まわりで起こっていること

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スペースが大事なんだ

2018年01月25日 | Weblog

空間だね。

空き地、空っぽの場でもいいか。

いつだったかも書いたし、事あるごとに言っているフレーズが。

もう何年前になるのか、妻と友達と何人かで、グアムへ行った時のお土産売り場で見つけた。

その頃は、デフォのお土産、ご当地ペナントに。

to love something is to give it enough to grow と書いてあった。

というか、これは、今、グーグルおじさんにお訊きしたんだけど、微妙に違っているけど、大意は変わらず。

当時見たのは、room ではなく、space だったと思うけどね。

それはともかく、今朝は、ふと、このフレーズが懐かしく思い出され。

その後の自分の人生態度とでも呼べる心持ちを決定づけた。

なんて書くと、いかにも大仰だけどね。

もともとどこかに、そういった気風があったんだろうし、時至った、その瞬間に師が現れる。

みたいな言い方もあるし。

いずれにしても、空間だな、スペースだな、という今朝の感懐なわけだ。

よく考えすぎると疲れる、なんて言われるけど、実は。

考えている時、つまり、思考に占領されている時には、脳にエネルギーが入ってこないんだ。

なんて論があって。

それ、面白いね、と。

いつでも降り注ぐエネルギーの中で生きているんだけど、それが入ってくるスペースが、満車。

って状態なんで、じゃ、空いたらまたくるね、と、どこかへいっちゃうんだね。

よりよく生きよう、とか、とにかく、〜より、とか、もっともっと、とかの思考が。

返って、その意図に反した結果を招来し、というお笑いネタみたいな事になっちゃう。

このスペースってのは、例えば、人間関係のなかでの微妙な距離感と言ってもいいね。

人間関係だけでなく、モノやコトでも一緒かな。

俯瞰する、なんて書いちゃうと、また微妙に違っちゃうのかも、だけど。

どこか他人事、にも似ていなくもなく、なんて追ってくると。

そもそも、自分というのが、もう一つの自分に見られている、という世界に入っちゃうし。

とはいえ、日常の生活の中では、IDみたいな、同一性のワナに絡め取られてもいて。

たまには、統合を失調させるのも、いいはずなんだけどね。

認知症と呼ばれている母親を見ていると、自分としての統合はそれなりに確保しているけれど。

その、自分と呼ばれるモノの見たコト、聞いたコト、なしたコトの統合には失敗してる。

というような言い方もできる風情で。

逆にいえば、単にそれだけのことで、不安も喜びも、の形をした感情と銘打ったエネルギーは。

相変わらず起こっているんだよね。

そう、この週末はおじおば会だ。

さて、骨にまつわるエネルギーの確認作業に入るとしますか。

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