まわりで起こっていること

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道頓堀の小林秀雄

2019年02月20日 | Weblog

ある冬の夜、道頓堀を歩いていたら、モーツァルトが聴こえてきた。

というやつ。

耳の奥でね。

知る人ぞ知る、有名な道頓堀体験、ってやつなんだけど。

文芸批評家の、中原中也や大岡昇平とも親交のあった小林秀雄、ね。

その時のことを思い起こして、文章にしているわけだ。

何を考えていたのか、いずれ、人生やら文学やら絶望やら、だそうで。

自分にも意味がわからぬヤクザな言葉で頭を一杯にして、犬のように歩いていた。

なんて書いている。

そこへ、ト短調40番、第4楽章が聴こえてきた。

というわけだ。

小林秀雄が書くと、いかにも劇的な、文学史に残る、みたいなことになりがちだけど。

ふとね、昨日、エアーポッドと書いてあったか、アップルのイヤホンで。

街を歩きながら、パブロカザルスだったか、そんな音楽を聞いていた時に。

おいおい、ほとんど、これ、小林秀雄になれちゃうかも、なんてこと、浮かんできてね。

ますます、AIの支配型って具合だな、と少々、自嘲気味でもあったのだけれど。

車でも音楽、例えば、auld lang syne、蛍の光だね、なんて聴いていて、いいなぁ、なんてね。

ところが、イヤホンにしたら、これまた、音が良くてね、驚きだ。

の延長が、街を歩く”小林秀雄”ってわけだ。

こうなったら、とことん、自分の外部の電子的な携行物のお世話になっちゃってみるか。

なんて気分にもなっていて。

だって、馬車しか乗れない人、って、蒸気機関車が疾走している時にね。

まるで、バスターキートン?、チャーリーチャップリン?、ってなもんでしょ。

なんてことはどうでもいいけど。

今朝、出がけに、妻が、のろいと素早いについて、話していて。

自分の母親がのろいと言われていたというのろい、ってオヤジギャグみたいだけど。

それ、おもしろな、とね。

のろいとかはやいとか、どんな価値観があったら発生するのか、というね。

それぞれがそれぞれの固有の時間とも言えない時間の中で、生きているのがデフォなはずで。

そこへ、さまざまな価値をくくりつけ、比較の対象になり、という様がね。

大きな、something great、創造主とも言えるか、その立ち位置からしたら、微笑ましくも映っているか。

なんてくらいの話でもあるんだけど、そこはそれ、何の因果か、資本主義。

なんてもの、発明、というか、作り上げてしまったがために、とも言えるな。

さて、明日は長崎へ、。

昔のわが列島では、一日の始まりが、夕方、っての、あるでしょ。

そのデンで、すでに長崎への旅は始まっているのです、ってね。

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