というニュースを見た。
全校休校という事で、給食用の食材が、そこここで余り、と。
くだんのお店も、通常は土日だけ、ドーナツを店先で売り、平日は。
学校へ納入、という算段だったのが、というわけだ。
なので、月曜日から店先に並べたら、表題のごとく、だそうで。
それも、どこぞのMBAの経営学の先生に御教示され、って事じゃなく、ご近所さんが。
そりゃ大変だよね、と買い求めに訪れ、という顛末だったそうで。
ちょっと、涙、出そうになったよ。
そういう事だよね、実のところ。
昨日もアップした、共同性を手に入れる、というのは。
ホモ・サピエンスの素敵なところが出ているわけだ。
さすがに、メディアも、シフトしつつあるのかも、ちょっといい話特集、みたいな。
だって、二、三日で終わる仕儀、じゃなさそうだからね。
それに、くどく言ってるけど、自己免疫力と自尊が突きつけられたテーマだからね。
外側と内側、同時に両方への問いかけ、というのかね。
どこぞの農家さんだったか、では、フードバンクへ寄付して、貧窮家庭への食材にしてください。
って話とかね。
あと、京都の料理屋さんでは、学校へ行けない子どもたちのために。
お店を解放して、板前さんがお昼のお弁当をつくり、無料で。
場所とともに提供、なんてのもあったな。
経済ってのは、お金や儲けや金融世界の、じゃなく、元々は、経世済民、って事だからね。
世を治め、民を救う、というね。
そのための一方法として、たまたま、資本主義と呼ばれるイデオロギーを利活用して。
ってのが、現在、ってわけで。
だから、国家、なんてのは、ある意味、分配の役割、仮に、神のごとき能力があるとしたら。
余っているところから足りないところへ、くらいのモノなんだよね。
別に、怯えから、不安から、強欲から、貪欲から、他国を攻める軍隊を持ったり、民を懲らしめる。
牢獄を持ったりするのが、「国家」ではないんだけど。
世の、天才、とか、秀才、とか、賢人、とか、聖人、とかいろんな方々が現れは消え、してるけど。
結局、そこまでは至れない、という哀しい物語、ってのが、「国家」でもあるかな。
そんなことがツラツラと思い浮かぶ今朝の、巴川の上には、青空だ。
少々、冷たい朝だけど、わが、太平洋側の駿河の地では、この後の、ポカポカお日様、ってのが。
予見できる朝だ。
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