アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

蒸機と電機!! さあ どっち?

2019-11-17 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

幼少の頃から鉄道が好きで、この歳になるまで相変わらず同じ気持ちでいられるのは、いつの時代も良き友人、仲間が身近にいてくれたことに尽きると思っている。アントンKは、今でこそほぼ鉄道写真中心に趣味を楽しんでいるが、この趣味が鉄道模型から始まっていることは、以前も記事にしている。学生時代の友人たちや模型仲間に支えれ、どっぷりと足を染めていったことは間違いない。車両にカメラを向けるきっかけは模型でも、撮り鉄の世界へ誘ってくれたのは、やはり当時の同級生だった。いつの時代にも、そして今でも親愛なる友人が存在していることは、アントンKにとっては、残された写真よりも貴重であり、かけがえのない財産となった。特に最近こんな想いにふけることが増えた気がする。

鉄道写真といっても、インターネットのおかげで、今までは書籍くらいしか見ることが出来なかった他人様の写真を気軽に見られる時代になったことは、ある意味喜ばしいことだ。自分の画像をまな板の上に乗せて、自己評価できることも今までにはないことだが、同じ撮影地でも全く想像もつかない撮り方で衝撃を受けることもあり、想像力が広がり引き出しが増えることが多々あるのだ。また鉄道撮影をされている方々でも、何を撮影しているかで作品がまるで違うことにも気づかされる。

機関車中心に撮影されている方々でも、蒸機派と電機派とでは重点ポイントが違っているのである。アントンKは、自分の年齢からか、機関車ファンの老舗は蒸機ファンであると思ってしまうが、現代ではそんな図式が通用しないらしい。煙の有難みは愚か、むしろ嫌っている若いファンも多いと聞く。普段は蒸機列車として運転されている列車が、蒸機の検査や故障で、代替の電機やディーゼル機関車に代わる時を狙って撮影に出向くファンも多いのだ。いずれにしても、この鉄道撮影という趣味も年々世の中の認知も進み、今後とも末永く良き趣味人とともに発展していくことを期待したい。

1994-01     試9226ㇾ D51498       JR東日本/磐越西線:更科信号所付近


赤べこED75 1001更新前の雄姿

2019-11-12 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

東海道線から定期のEF58けん引列車が廃止され、本格的に淘汰が始まると、いよいよ世間のゴハチ熱は高まるばかりで、企画列車等で動くとなると、ファンであふれ返りお祭り騒ぎとなる。御召機61号機はいつものことながら、残されたEF58にはファンの熱い眼差しが注がれていたのだ。122号機が茶色くなったり、同じく89号機が茶色に変わり、ここまでは何とか受け入れられたが、あの美しい150号機まで茶色に変わった時には興ざめしてしまった。その後、世間で熱が高まれば高まるほど、アントンKはゴハチから離れていくようになった。幹線を突っ走っていたゴハチが、飯田線をチキ2両でトコトコ牽く姿は、目頭が熱くなった。トロッコ列車を牽くゴハチは、まるで遊園地に売られたかのような錯覚を覚えた。こんな気持ちから、ゴハチ熱は冷めていき、他の機関車に目が向いていった。90年代初頭からは撮影の重きが変わり、その筆頭がED75だったように思う。当時はこのナナゴだって寄る年には勝てず、更新が進むとの情報を頂き、国鉄色のED75を追って北を目指した思い出が蘇る。

掲載写真は、重連で上ってきたED751001が黒磯で折り返し、ワム貨物列車に充当されて北を目指すシーン。この当時、ナナゴは盛岡区に配置され運用を追っていた時期があるが、いつものことながら気に入った写真を中々残せていないのが残念。またこの頃、ネガカラーフィルムで撮影しているケースが多々あり、どういうことなのかあまり記憶していないのが情けない。

1992-02-06  5161ㇾ  ED751001        JR東日本/東北本線:白河-久田野


全力で走る電車で国鉄時代を懐かしむ・・

2019-11-11 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

最近雑誌にも取り上げられた、東急8500系電車に乗る機会を久々に持った。未だ東急線内では、一大勢力を築いており、長年東急ファンにはお馴染みの存在であるはずの8500系電車だが、いよいよ次世代の最新型電車へバトンを渡す時期が刻々と迫ってきているようだ。

相変わらず急行運用も受け持つ8500系だが、時速100キロ越えの走行シーンは、今や懐かしさすら覚える。フルノッチ全開で突っ走る走行音は、忘れかけていた乗り鉄の気持ちを蘇らせるのに十分であった。思えば昔の電車は、それぞれに個性があり楽しかった。ツリカケ式時代はもちろん、新性能電車ですら、特徴があり、常磐線快速の103系電車、中央特快の101系、それに大宮までの東北・高崎線並走区間での115系電車は、アントンKには特に思い出深い。それこそ、あの音と振動、流れる景色を思うと、遠い昔に旅立てる。こんな観点から考えれば、現代の電車たちは、何の個性も感ぜず、趣味的では無くなってしまい一抹の寂しさを感じてしまうのだ。

