いながら、考えながら、いまという時代を生きてもいるわけで。
仮に、悲劇、ってものがあるとしたら、今、という時代に。
今ならぬ、ま、過去の遺物のような、価値観やら発想やらにはまり込んっじゃている状態。
ってことかね。
わが家は、世が世なら、平氏の末裔、源氏の末裔、とかね。
おれが若かった頃はこうでどうで、にもかかわらず、今の若いもんは的なことや。
朝から、ちょっと、ヘビーな方向に行きそうなんで。
本日は、このへんで。