まわりで起こっていること

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言霊を打ち破ったのは薩摩軍の鉄砲

2017年04月16日 | Weblog

久々に、谷川健一さんの文章をパラパラとめくっていて。

沖縄は、さらに南の、八重山。

そこでは、ついこの間まで、言葉に霊力がある、ということが信じられていて。

というか、その通りだったんだろうけど。

力があったんだろう。

戦の時にも、巫女さんが、先頭に立ち、敵の矢弾ならぬ、言葉の力に対抗し。

だったので、ある時、薩摩軍がやってきた時にも、同じように軍団の先頭にたったんだけど。

知らない文明の鉄砲の前には、なすすべもなかった。

ってわけだ。

なんだか、切ない話ではあるね。

言葉に力のあった時代、なんて括りもできるのかも、だけど。

今の時代でも、やっぱり、言葉によって、日々を切り取る、なんて所業はあるわけで。

昨夜、NHKスペシャルで、福島第一原発の廃炉についての特集番組があって。

何十年かかけての廃炉への道は、なかなか、困難を極めそうだ、というのは見て取れたけど。

のっけ、一号機から四号機までのイラストが映し出され、メルトダウンをした様が映し出されていて。

しかも、メルトダウン、とはっきりと発言もしていたのを見ながら。

ここにも、言霊という考え方が残されているのか、と思ったんだよね。

311の震災時、メルトダウン、という言葉は、報道では、途中からつかえなくなっていた。

どんな言い方だったのか、忘れたけど、言い換えが起きていた。

八重山の巫女さんに、先祖返りでもしたように、言霊の威力とでも無意識の中で、考えたのか。

あるいは、諸々のことを忖度したのか。

どちらにしても、そんな、原発の爆発とは別次元で、別の事件も起きていたわけだ。

もちろん、そんな話になれば、現在でもそこかしこに起きていて。

言葉による切り取りは、それぞれに、それぞれの思惑とともに起こっている。

だから、どんな具合に切り取るか、ってのが、個々人の自由自在だ、ということが。

ほんとのところは、明らかになっているんだけど。

そこはそれ、慣れ親しんだ感情も含めた、ある世界の住人でもあることで、ステロタイプな。

このボタンを押したら、こうした反応を示し、というような。

ほとんど、オートマチズム、ってことでもあり。

なんて朝、薄墨のような月が巴川の空高くにあって。

春なのかね。

昨夜は、三重は松阪へ出張中の次男坊と久々の電話トーク。

ひとしきり、母親の様子などなど、語るうちに、かあさんの足はどう?ときた。

それを受けた妻は、次男坊も大人になったもんだ、という感慨を口にし。

そりゃ、何歳になる、って感じでね。

母と子の間柄には、とても入り込めません。

ってくらいのものが、あるんだろうね。

そうだ、昨夜は、寅さん、見たんだった。

それが、御在所岳麓の湯の山温泉なんだよね、あれは、何年前になるのか。

30年とか40年とか前か。

映画の中で、頭に白い被り物をしたお坊さんたちが、神輿に火がついたものを担いでいたシーンがあった。

高野山の武装した僧侶みたいだった。

あれは、御在所岳への信仰のなせる技だったのか。

山田洋次監督は、各地に、かすかに残ってるお祭りとか習俗とか、そんなものに。

落語に出てくる、はっつあんクマさんのような寅さんを配置し、映像に残しているんだよね。

なんて話をどこかで聞いたことがあって、まんま、そんな気分を味わった。

「逝きし世の面影」渡辺京二著、みたいな。

寅さんの岡惚れした老舗旅館の娘さんが、東京の大学教授の元に嫁ぐ。

に当たって、旅館を手放す。

ということだけど、そんな具合に、一つ、湯の山温泉の名物が消えてなくなる。

なんてことが、列島の各地で起こっていたんだろうね。

薩摩軍の鉄砲とともに、巫女さんの発する言葉から力がなくなったように、湯の力もなくなり、って。

哀しきことの限りなり、と、中也を気取る朝だ。

 

 

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