掛川から森町を抜けて、秋葉街道を秋葉神社上社へ。7月2日。
上社の参道は工事中。
そのため、車用の急勾配の道を登る。
上社は昭和18年に山火事で燃えてしまったそうで、再築なったのは、昭和60年。
同行のFくんの御祖父様が参詣したのは、火事よりも前だったそうで。
しかし、その当時、車なしでここまで来るのは、まさに御神業。
僕らは、駐車場のベンチで、鳥のさえずりを聴きながら、お結びを食べる。
御祖父様のときとは、エライ違いだろうな。
それはともかく、この鳥のさえずり。
どうも、さえずりと地鳴きとあるようだ。
鳥は雄のほうが美しいそうで、さえずりとは求愛でもあるらしい。縄張りの宣言でもあるようですが。縄張りも求愛も、ある意味、一緒だな。
その後、天竜スーパー林道を山住へ。30km。
急峻な山道で、ジムニーの四駆の面目躍如。
随所に、落石注意の警告看板あり。
しかも、実際に、落ちてから時間経ってないな、という石がごろごろと。
途中、天竜の森、というところでは、5~6人くらいの男たちがアンテナを立てて、ブルーシートでテントを作っていた。電磁波がなんたら、という方々とは明るさが違ったので、多少は安心で、聴いてみると、アマチュア無線の大会があったようで、どうも、ここで、夜を越すような感じ。
そこから北を見ると、
西(左)から、茶臼山・1415、恵那山・2190、御嶽山・3067、観音山・1418、熊伏山・1653m。
道中、春野町から佐久間町へぬける、昔の塩の道もあり。
塩を求めて、この山道を、と思うと、生命をつないでゆこうとする人のエネルギーの強さと塩の大切さ、そして、今更ながら、専売公社の陰謀・無知が浮き彫りに。
左見右見、一時間半くらい走り、目的地、山住神社へ到着。
山住峠へいきなり現れた山住神社の社。
えっ、こんな山の上に、こんな建物が、なんで、という感じ。
境内の山住杉は樹齢1300年。
社務所にいた宮司さんが、また、なんともいえない味で。
こんな建物を、この山の中に、すごいですね、というと、そう、なかなかの社ですね、とはにかみながら、話してくれる。「はにかむ宮司さん」なんて、いまどき、お目にかかれませんからね。
ま、人と話すよりは、狸や鳥たちと話すことのほうが多いのだろうけれど。
上社の参道は工事中。
そのため、車用の急勾配の道を登る。
上社は昭和18年に山火事で燃えてしまったそうで、再築なったのは、昭和60年。
同行のFくんの御祖父様が参詣したのは、火事よりも前だったそうで。
しかし、その当時、車なしでここまで来るのは、まさに御神業。
僕らは、駐車場のベンチで、鳥のさえずりを聴きながら、お結びを食べる。
御祖父様のときとは、エライ違いだろうな。
それはともかく、この鳥のさえずり。
どうも、さえずりと地鳴きとあるようだ。
鳥は雄のほうが美しいそうで、さえずりとは求愛でもあるらしい。縄張りの宣言でもあるようですが。縄張りも求愛も、ある意味、一緒だな。
その後、天竜スーパー林道を山住へ。30km。
急峻な山道で、ジムニーの四駆の面目躍如。
随所に、落石注意の警告看板あり。
しかも、実際に、落ちてから時間経ってないな、という石がごろごろと。
途中、天竜の森、というところでは、5~6人くらいの男たちがアンテナを立てて、ブルーシートでテントを作っていた。電磁波がなんたら、という方々とは明るさが違ったので、多少は安心で、聴いてみると、アマチュア無線の大会があったようで、どうも、ここで、夜を越すような感じ。
そこから北を見ると、
西(左)から、茶臼山・1415、恵那山・2190、御嶽山・3067、観音山・1418、熊伏山・1653m。
道中、春野町から佐久間町へぬける、昔の塩の道もあり。
塩を求めて、この山道を、と思うと、生命をつないでゆこうとする人のエネルギーの強さと塩の大切さ、そして、今更ながら、専売公社の陰謀・無知が浮き彫りに。
左見右見、一時間半くらい走り、目的地、山住神社へ到着。
山住峠へいきなり現れた山住神社の社。
えっ、こんな山の上に、こんな建物が、なんで、という感じ。
境内の山住杉は樹齢1300年。
社務所にいた宮司さんが、また、なんともいえない味で。
こんな建物を、この山の中に、すごいですね、というと、そう、なかなかの社ですね、とはにかみながら、話してくれる。「はにかむ宮司さん」なんて、いまどき、お目にかかれませんからね。
ま、人と話すよりは、狸や鳥たちと話すことのほうが多いのだろうけれど。
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