アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

EF58 急行「八甲田」

2018-03-31 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄時代には、冬季臨、夏季臨の時期に増発される東北線に撮影に出かけることが多かった。それは、ちょうどEF57が引退し自然とEF58に目が向いていったタイミングだから、東北線それも直流区間での記録が多く残されている。しかし現在この区間で最もメジャーとされている東大宮-蓮田間、通称ヒガハスでの撮影は以外にも少ない。当時からへそ曲がりなアントンKは、残された駒をみると栗橋-古河間の方が好んでいた様子だ。この辺のところは、自分でもよく覚えていないが、当時はイメージが良かったのかもしれない。

写真は、冬の朝日を受けて上ってきた102列車、急行「八甲田」号。当時宇都宮区では嫌っていたカマの1台である119号機。今でこそあまり感じなくなったが、黒Hゴム・デフロスタ付きのお顔は、どこかしっくりこない。急行「津軽」が来てから、しばらくでこの急行「八甲田」が現れるスジは、とても懐かしく感じてしまう。東海道の名門急行「銀河」と同じくらい伝統のある急行列車として、「八甲田」は存在感のある列車だった。

1978-12-30    102ㇾ   EF58109 急行「八甲田」  東北本線/栗橋-古河


聖地に感じた大宮駅の印象

2018-03-29 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

大宮駅下り8番線9番線ホーム。

現在はどう変わっているのかわかっていないが、当時の大宮駅のこのホームは、次々と列車が往来し時間の経過を忘れてしまいそうになるくらい、目が離せず、そして楽しい場所だった。当然新幹線は影も形もなく、東北特急と上信越特急が引切り無しにやってくる。

また、以前にもここで書いていると思うが、このホームの構内放送が独特な語り口調であり、とにかく当時の若いアントンKは聞き入ってしまい、しまいにはテレコで録音して楽しんでいたのだ。列車の入線とともに、絶妙なタイミングで放送が入り、そしてまた発車を促す。そのやり取りを見て聞いているだけで満足していた。誠にお恥ずかしい話だ・・しかし、現在の抑揚のない機械じかけの放送は、何とかならないものだろうか。イントネーションや発音は現代風?昭和ど真ん中のアントンKには聞きにくい。ベルの代わりの電子音も、時にイライラしてくるのは自分だけか。

掲載写真は、その8番線と9番線ホームから撮影した、高崎線の普通列車2322レ。ホームを後にしたまだ真新しい183系1000番台の「とき」が写っている。ゴハチは、高崎第二機関区所属のEF5886。スノープロウ、ヒサシの付いた寒冷地仕様の形態。当時からこのスタイルのゴハチは好きだった。

1976-03-01   2322ㇾ  EF5886   大宮駅にて


房総特急全盛時代の錦糸町にて

2018-03-28 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昔の画像より再び1枚。錦糸町で撮影した特急「あやめ」。もちろん183系でも初期車の0番台による編成だ。音響に優れたホールがあり、新日本フィルハーモニーの本拠地であるため、最近音楽鑑賞では錦糸町にはたびたび訪れているが、鉄道撮影では全く出向くことは無くなった。

この時代には、「わかしお」「さざなみ」「しおさい」「あやめ」と4種類の特急があり、加えて急行電車も運転されていたから、現在と比べてしまえば、随分と華やかな風景で、ダイヤもJR後に比較すれば随分密度があったのではないか。夏毎年ダイヤが実施されていて、7月下旬の夏休み期間には、時刻表も色違いの別刷りになっていた事も懐かしい。

