まわりで起こっていること

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営業に行った会社の目の前が藍染屋さんだった

2017年06月10日 | Weblog

焼津というのか、藤枝というのか、その辺り。

昨日は、表題のごとくで。

カーテン工房の関係で、初めて伺った会社さんの目の前に。

随分前から見慣れた藍染屋さん。

先輩、といえば、いいのかな。

もちろん、少し年上だから、そう呼べる。

そんな御仁が、奥様と一緒に、工房をやってらっしゃって、ということで。

せっかくだから、とチャイムを鳴らし、だったんだけど、留守で。

というか、チャイム越しに、少しばかり、奥様と会話をし、今、髪を洗ってあられもない格好なんで。

ということで、こちらの携帯番号を告げ、帰ってきた。

夜、留守電にメッセージが入っていたんだけど、ご本人ではなく、奥様。

なので、今日、明るい時に、電話してみようかな、と思いつつ、ご本人でない電話、ってのが。

ちょっと、いろんな妄想を呼んでいるけれどね。

離婚したのかな、とか、黄泉の国へ旅立ったのか、とかね。

そんな朝、遠くで、鳩の鳴き声。

谷村新司的には、遠くで鳩を聞きながら、って風情。

そうそう、焼津では、さかなセンターに久しぶりによって、そこで昼食。

中をブラブラとしながら、だったんだけど、元気な感じが伝わってきたな。

豆アジとフグの干物を買って、夕方に来るだろう妹にね、わが七輪での炭火焼を提供しようか、と。

そう、昨夜の夕餉は、母親からの、ご近所さんの誰それはどうした?的な。

会話となり、あの人は今?というので、当方、合掌をして、亡くなったことを示し。

なんてこと、何回やったかな。

たしかに、90歳ともなれば、思い出の中に登場する人物の大方は、合掌礼拝、の世界だよね。

もっとも、存命中の方々が、毎日毎晩、顔を合わせ、リアルにね、ということもなく。

脳内での、記憶と呼ばれる領域に存在するにすぎず、ともいえて、なので。

存命、非存命、というのは、考えてみれば、どちらでもいい、といえば言えて。

とすれば、いかに思い出を、ドラマチックにするか、悲劇であっても、ギリシア悲劇のような。

芸術にまで昇華させれば、ってこともあり、喜劇だったら、喜劇でもいいし。

角度を変えれば、いかようにもなるテイのもので。

昨日も、おばの連れ添い、旦那様の、病院を見舞った時、おばから。

おかあさん、どう?とあり、続いて、あんまり心配かけないほうが、みたいな展開になったので。

むしろ、心配、悲しみ、不安も含め、もちろん、喜びもだけど、そんな心の動き、感情の激動が。

元気の源、って理解なんで、なんて話になったな。

結局、生きるって何、ってわけだけど、見た目には、いつでもにこやかな笑みを絶やさず、なんて。

仕草、振舞、外見が、受け取る側にはいいから、あの人はいい人だね!的な。

感想が、そこかしこに飛び交いもするけど、その実、その、当のご本人の内実、内面はどうか、となると。

どうも心もとない、なんてモデルケースは、結構、散見されもし。

早い話が、どちらでもご自由に!の世界でもあり。

もうね、わが母親の立ち居振る舞い、いわゆる、要介護度3、と認定された。

そこから汲み取れる人間理解、というのか、人間という生命体のありようは、とてつもない学びを。

子たるわが方に送り届けてくれて、そこにこそ、山よりも高く海よりも深い親の恩、ってのを。

感じる、と言ってしまってもいいくらいで。

親孝行という言葉はあるけれど、子供孝行、ってくらいだな。

 

 

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