さぞかし、サザエさん症候群っていうんだっけ。
そんな方々もいらっしゃるのかも。
だけど。
わが妻も、もう一日が終わっちゃう、なにもしないうちに、というね。
常套句を繰り返し、昨日は、ヒトカラへ、ということで出かけたわけだ。
んだけど。
いつものところは、満員で、結局、買物くらいだったのか。
とにかく、なにごとかをした一日、というフレーズでくくられる日に早変わり。
というわけです。
こちらは、4時過ぎには、風呂へ入り、布団の中、だったので。
あきれられたけれどね。
どうもね、浦島太郎のことが、気になりだして。
だれだったかな、光と同じ早さで、例えば、宇宙旅行をしたとする。
みたいなことを書いていて。
20年旅をしたとすると、だったか、その間、地球上の友達は、当たり前だけど。
20歳分、歳を取る。
でも、本人は、そのまま、だったか。
光速の倍の早さだったら、地球に帰った時には、20年の半分、若返っている。
だったかな。
浦島太郎は、竜宮城へ行って帰ってきたら、ま、玉手箱を開けたら、300歳かな、歳を取ってしまった。
このあたりの数字のたしかさは、イマイチだけど、ざっくり、そんな風情でね。
なので、あの時代、浦島太郎は、実際に、光速で旅をしたのかな、とね。
ギリシャ神話にしても、日本の神話にしても、荒唐無稽でしょ。
今の常識からすると、ということだけど、それは我々が知らないだけでね。
実際起こった出来事が、口伝なのか、伝承なのか、古文書なのか、なんらかの方法で、今に伝わる。
のじゃないかな、というわけです。
電車がどうして地下鉄に入ったのか考えると、夜も眠れないんです、という漫才があったけど。
そんな具合で、浦島太郎や羽衣伝説やらね、もうきりがないくらいで。
ということなどなどを、夕べというか、昨日の午後は、考えながらすごしたのでした。
考えながら、ってのも、実は、正確ではなくね。
考えずに、かんがえる、というのか、ブルースリーじゃないけど、考えるな!感じろ!
だっけ、ということなんですが。
毎朝の、わがご神木との出会いもね、その線で。
そりゃ、100日もつづけていると、相棒になりつつあるわけで。
そんな具合のコミュニケーションがね、成り立つのかな、という仮説を。
ま、言葉をかえると、コミュニオンという言い方が流行りだけど。
そうそう、夕べは、久しぶりに、長男坊と電話。
といっても、妻と長い間、大笑いしながら話したあとでの、ほんの短い会話だったけれど。
そこはそれ、時間のある時には短い手紙が書けるのです、という芥川龍之介ですね。
つまり、凝縮された時間、というね。
その後、次男坊に替わり、彼らなりの会話も楽しんだみたいでね。
ところで、来月には大和への旅があるんだけど。
「日本書紀」「古事記」的には、極悪人というレッテルが貼られている、例の。
蘇我入鹿だけど、彼のお墓があるんだね、飛鳥の里に。
甘樫丘に、皇居ともみがまう大邸宅があった、というんだけど、一方。
多武峰(とうのみね)には、蘇我入鹿を討ち滅ぼした藤原氏のグループがいたようでね。
今でも、蘇我入鹿のお墓には花が手向けられ。
その地の方々は、多武峰とは仲が悪い、という話があるようでね。
それほど、正史とは別のところで、密やかに、秘めやかに、わが邦の、汚名を着せられ。
歴史の闇に沈められた人々は、1000年以上の歳月をものともせず。
怨念を持続させ、というわけです。
大江健三郎だっけ、持続する志、なんて本、あったよね。
そう書いているのは、関裕二という仏像研究家にして、古代史作家ですが。
彼、飛鳥に立った時、涙が出てきたそうで、ここだ、という根拠なき感情の泡立ち。
藤原氏へのあしざまなものいいは、あらあら、ってくらいだからね。
なんてことを、書いても、興味のない方は、だからなに?ってなもんですが。
何千年、何万年、何十万年とね、からだの中の、60兆ともいう細胞たち、DNAの中に。
それらの記憶というものは、石に刻まれた文字のごとくに残っていて。
それらが、さまざまな、いたずらや僥倖をもたらし、ってのいうのが、これまた、例のカルマという。
考え方でね。
GW最終日に、途方もないことを、書き連ねているのであります。
そんな方々もいらっしゃるのかも。