1976-03-22 1023M あやめ2号 Tc183-11 錦糸町にて


流電を求めて~飯田線の旅

2018-03-27 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

学生時代、友人と二人で行った飯田線の旅からスナップ写真を1枚。

泊りがけで飯田線の撮影に行ったのは、かれこれ40年以上前の話。当時の飯田線は、旧型国電の宝庫で全ての車両が魅力的に見えた。特に「流電」と呼ばれていたクモハ52は、マニアの間でも当時から人気があった車輛で、メインで写していた貨物列車の合間には好んで撮影したものだ。ローカルな単線では距離の長い飯田線だから、南北に分けて考えられることが多く、この時は飯田南線中心に動いた。掲載写真は、乗車している列車の窓から交換する電車を見て、流電だったので思わず1枚シャッターを切ったもの。今では考えられないくらい時間がゆっくり流れていた時代。叶うのならもう一度戻りたい。

1976-07-20   638M   Mc52005   飯田線/中部天竜駅にて

 


春に聴く上岡の「悲愴」

2018-03-26 15:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル定演「ルビー」へ

春爛漫のこの日、すみだトリフォニーホールのある錦糸町界隈は、桜も咲きそろい近隣にある錦糸公園の人出も最高潮だった。そんな春の暖かな午後に行われた演奏会は、激情に満ちたものとなった。

前半はレスピーギ「ローマの噴水」とボッテシーニのコントラバス協奏曲第2番というイタリアの作品。休憩をはさんで後半はチャイコフスキーの「悲愴」というプログラム。考えてみれば、新日本フィルも多種多様な音の世界をいかんなく構築できるオケに変わっている。今までよりもさらに深く詳細に、だ。レスピーギのようなきらびやかな音色の世界から、精神の通った重厚で暗い世界までオールマイティなオーケストラになった。これは監督の上岡氏の筋の通った音楽性によるものだろうし、これもまだ発展途上であるはずだ。昔は、在京のオケでもそれぞれ個性があり、楽曲とのマッチングを想像することも楽しみの一つだったが、現在はどうだろう。個々の技術レベルが最高潮となった反面、音色自体は没個性となってはいないだろうか。アントンKは、最近新日本フィルばかりだが、出来れば他のオケの演奏や、来日オケの演奏にも顔を出して、可能ならば多角的に演奏を楽しみたく思っている。しかし肝心なことは、オーケストラの外面的な部分よりも、演奏される楽曲の良し悪しの方が自分にとって重要だから、信じた指揮者や演奏家達にとことん付いていき、自分も一緒に新たな発見が見つかれば幸甚である。

さて、演奏会での「悲愴」の印象を自分のために少しだけ書き留めておく。

上岡敏之の「悲愴」は、アントンKにはとても新鮮で現代風の解釈に感じられた。昔よく聴いたような、どろどろと情感だけが前面に出ているような演奏ではなく、メリハリの利いた厳しい演奏だったように感じている。上岡氏の場合、過去のどの演奏にも似ていないのはいつものことで、そういった面では、新たな発見は演奏中多々見つかるので面白い。第1楽章展開部直前の木管楽器の音量も、普通聴かれるものより、圧倒的に大きく明確な表現を要求。第3楽章では、マーチに入る手前の大太鼓が荒れ狂い、地響きとなって我々に襲いかかってきた。しかし最も印象的だったには、終楽章の悲痛な解釈だろう。テーマを奏でる弦楽器の音色の深みと表現には終始圧倒され、管楽器の雄叫びに涙する。特に24からの金管の上昇音階は、心に強く突き刺さってきた。そしてベースが鼓動を表して、しだいしだいにフェードアウトしていく解釈がよく聴かれる演奏だとしたら、この日の演奏はまるで違い、息の根をプツっと止めてしまった。ベースもしっかりと音を保ち、鼓動もしっかり聴き取れるのだが・・・この表現は、ある意味ずっと悲しみを誘う表現に感じた次第。過去にも実演で数々の名演に触れてきたが、こういった終結表現は無かったように思う。全体を思えば、激情型の悲愴だった。

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会「ルビー」

レスピーギ  交響詩「ローマの噴水」 P106

ボッテシーニ コントラバス協奏曲第2番 ロ短調

チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 OP74 「悲愴」

指揮     上岡敏之

Cb     渡邊怜雄 

コンマス 崔 文洙

2018-03-24  すみだトリフォニーホール