アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

秋ゆく街で~183系「とき」

2021-11-29 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

毎年同じことを想いながら迎える師走。今年はいつになく超スピードで過ぎ去ってしまった感覚になっている。思えば大変な世の中の渦中にあり、感染症も落ち着いているように一見できるものの、次から次へと攻撃の手を緩めない憎きウィルス。まだまだ戦いは継続していくのだろうか。もはやマスクの日常も当たり前になり、今後も変わることは無いのだろうが、どうか来年こそは心穏やかに過ごしたいものだ。

季節を合わせて、数十年前に撮影した国鉄時代の上越線を掲載してみる。ちょうどEF64の1000番台がデビューして、EF15やEF16の最晩年の時期にあたり、同時に上越新幹線開業を2日後に控えるというタイミングだった。大好きだった181系「とき」をメインターゲットとして上越遠征した時のもの。上越国境では散々撮影を繰り返してきたので、晩年はそれ以外の未開の地へ足を延ばしていた。現在でこそ、水上までは蒸機列車まで走る路線となり、ファンの間でも知り渡った撮影ポイントとなったが、当時のひと気のない線路端で1日過ごす孤独感も、今となっては懐かしく思える。色づいた山々をバックに勾配を駆け上がる183系L特急「とき」。画像の183系は、新潟区の車両ではなく幕張区の0番台のようで、ダイヤ改正直前での臨時運用だったのかもしれない。

1982-11-13                  L特急「とき」 183系     上越線:上牧付近


団体列車が通る線路端にて / 令和編~EF58

2021-11-27 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

久しぶりに団体列車の撮影に出向いてきた。

随分前からの告知があり、それとなく遠目で伺っていたが、好天にも誘われてしまい久々の北関東へと足を向けたのだ。「時を越えて蘇る昭和の「旧型客車」レトロな気分を味わえる特別乗車体験」と銘打たれたこの臨時列車、使用された車両は、現代ではとても珍しく貴重になってしまったことは紛れもない事実。客車列車の運転でさえ、全国で貴重になった時代であり、けん引を務める機関車が、これまた国鉄時代に生まれた絶大な人気の電気機関車とくれば、おおよそ沿線はどんな光景になるのか想像がついていた。それでも、やはり一目見たくて身体が動いてしまった。列車の行路をみると、やはり撮影ポイントのメインは両毛線内の栃木県側であることは明らかで、懐かしさも手伝って行ってみたのだが、かつてよく見た光景は、雑草に覆われ、岩船山をバックに撮影可能なポイントは自然に変わっていて呆然。御召列車の撮影にも何百人も集結したポイントでもあるはずだが、そんな輝いた面影は無くなってしまった。

たった1本の臨時列車に、全国各地から鉄道ファンが集まってくるといった現象も、現代を象徴している気がしてならない。一期一会の瞬間に期待と希望、そして郷愁をもって集まってきたファン達の混じっての撮影は、若き頃のわくわくして列車を待ったあの気持ちを思い起こし、どこか懐かしく感じながらシャッターを押していた。こんな撮影も時には心の刺激として続けられたらと、考え直したところである。

今回の画像は、似た画像がネット上に多く見られるので、ここでは昔両毛線で撮影したものを掲載しておく。今回と同じような、客車4両を機関車がサンドイッチしたPP編成。写真は、同年走った御召列車の試運転列車で、EF58 61と89号機が12系客車をけん引している。この時は、ほんの数人しかファンは見かけなかったはず。これが日常の光景だった。

1996-10-16          試9654     EF58 89/12系4B/EF58 61                    JR東日本/両毛線:岩舟-佐野


京葉臨海の新しい風 「RED MARINE」~DD200

2021-11-26 17:00:00 | 鉄道写真(DL)

石油輸送の繁忙期に入り、いよいよ冬本番を迎える季節となった。8000番台の列車番号を持つ貨物列車にも目が離せないのが今の時期だろう。この冬は、何年かぶりに「寒い」との予想があるが、果たしてどうなることだろう。アントンKとしては、スタッドレスタイヤを今から準備して、冬山へ向かうイメージ作りに励んでいるところだ。交通マヒを起こすような豪雪は決して望まないが、日本の冬らしい静かな情景を見てみたいものだ。そして出来ることなら、東京でも数年ぶりの雪景色を拝みたいところだ。

