アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

懐かしの京王帝都吊りかけ電車

2017-04-30 20:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

このところ宴席が続いている。一つは、地域に根付いた年齢も幅広い現役鉄チャンが集まった宴席。そしてもう一つは、毎年恒例となったかれこれ40年近くのお付き合いになる古くからの顔ぶれのもの。どちらも話す内容は異なり大いに刺激を受けるが、どちらもあっという間に時間が過ぎ去っていく。他愛のない話に花が咲き、下らない事で盛り上がる日常から少し離れた世界。ずっとこのまま続けば・・と思ってしまう瞬間がいくつも訪れるのである。どちらも「鉄道」という共通の趣味を持つ趣味人の集まりだが、尊敬する先輩が宴席で言い放った「仕事仲間より趣味仲間の方が圧倒的に繋がりが深い!」という言葉が今も心に突き刺さっている。

その先輩が幼少の時代に撮影した、地元東急線の電車の写真を今回少し見せて頂いた。この先輩についての武勇伝は、ここでは書き切れないくらい多いのだが、初めて見る写真には、やはり鉄道に対する思い入れが多々感じられたように思う。モノクロのハーフサイズのカメラで撮影したと言っていたが、1コマずつ丁寧にシャッターを押されているのがわかるのだ。たとえ画像が乱れていても、撮影者の心情が伝わるような写真が並び、宴席ではあるがちょっと感動してしまった。もちろんそれは、アントンKの遠い記憶にもある電車たちで、懐かしさとともに当時が甦ってきたからなのかもしれない。

こんな想いをした今回の宴席も無事終わり、アントンKにとっても同じように思い出深い地元の電車の写真を漁ってみた。京王帝都電鉄(現 京王電鉄)井の頭線のデハ1800形電車である。もっとも好みだったクハ1258は、このデハ1800形とユニットを組んでいたが、この編成は朝の通勤時しか運転されない事が多く、撮影には苦労した覚えが甦る。写真は、冬の朝日を浴びて高井戸へ進入するクハ1258編成。前照灯こそシールドビームに改造されているが、木枠三枚窓の顔は、主力の3000形に混じって異彩を放っていた。

1979(S54)-12-08    クハ1258ほか5連     京王帝都電鉄/井の頭線:高井戸にて


クロスフィルター

2017-04-29 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

「クロスフィルター」というフィルターをご存知だろうか?

レンズに装着することによって、簡単にライト周りに光軸を付けられるフィルターのことだ。確か表現される光軸の本数も選べることができたように思う。学生時代のアントンK、当時の仲間たちで流行り出したこのフィルターを流れに従って購入、使用してみた。選んだのは「サニークロス」といって光軸が8本出る一番ゴージャス(?)なタイプ。画像はその当時、早速前照灯を漫画のように誇張できるのか試したくて、わくわくしながら根府川まで行ったときのもの。

試行錯誤を繰り返しながらわかったことは、望遠レンズで使用したときの方が表現しやすいということ。当時の一番長いレンズ(200mm)に装着して撮影したものを掲載してみる。根府川とは思えない強引な画像で恐縮だが、天気が悪い上、現像がいい加減でかなり粗雑な写真になってしまった。今にして思えば、65P型に20系という被写体は申し分ないのに、ちょっと遊びが過ぎたかなと思わざるを得ない。当時から学んでいた記録写真という領域では、かなりランクは下がってしまった。しかしデジカメ全盛の現代に、写真表現の一つとしてこのフィルターを使用してみるのも面白いかもしれない。

1975-09-30   10レ   EF65512  あさかぜ2号      東海道本線/根府川にて


劇光線!