今回は、そんな思い出から常磐線快速で使用されていた103系電車を掲載しておく。エメラルドグリーンの103系電車は、とにかく速かった思い出が多い。モーター音フル回転で、オーバーヒート寸前とも思えるような走行音で突っ走っていた。通勤電車である103系が415系などの近郊型電車と張り合っていた時代。そんな場面こそ、昔感じた国鉄時代そのものに感じる。

1981-12-09   常磐線快速電車103系    南千住付近にて


新たな表情を見せた新日本フィル

2019-11-10 20:00:00 | 音楽/芸術

すっかり秋めいた東京地方。朝晩は気温も下がり個人的には快い季節になった。何をするにも集中力が上がり効率よく時間が過ぎていく気になっている。

先月の台風でキャンセルになり、少し間の開いてしまった新日本フィルの定演トパーズへ行ってきた。今回は、若手の指揮者ズナイダー氏とソリストを迎えた北欧、ロシアのプログラムを鑑賞する。日本デビューの演奏会となるようで、メインは、チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れぬ森の美女」だが、前半にはグリーグの小品とニールセンのヴァイオリン協奏曲がおかれ、そのソリストは19歳の新進気鋭のヨハン・ダールネという若手演奏家だった。アントンKとしては、昔から愛着のあるチャイコフスキーのバレエ音楽がどうしても聴きどころとなったが、この若手ソリストを迎えてのニールセンも心に刺さる内容だったと振り返っているところだ。

メリハリのある角の立った音。息を飲む演奏テクニックとそれを裏付ける鋭いリズム。どこをとってもソツが無く、いかにも優等生的演奏だったと言えるのではないか。楽曲をよく熟知していなくとも、聴き手を飲み込んでしまう凄さを演奏から感じた。反面、この手の技巧的部分が目立った演奏は、抒情的な心に響く音の色合いが気薄に聴こえてしまった。旋律の裏に隠された想いは感じられず、その点は大いに醍醐味に欠けてしまったと思っている。アントンKは、気持ちが出るのなら、少しのミスも恐れず演奏に気持ちを傾けて欲しいといつも願っているが、今回の若きソリストにはまだ重荷になってしまうのだろうか。舞台に立つ以上、演奏家は役者であって欲しいのだ。

後半のチャイコフスキー。三大バレエ音楽の中では、一番演奏機会に恵まれない「眠りの森の美女」ではなかろうか。アントンKとしては、実演奏に触れられる機会を頂き有難かった。いつもの新日本フィルからは忘れかけていたような、重低音の轟く演奏が味わえたのだった。ここまでやるなら、金管楽器もえげつない音で迫った欲しいと思ったくらい。しかしそんな音量に負けないくらいの統一感で鳴っていたのは弦楽器群だった。これには指揮者がヴァイオリニスト出身であることと何ら関係があるはずだ。チャイコフスキーの甘美なメロディを歌い上げ、主張の強い旋律は、この日一番の聴きどころではなかったか。世界で活躍している若手のホープ、ズナイダー氏の今後にも注目していきたい。

新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会トパーズ

グリーグ  序曲「秋に」 OP11

ニールセン ヴァイオリン協奏曲  OP33

チャイコフスキー バレエ音楽「眠れぬ森の美女」より抜粋

アンコール ソロ

パガニーニ 

指揮    ニコライ・シェプス=ズナイダー

Vn         ヨハン・ダールネ

コンマス  崔 文洙 

2019年11月8日 すみだトリフォニーホール


名残り雪とゴハチ、心に残る名シーン

2019-11-07 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

この年は雪が多く寒い冬だった。EF58最晩年の1984年の冬、むろん首都圏での話である。

30年以上も前のこの頃を思うと、やはり現代は温暖化していると感じてしまう。夏がやたらと長く感じたり、先月列島を襲った台風などは、こういった気象の変動によるものなのだろう。昔は東京でも四季をもっとはっきり感じられた。桜とともに新年度を迎え、房総の夏ダイヤ、秋の東京の高い空、そして雪景色。四季折々という形容が大都会にも存在していたように思う。

東京でも連日のように雪が舞い、いつもの風景がファンタスティックに変わる。アントンKは、終盤近いEF58と冬景色とを収めようと、職場に毎日カメラ持参で行っていたことを思い出す。ちょうど東海道線の荷物列車がEF62へとスイッチする直前の時代、下関区へ最後のEF58が集められた頃の話だ。以前にも記述したかもしれないが、仕事で通う最寄り駅が新子安ということもあって、かなり撮影を優先した業務予定だったことも明かしておこう。先輩に新子安は撮影可能と教示されてから、ここでの撮影のため、どうしても300mmレンズ(バケペン67用)が欲しくてたまらず、バイトに精を出して購入した思い出の場所でもある。現在でも撮影は可能なのだろうか・・

掲載写真は、名残り雪の残る新子安を威風堂々通過するサロンエクスプレス東京。EF5812号機けん引。

1984-01-20   9021ㇾ  EF5812         東海道本線:新子安にて