今年になって、臨海鉄道にも新しい機関車が入線を果たし話題になっている。数年前から目に留まるようになったDD200というディーゼル機関車で、国鉄型であるDE10型の置き換え用として誕生した機関車。じわじわその勢力は大きくなり、今年は地方の臨海鉄道にまで登場したのだ。近年仕事絡みでよく通る、この京葉地区でも、時より赤い真新しい機関車を目にするので、今回は少しカメラを向けてきた。画像は、青空にそびえるカッコいい石油コンビナート工場をバックに、いつもより長めのタキを牽いてきたDD200-801号機。トラックが画面に入るのを承知で狙ってみたが、次々と行き交うタンクローリーがもっと来てくれれば、構想通りだったのだが、なかなか思うようには撮らせてはくれなかった。

「RED MARINE」のロゴも凛々しく、静かに通り過ぎていった。時代とともに忘れ去られていく、こういった日頃の鉄道風景こそ、郷愁を誘い懐かしく思い出されるものではないかと、最近考えさせられている。

2021-11     京葉臨海鉄道   DD200-801        浜五井付近にて


我が国鉄時代~103系

2021-11-24 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

国鉄時代に最も身近な電車は、アントンKの場合101系や103系の通勤型電車となるだろう。113系や115系と言いたいところだが、やはり当時近郊型電車には、多少の敷居の高さを感じていた。どこか遠くまで、ちょっとした旅行気分になる電車だったように思う。アントンKが物心ついた時代には、山手線はウグイス色の103系が走り、京浜東北線も大部分が103系に代わり、101系電車が最後の3本くらいだったか。そんなタイミングだったように思う。大宮へ向かう際には、山手線で池袋へ、そこから赤羽線のカナリヤ色の101系電車に乗り赤羽へ、そして東北・高崎線の115系で向かうのが常用化していた。中央線の快速である101系電車にもよく乗って、当時103系電車より乗り心地が良く感じたことも何だか懐かしい感覚だ。おそらく1970年代初めの頃だったと思われる。夏場でも冷房車などに当たることは、まずなくて、窓を全開し廻る扇風機に寄り添いながら乗車していたあの時代、確かに暑かったが、なぜかそれで耐えられたことも事実だった。山手線に冷房試作編成が2本?入ったことも当時はニュースになっていたように思う。

そんな話の流れから、今回は首都圏で撮影した103系電車を掲載。常磐線快速用のエメラルドグリーンの103系電車。とにかく早く、やたらとモーターをぶん回して走るここの快速電車は痛快そのもの。中央線の特快よりもその印象が強く残っている。冬の西日を浴びながら、轟音とともにやってきた103系電車は、アントンKには国鉄時代の一つの象徴に感じるのだ。

1981-12-09      103系快速電車     常磐線: 南千住付近


春休みの撮影旅行~東北ED75

2021-11-22 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

学生時代、春休みには決まって撮影旅行に出ていたことを思い出す。今となっては夏休みに匹敵するくらい春休みも長かったと懐かしくなっている。いったい余りある時間をどう過ごしていたのか、と考え直してしまうが、少なくとも、同じ時間空間の中でも、当時は時間がゆっくり流れていたように思える。今はあっという間に楽しい時間ほど過ぎ去ってしまうように感じる。これは毎度同じ感覚で、歳を追うごとに早くなってくるのだ。

当時毎年出掛けていた南東北地方。南といって良いのかどうか、要は福島を中心に山形、宮城までの地域に好んで足を向けていた。撮影の中心は、赤い電機だったから、赤べこナナゴにもたくさん出会い、山にはまだED77・ED78、EF71といった魅力あふれる電機も健在。いくら時間があっても足らずに帰京の日を迎えていたことが懐かしい。当時は夜行急行で出かけ、朝方現地到着で撮影開始するパターンが多かったように思う。現在では考えられないくらいの特急列車が日中でも行き交っていたから、撮影は飽きるどころか、全てを撮影することなど不可能に思えるくらい、バンバン列車がやってきた印象だ。思えばこうした撮影旅行で、鉄道撮影にも手馴れていったのだと思い返している。あらかじめの計画も、時にはくつがえることも多々あり、そうした経験は、判断力や決断力を養い、後の行動力へと繋がっていく。そう信じて続けてきた割には、相変わらずの優柔不断さはどうしたことだろうか。あまり当時から成長していないのかも。

掲載写真は、当時の東北遠征からの1枚。当たり前にように乗車して移動した東北線の普通客車列車。今ではこうした普通列車の画像が案外少ないことに気づく。走り画像だからか、あまり残されていないが、駅への進入シーンや、客車へ乗り込む情景は身体が覚えている。もっとカメラを向ければよかったと思うのはいつものこと。記録ではなく記憶にしっかり留めて置きたい。

1982-03-17   128   ED75110        東北本線:貝田-藤田