だけど。
わが妻も、もう一日が終わっちゃう、なにもしないうちに、というね。
常套句を繰り返し、昨日は、ヒトカラへ、ということで出かけたわけだ。
んだけど。
いつものところは、満員で、結局、買物くらいだったのか。
とにかく、なにごとかをした一日、というフレーズでくくられる日に早変わり。
というわけです。
こちらは、4時過ぎには、風呂へ入り、布団の中、だったので。
あきれられたけれどね。
どうもね、浦島太郎のことが、気になりだして。
だれだったかな、光と同じ早さで、例えば、宇宙旅行をしたとする。
みたいなことを書いていて。
20年旅をしたとすると、だったか、その間、地球上の友達は、当たり前だけど。
20歳分、歳を取る。
でも、本人は、そのまま、だったか。
光速の倍の早さだったら、地球に帰った時には、20年の半分、若返っている。
だったかな。
浦島太郎は、竜宮城へ行って帰ってきたら、ま、玉手箱を開けたら、300歳かな、歳を取ってしまった。
このあたりの数字のたしかさは、イマイチだけど、ざっくり、そんな風情でね。
なので、あの時代、浦島太郎は、実際に、光速で旅をしたのかな、とね。
ギリシャ神話にしても、日本の神話にしても、荒唐無稽でしょ。
今の常識からすると、ということだけど、それは我々が知らないだけでね。
実際起こった出来事が、口伝なのか、伝承なのか、古文書なのか、なんらかの方法で、今に伝わる。
のじゃないかな、というわけです。
電車がどうして地下鉄に入ったのか考えると、夜も眠れないんです、という漫才があったけど。
そんな具合で、浦島太郎や羽衣伝説やらね、もうきりがないくらいで。
ということなどなどを、夕べというか、昨日の午後は、考えながらすごしたのでした。
考えながら、ってのも、実は、正確ではなくね。
考えずに、かんがえる、というのか、ブルースリーじゃないけど、考えるな!感じろ!
だっけ、ということなんですが。
毎朝の、わがご神木との出会いもね、その線で。
そりゃ、100日もつづけていると、相棒になりつつあるわけで。
そんな具合のコミュニケーションがね、成り立つのかな、という仮説を。
ま、言葉をかえると、コミュニオンという言い方が流行りだけど。
そうそう、夕べは、久しぶりに、長男坊と電話。
といっても、妻と長い間、大笑いしながら話したあとでの、ほんの短い会話だったけれど。
そこはそれ、時間のある時には短い手紙が書けるのです、という芥川龍之介ですね。
つまり、凝縮された時間、というね。
その後、次男坊に替わり、彼らなりの会話も楽しんだみたいでね。
ところで、来月には大和への旅があるんだけど。
「日本書紀」「古事記」的には、極悪人というレッテルが貼られている、例の。
蘇我入鹿だけど、彼のお墓があるんだね、飛鳥の里に。
甘樫丘に、皇居ともみがまう大邸宅があった、というんだけど、一方。
多武峰(とうのみね)には、蘇我入鹿を討ち滅ぼした藤原氏のグループがいたようでね。
今でも、蘇我入鹿のお墓には花が手向けられ。
その地の方々は、多武峰とは仲が悪い、という話があるようでね。
それほど、正史とは別のところで、密やかに、秘めやかに、わが邦の、汚名を着せられ。
歴史の闇に沈められた人々は、1000年以上の歳月をものともせず。
怨念を持続させ、というわけです。
大江健三郎だっけ、持続する志、なんて本、あったよね。
そう書いているのは、関裕二という仏像研究家にして、古代史作家ですが。
彼、飛鳥に立った時、涙が出てきたそうで、ここだ、という根拠なき感情の泡立ち。
藤原氏へのあしざまなものいいは、あらあら、ってくらいだからね。
なんてことを、書いても、興味のない方は、だからなに?ってなもんですが。
何千年、何万年、何十万年とね、からだの中の、60兆ともいう細胞たち、DNAの中に。
それらの記憶というものは、石に刻まれた文字のごとくに残っていて。
それらが、さまざまな、いたずらや僥倖をもたらし、ってのいうのが、これまた、例のカルマという。
考え方でね。
GW最終日に、途方もないことを、書き連ねているのであります。
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