昨日に続き、インフルのネタだけど。
まわりで猖獗を極め、は大げさだけど、なんて書いたていたら、弊社でも。
一名、昨日、電話の向こうから。
来週の火曜日まで、出社禁止です、というわけだ。
インフルエンザだそうで。
心なしか、声が晴れやかだったのは、こちらの気のせいか。
子どもの頃の、熱が出ると嬉しい、というような心持ちを連想したんだよね。
なので、表題のように、わが玄米菌との戦いはいかに、とね。
娘からのLINEでも、久々に会う予定の友達がインフルで、ということで。
明日の、プチ旅には、お昼から参加できるようになった、と。
そう、この週末は、お台場への、母親快気祝いの旅、とでも名付けようか。
甥っ子たちが、清水まで駆けつけてくれる、それも日帰りで、ということだったんで。
じゃ、そちらに出かけていくよ、そうすれば、一晩、一緒にいれるでしょ、くらいの始まりでね。
明日のお昼は、テレビでは有名な、大間のマグロの競りね、寿司ざんまいで食べようか、と。
おばも二人参加で、それこそ、テレビでは毎日というように、豊洲にしますか、築地にしますか、なんて。
報道されているので、いずれにしても、どうにかなっちゃう前に、一度、そこで食事をしたい。
なんてことなんで、楽しみにしているようで。
他人の楽しみは我が身の楽しみ、ってなもんで。
その連鎖が、歴史を作って来た、という言い方もできるしね。
逆の捉え方も、ないわけじゃないけど、生老病死、あとなんだっけ、仏教的には。
とにかく、この世は苦しく切ないことばかりで、なんてウタイ、あるもんね。
残念ながら、そんなことばかり言ってると、そんなことばかり起こる、というような。
そんな具合が、この世のデキで。
ほら、宇宙は愛に満ちているんです、あなたの願う通りになります。
ってあるでしょ。
お金が欲しい、と言っていると、まったく、その通りの状況を創り出してくれる、ってのね。
つまり、お金がなくて、お金が必要、欲しい、です、と。
よく同友会でも、生き残りをかけて、みたいなキャッチフレーズが使われたりするけど、あれなんか。
気持ちはわかるけど、真逆な結果になるかも、というのか、経営者を痛めつける言葉でもあるな。
少し前にも書いたけど、言葉の語源、というのが、とても気になってもいて。
ブランディングなんてのも、彼我の違いの目印のために、焼きごてを当てる、ブランド、ということらしいし。
サービスのサーブ、も、ラテン語の奴隷、由来だ、ともいうし。
はじめに言葉ありき、なんて聖書だっけ、あったでしょ。
なんだけど、その言葉にくくりつけられ、足が地面から離れてしまう、そんな絵柄もあるからね。
言葉主導、というのか言葉に引っ張られる、というわけで、誰が生きてるのかわからなくなっちゃう。
ようなね。
と言いつつ、読書好きな僕がいるんだから、なんともかんとも、というわけだ。
通り過ぎたらそのあとに花の香りが残るよな、なんてフレーズ、誰かの歌にあったね。
たしか、桜田淳子とか山口百恵とか、あの三人組の誰かだったような。
って、書きながら、掛川は龍尾神社だったか、しだれの梅ね、あそこを母親やおばたちと歩いているときに。
うん?と梅の香りを振り返った瞬間を思い出しているよ。
それと、昨年末に、囲炉裏のご主人からいただいた蝋梅が、玄関にあるんだけど、あれなんかも。
匂い立つ、あの瞬間ね、いいんだな、これが。
あんな風に、会話やら仕草、振る舞いをしていたいもんだ。
匂い立つ、っての、なかなか、いいじゃんね。
それも、ナチュラルに、そこにいるだけで、という風情で。
doingじゃなくbeing、と。
さて、お正月からの助走もつけ、新しい節を迎える、節分の今日、匂い立つように、beingとしますか。
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