アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

往く年を振り返ると・・・

2017-12-31 14:00:00 | 鉄道写真(SL)

今年も残すところと数時間、カウントダウンに入った。アントンK自身、あまり年末を感じずに過ごしているのは相変わらずだが、せっかくPCに向かう時間を持てるのだから、少し往く年も考えてみたい。

今年は身の回りにおいては、取り立てて大きな出来事はなく、健康で平常な日々を送れたと思っている。変化がなく在り来たりで詰まらないと思いがちだが、実は何もないことが一番有難いことでもある。精神的に追い詰められたり、出来事に絶望したりと、考えれば切りがないが、こんなことが思いつかないでいられることが幸せなことだ。来る年も、まずは淡々と日常を送れればそれで良しと考えたい。

趣味活動で考えると、今年は色々と周りの方々とのご縁を感じることができて、とても良い時間を持てた。写真仲間との会合も、昨年にも増して顔ぶれが増え益々充実できたし、撮影自体も撮りたいポイントでの撮影も叶い、新たなアプローチを検討できる発想に繋がった。音楽鑑賞では、相変わらずブルックナーへの傾倒は否めないが、崔文洙氏率いる新日本フィルハーモニーのおかげで、音楽への新たなる発見と愛を感じることができた。音楽監督である上岡敏之氏の独自性にアントンKは飲まれてしまい、その音楽から絶望を希望に変える大きな光を感じ取ったのである。来年も引き続き自身を成長させてくれることは間違いないだろう。

最後になりましたが、この1年拙ブログを覗いて下さり、誠に有難うございました。来年に向けてさらに充実できるよう精進して参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

皆様、良いお年をお迎え下さい。

 

1990-10-27  9163ㇾ SLニセコ    


寝台特急「鳥海」

2017-12-30 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

山形新幹線工事の進捗で、奥羽本線の福島以北がレールの改軌工事で不通となり、それまでの「あけぼの」が陸羽東線~奥羽本線経由に迂回することになったのが1990年。その迂回あけぼのを補完する目的で運転を始めたのが、寝台特急「鳥海」だった。二往復あった「あけぼの」のうちの1本を上越線経由で走らせ、名称を「鳥海」としたものだ。山形新幹線が開業と同時に廃止されているから、短命な列車であったことは間違いないところ。しかし「鳥海」という名称は、それまでにも聞き覚えがあり、アントンKには馴染みがあった。伝統こそ感じられないが、首都圏と秋田・青森を結ぶ要として、どこかひたむきな印象があった列車に思う。

運転当初、上り列車が上野に比較的遅めに到着するスジ(上野着9時台)だったため、早朝の「出羽」や「北陸」といった列車とは違って撮影するのには好都合だった。掲載写真は、烏川を渡り一路上野を目指す「鳥海」号。

1991-12-10   2022ㇾ  EF641030  鳥海  JR東日本/高崎線:北藤岡付近


御茶ノ水を行く165系急行「犬吠」

2017-12-29 18:00:00 | 国鉄時代(カラー)

学生時代よくレコードを漁りに秋葉原へ行った。最初はクラシック好きな親父のお供でついていき、レコード屋をはしごする。石〇電気には、今にして思えばレコード専門館が林立していて、何処へ行けばいいのかわからなかったほどで、最終的にはクラシック音楽専門のビルで油を売ることが多くなった。もちろん当時は、直径30cmのLP盤しかない訳で、陳列棚の端から端までよく見に行ったもの。あのLPを触る感触も大変懐かしく思い出される。またよく店に顔を出していると、店員さんとも顔見知りになり、仲良くなって音楽の話に花が咲いた。今度のショルティの新譜は良いとか、ブルックナーの第7は・・とか、現在とは違って、全てが人づてであり、間違っていたことも多かったが、会話する数分が楽しくて仕方なかったことを思い出す。現代は、LPがCDに代わり、PCで調べてキーを叩けば、その日の商品が届く時代。便利だと思う反面、どこか空虚感が漂うのはどういうことだろう。そんな思い出のある秋葉原に今行っても、全てが変わり見る影もない。寂しい限りだ。