2017-04-26 05:00:00 | 鉄道写真(EL)

強烈なスポットライトを浴びて、檜舞台に躍り出た役者のように、我等65PFが迫り来る。

狙い通りに、暗闇から一瞬の隙間で輝いたEF65PFは、自信と誇りに満ち満ちていた。

被写体以外ブラックアウトしているが、これこそアントンKの望むところ。あとに続くブルーの客車は、読者諸君の想像の世界で永遠へと繋がっていく長大編成なのだ。この暗闇に「ロマン」が隠されていると思ってほしい。少年たちの憧れや夢が、1枚の画像を通して感じられるのなら、望外な喜びである。

被写体は変われども、想いの募る1枚を求めて今後もシャッターを切りたい。

2002-08     8レ EF651112  出雲


シベリウスの交響曲

2017-04-23 10:00:00 | 音楽/芸術

北欧の作曲家ジャン・シベリウス(1865-1957)は、生涯7つの番号付き交響曲を作った。番号付きと書いたのは、「クレルヴォ交響曲」という楽曲もあり、普段一緒には語らないからである。

心の病で、人生の後半約30年以上は作曲活動から遠のいてしまったシベリウスだが、管弦楽曲から歌劇までその作品は多岐に渡っている。アントンKは、自分の親父がこのシベリウス好きだったこともあり、古くからこの名前や作品に触れてきた。とはいっても、自宅で聴いていたのがほとんどで、実演に触れることは稀であった。

若い頃は、とっかかりは「フィンランディア」に代表される小さな管弦楽曲から始まり、第2交響曲へと広がっていった。世界的かどうかわからないが、シベリウスの交響曲というとまず第2が代表曲として上がることが常だ。とにかくシベリウスは第2という図式が少なくとも日本の中にはあるようだった。演奏会でもシベリウスは第2交響曲が圧倒的に演奏回数が多いはずである。今日の大田フィルの定期演奏会でもシベリウスの第2を採り上げていた。どうして第2ばかりなのかアントンKはよくわからない。初期の交響曲は、自身が語っているように、チャイコフスキーの影響が多々見え隠れしているが、美しいメロディときらびやかな管楽器で聴衆を圧倒する場面が存在する。しかし第3以降の交響曲は、いよいよシベリウス自身の世界感が色濃く楽曲を支配し、それまでの美しい旋律や外面的な刺激が埋没していく。第7に至っては、楽章という形式までもとらわれずに書かれているのだ。

アントンKも長年シベリウスを聴いてきたが、昔とは異なり今では交響曲は初期のものより第5~第7あたりを好んで聴いている。暗く哀愁に満ちた楽曲を聴いていると、どこか自分の人生の糧となり肥しとなるエネルギーがふつふつとわき上がってくるのである。

友人が乗った今日の大田フィルの演奏会。メインプロがこのシベリウスの第2交響曲であった。こういったオケで後期のシンフォニーの選曲はまずあり得ないだろう。楽曲が小さく、オケパートに不公平さが生じるだろうから、一番メジャーな各セクションが活躍する第2交響曲は相応しい楽曲だろう。普段オーケストラを聴かないであろう今回の聴衆には、その醍醐味は伝わったはずである。しかしオールシベリウスプロで、この作曲家の意図が伝わったかと問われば、ほど遠いような気がしてしまう。それは単に技術的なことだけではなく、監督(この場合指揮者か)のどうしたいのかという意志が感じられなかったからである。この辺が在り来たりの演奏では、アントンKには物足りなく感じてしまうのだ。


轟木駅にて

2017-04-22 10:00:00 | 鉄道写真(EC)

先日秋田まで行った際訪れた五能線。思ったよりもさらに天気に恵まれず、意気消沈。かつて撮影したポイントを確かめながら移動青森県に入った。

五能線、驫木駅。これでトドロキと読む。難読駅名かはわからないが、トドロキなら地元にある「等々力」を想像してしまうのは、ごく自然の成り行きというものだ。とにかく海沿いを走る線路にポツンと駅舎がたたずんでいる。人家も見当たらず、当然ひと気もない。目の前に広がる大海原の静けさが身にしみてどこか怖い感覚だ。DCが2両やっと停車できるホームは、ここからみると映画の世界か模型の世界だ。

恨めしく空を見上げてみたものの、お日様は最後まで姿を現さなかった。タイムアウトで最新鋭のDCリゾートしらかみが通過、再訪を誓った。

2017-04      JR東日本/ 五能線: 驫木駅