まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

プリウスは今朝、節分と伝えてくれた。

2021年02月03日 | Weblog

言ってみれば、一日遅れ、そりゃ、仕方ないね。

どうやら、124年ぶりの2日の節分だそうで。

明治の30年以来、というんだよね。

わが祖父母、儀一さんとおすえさんの生まれた頃だ。

野良仕事全盛だっただろうな、野山は緑に溢れ、この駿河の地にしても、田んぼには霜柱が立ち。

妻の話では、子どもの頃、氷柱を折って遊んだ、なんてことだから、かの年ではさらに。

わが母親の話では、この巴川が凍りついた、というくらいの寒さでもあったのだから、霜焼けアカギレ当たり前。

だいたい、靴なんか履いてる人、どのくらいいたんだろう。

母さんのアカギレ痛い生味噌をすり込む、なんて歌、あったよね。

生味噌ですよ、生味噌。

今やコンビニエントな暮らしがデフォで、生味噌さえ手に入りにくいのかも、って時代。

それを進化、進歩、幸せへの回廊の結果、なんてことと言えるのかどうなのか、ってわけだ。

というか、いつの時代でも、幸せであり、不幸せであり、ってことだよね。

幸せを手にいれるんじゃない、幸せを感じる心を手に入れるんだ、って、誰かがブルースリーの真似をして書いてたな。

はともかく、上記、靴を履いてる人、で思い出すのが、古今亭志ん生。

戦時中、たぶん、大本営発表かなんかの戦勝記念のパレードが挙行され、落語協会だか組合だかも。

同調圧力か自ら進んでかはともかく、志ん生さんも駆り出され、靴を初めて履いて参加。

なんだけど、足は痛いし、めんどくさいし、ってんで、しょんべん放ってくる、くらいの言葉を残し。

横町の酒屋さんへ駆け込み、いつものような体たらく、なんてこと、語っていたな、「貧乏長屋」だったか。

この間も次男坊と話し込んだんだけど、時の勢力、権力がどんなに強くても「庶民」ってのは、なかなかに。

逞しくて、と。

敗戦のとき、昭和20年の8月15日だね、皇居前で玉音放送を神妙な顔で、涙の一つも流しつつ聞き。

終わった途端、モンペをズボンやスカートにはきかえ、銀座へ繰り出した、なんて話もあるようで。

「庶民」と括られる人、もちろん、当方も入るんだけど、は、なかなかに物事、わかってる、ってわけだ。

インテリの方がわかってない、ってなもんだ。

吉本隆明の、共同幻想と自己幻想は逆立ちする、ってのを、まんま、実践しているんだよね。

って書いても、吉本ばななの親父、隆明を知らない人には、なんだ、それ、ってなもんですが。

吉本隆明は遠くになりにけり、降る雪や明治は遠くなりにけり、を換骨奪胎、だな。

なんて書いてきたら、長くなりそうなので、東風凍を解く、の初日に出かけることにします。

 

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