そんな思い出のある秋葉原界隈だが、偶然房総急行電車を見かけて、カメラを持ちだして撮影したことがある。今回はその時の写真を掲載。アントンKは、何度も書いてきたが、電車では急行型の165系が好き。幕張電車区の165系は後期の車が多く、また当時からヘッドマークを掲げての運転だったため、当時は特に気にかけていた列車たちだった。新宿発銚子行きの急行「犬吠」は、ゆっくりと御茶ノ水を通過し神田川を渡って行った。

1976-03-22     303M   急行「犬吠2号」 Mc165-129   お茶の水付近


65PFによる特急「踊り子」

2017-12-28 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

国鉄時代晩年には、今にして思えばまだ魅力的な列車たちが数多く走っていた。もちろん、鉄道を愛する人たちにとってのことだが、その一つは、客車列車の存在だと思っている。いなくなって初めて、その存在の大きさを思い知らされる思いだが、現在のJR線には、客レは無くなったといっても過言ではない。ごくごく在り来たりの列車たち、日常に同化していた列車たちが、いざ無くなると、その存在の価値がどんなに大きなものだったのかということが、身に染みる想いなのだ。

昭和も遠く思える昨今、30年以上も遡ると、臨時列車だが客車による特急「踊り子」が走っていた。当時、東京機関区所属の機関車が特急運用に抜擢され、EF58も最後の花形運用に就いていた。同区のEF65PFとも共通運用であり、今回は65PFけん引時の写真を掲載。当時は、虎の子61号機を含むゴハチの登板を期待していたファンが多かったようだが、アントンKには、この65PFの踊り子も魅力的に映っていた。九州ブルトレけん引時とは違った、観光特急らしい14系も捨てがたかったのである。

写真の84年は、東京でも大雪が降った年。都内でも白くなった見違える風景の中を撮影しようと、出かけたものだ。おなじみの撮影地も、雰囲気が変わり新鮮に感じる。ここから東京タワー、見えたっけ?

1984-02-18  9027レ EF651089 踊り子    東海道本線:大井町にて


直流電機の万能機EF65PF

2017-12-27 15:00:00 | 国鉄時代(カラー)

慌ただしい日が続き、なかなかPCに向かえなくなっている。このままあっという間に新年を迎えるのだろうが、昔感じていたようなワクワクした感じは無くなった。あまりに時の経つのが早く、そして感動を覚えることが少なくなってしまったのだ。まあいい。年相応の感じ方だろうから。しかし趣味の世界には、そんな無感動な無機質な心では納得できない。さらに高みを目指さなければ・・・

昨年のPF2139号機に続き、今年はもう1台国鉄色に返り咲いた新鶴見区の65PFが生まれた。ここでも以前から掲載している2065号機だが、こちらの方が、形態がより65PFらしくて好ましく思う。スノープロウの装着は外観の印象は大きく変わるから、アントンKに言わせれば必須条件なのだが、この2065号機にはしっかり備わっているのだ。赤プレートへの違和感は、今ではだいぶ緩和されている。

掲載写真は、東海道線を行く65PF初期型けん引のコンテナ列車。この写真で見るような通風孔が前面にあり、前照灯にヒサシの無いタイプが最もPFたるスタイルだと思っているが、こう見ると、現在のPS22のクロスパンタグラフより、写真のPS17の方がマッチしていると思える。不思議なもので、現在ではシングルパンタが主力でよく見かけるものだから、写真でひし形のパンタを見るだけで、昔とは印象が変わってしまったのかもしれない。昔はこのPS17ですら、小さく小ぶりなパンタの印象だったのに・・

今、形態云々言い始めても、これには切りが無い訳で、現在の稼働中の機関車について議論すべきことだろう。いずれにしても、更新色の65PFが国鉄色に返り咲き、そして今後もこのパターンが増えていくのかどうか見守っていきたい。

1986-10-19         EF651010    東海道本線:真鶴にて