まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

送別の宴

2007年04月11日 | Weblog
昨夜、送別会があった。

お世話になった方々に、ありがとうございますの一言をお伝えする、というのが、メインテーマ。

幹事というのか、司会というのか、ために、あんまり、食べもせず、飲みもせず、だったけれど。

最後に、出口に立っていただき、参加者全員が、握手をしながら、ぬくもりを感じながら、おからだ、ご自愛なさってください、ということで、お開きとなった。

のだけど、いつもながら、円卓の上には、三分の一くらいの食べ物が残されている。

あれは、切ない。

片手に、メタボリックシンドローム、もう一方の手に、もったいない、という言葉があるので、まさに、現在そのものを象徴している状況。

一生懸命、もったいないから、といただけばいただくほど、コレステロール・中性脂肪の数値は、跳ね上がり、病的となる、という。

現在の社会のメカニズム、まんま、というシチュエーション。

会を主催する側も、残らないように、少なめにして、と言いたいのだけど、システムがそうなっていないこともあるし、料理が少ないという不満が出ると困るし、というしくみ。

そろそろ、この、営利とこころのしくみは、やめにしたらいい、と思う。

はじめて、韓国へ旅行し、宮廷料理というやつにお目にかかったときには、心底、驚いた。

テーブルの上に、あれよあれよという間に、お料理が、積み重ねられる。

お酒はお酒で、出てくるので、とても、食べきれない。

それが、ずっと、気になっていた。

で、なんかの本で、ポトラッチ、という南米だったかの習俗を目にした。

自分の所有物を、根こそぎ、相手にあげてしまい、それが、もてなすことになる、という。

自己破滅型の接待。

どこの国だったか、は、もてなす相手が、食べきれないくらい出す、というのが、接待の基本、みたいなこともあった。

知人の、満州帰りの父親の話では、満州では、どんな貧乏でも、餃子をつくって、客人をもてなし、感謝を表わした、ときいた。

送別会、新年会、忘年会などなど、旧世代の主宰する宴は、残飯の山だ。

若者達の主宰する宴に参加してみたいものだ。



コメント
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