という言葉がこのところ口をついて出るようになっているな。
前からそれはめざしていたものではあるんだけど。
めざす、なんてのは、烏滸がましい言い方か。
そもそものもともとが、天才の発露、表現であるわけで、人の生き方なんてのは。
徐々に本格的な夏に向かいつつある中、この二、三日、なんだか、かったるい状態が続いていたのだけれど。
それにもどうやらなれたみたいでもあるな。
そんな具合に、いつだって、環境というやつ、自分の外側にあるものに呼応し、対応し、応じ、ってね。
この間、旧友との那須塩原での邂逅の席で、優生思想、という言葉がわが口から出てきた。
おいおい、ここで出てくるかね、ってなもんだったけれど。
ナチスの科学者が、とか、現在の世界の支配者が、なんて言葉使いの後にやってきがちな優生思想。
しかし、各々方の心の中に眠っている、あるいは、煌々と起きている考え方でもあるな。
そこがたぶん、子どもの頃からの、わが引っ掛かり、とも言えるな。
誰それよりも優れています、というのね。
だから、五輪思想からの脱却、なんてことにも繋がり、ってわけだ。
朝っぱらからこれ以上は突っ込まない方が身のため世のため人のため、ってことかな。
いずれにしても、すべての人は天才だ。
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