アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

重連とともに培った鉄人生

2024-07-20 08:00:00 | 鉄道写真(EL)
 国鉄型電機が全国的にいよいよ数を減らし、また一つの時代が過ぎていくことを実感しているが、今まで長いようでとても短く感じてしまう鉄人生を振り返ってみると、機関車の重連運転列車がいつもそばにいたことに気が付く。そして重要なのは、いつもその列車にはお仲間が存在したということだ。自分一人でがむしゃらに撮影に励んでいた訳ではなく、絶えず友人達と切磋琢磨しながらシャッター切っていたのである。
 その最初の列車は、今から半世紀近く遡ってしまうが、八王子から新鶴見まで走っていた5472列車だった。1978年のダイヤ改正で誕生したこの列車は、当時八王子機関区のEF15の重連運転となった。EF15の機番すべてをこの列車で揃えようと躍起になった当時、実際には全機撮影は叶わなかったが、約10年の間、アントンKの撮影の核になっていたのは間違いないことだ。八王子機関区に老朽化したEF15に代わりEF60が配置される頃まで撮影は出来ていたが、その後自然とフェードアウトしていく。撮影回数は計数したわけではないが50回くらいか。
 そして続く重連列車は、高崎線を上る5780列車(5760・5782列車)だった。その当時(1986年~1997年)、仕事の合間に撮影していたから、奇抜な発想が出来ず残された画像はまんねりだが、ちょうどEF65が国鉄色から更新色へと代わるタイミングだったこともあり、それを糧に撮影に勤しんだことを思い出す。この列車も、時代とともにけん引機が変化して、EF60からEF65となり、回送ながら次位に電機もパンタ上げしていた時代から、次無動になった時代まで数年間関われた。撮影回数はこれまた数えたわけではないがカラーモノクロ合わせて150回くらい。
 最後は根岸から新鶴見まで重連運転になる8094列車(8097列車)。2011年3月の大震災で心に穴が空いていた当時、何を撮影しても心が満たされず悶々とした日々に明け暮れていたが、川崎界隈で知り合った撮影仲間に導かれ、あれよという間にこの重連列車の虜になっていた。特に震災翌年の2012年は撮影ピークで、5月からほぼ毎日カメラを向けたことは生涯忘れない想いだろう。時代とともに重連運転も毎日運転から荷物無しの重単機の日も増えてしまい、撮影も考慮することが増えてしまったが、最近まで運転があったこともあり、アントンKの中でも最も撮影回数は多く500回くらいか。
 機関車が減少する時代に入り、今後こんな魅力的な列車が生まれるかとても微妙だが、また新たなターゲットを探して東奔西走することも楽しいかもしれない。

 

長距離列車は夢の中~EF81

2024-07-14 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
  団体ツアー列車として存続していた「カシオペア」号だが、いよいよ引退の時期が迫ってきているようである。泊りがけのツアーは先月末で終わってしまい、今月からは客車に乗るという小規模な体験ツアーがいくつか設定されている。この手の豪華列車には、今まで縁もゆかりも無かったアントンKだから、いつも外から見てるだけで、その内そんな好奇心すら忘れてしまっていた。西日本の「トワイライトエクスプレス」をライバルにして開発されたとされるE26系客車は、実際乗るとどんな感想を持てるのだろうか。もう乗れなくなると思うと、一度は乗りたいと感じてしまうが、まあ乗らないだろう。最後まで外から有終の美を味わいたいと思っている。
 一度掲載したかもしれないが、「カシオペア」号初日の下り列車の写真を掲載しておく。あれから25年。感じ方はあっという間だが、やはり25年という月日は長い。人生色々なことがあり、それを乗り越えてきた感慨が蘇ってくる。一つの豪華列車が引退していくのも、ある意味当然の成り行きなのかもしれない。
 南浦和付近を颯爽と北へ向かう特急「カシオペア」。この時点では、時刻表にも掲載されていた列車で札幌行き。季節ごとに追った日々がこの1枚に凝縮されている。あまり人気が無かったパーイチのこの塗装も、どこか懐かしく感じてしまった。
1999-07-16     8009    EF81 89 カシオペア   南浦和付近

機関車が牽く旅客列車の魅力~EF81

2024-07-07 08:00:00 | 鉄道写真(EL)
 先週は思い当たる列車を巡り、最終的には会津まで行って、DLの牽く客車列車を捕らえることができた。ここ十数年は貨物列車の機関車を写すことが多くなったが、久々に見る客車列車は懐かしく魅力的に見えたことはとても嬉しかった。たまたま東武鉄道が運転している、SL「大樹」号がDL「大樹」号として会津若松まで延長運転される日だから好都合だったのである。昔なら、まずカメラを向けなかったであろうDE10。それに形式が揃わず編成美がない12系14系客車3両編成。話だけなら写そうなんて気持ちにはならなかったろうが、その日色々な列車を集めることで、カメラを向ける機会を作り、そして実際にファインダーに飛び込んできた列車は、思いも寄らず魅力的に見えてしまったのである。
 多分それは、列車そのものの美的魅力というよりも、風光明媚なローカル線、会津鉄道の非電化区間での撮影だったことに起因している。そして梅雨空からは程遠い晴天に恵まれたことによる、自身の気持ちの高まりから来る幸福感を感じたためだろう。やはり何事も机上で結論は出せない。実行してナンボ!だと痛感したのである。
 掲載写真は、ブルートレインの中でも運転区間が短く撮影し難かった特急「北陸」。この列車上野-金沢間を夜行で結び、上野方はEF64 1000番台がけん引し、比較的撮影するのも容易かったが、金沢寄りのEF81けん引時は、太陽を背にして走る区間が大半だったため撮影はしづらかったことが蘇る。当時はフィルム撮影だったため、結果が伴わずお蔵入りしていた画像。この日も運よく朝モヤで日が隠れたが、露出が無く厳しかった。67にRDPを装填し、増感してさらにカメラを振って撮影しているが、想い通りにはいかなかったのだ。富山を出て金沢までラストスパートをかけるEF81 140号機。ヒサシが付き、色が赤いパーイチは、最後まで違和感があり好きではなかったが、ここまで機関車そのものが減ってしまうと、そんな細かなことを言うのはご法度だろう。
 2002-07-06     3001    EF81 140 特急「北陸」    富山付近



 

”音の風景”

2024-06-16 20:00:00 | 鉄道写真(EL)
 最近は、自動車運転時FMラジオを流すことが多くなった。昔はAMしかラジオは聞かず、運転中はもっぱら耳から交通情報を含めて世間のニュースに触れていた。それとFM放送は、NHKのベストオブクラシック等、鑑賞してエアチェックという日常だったので、自動車運転中には、録音したものを聴くことはあっても、なかなかFMをかけることは稀だったと思う。
 そんな訳で、自動車が旧車に代わったということもあると思うが、少しでも聞き取りやすいFMにチャンネルを合わせている。ある時、出力の乏しいであろう車内のスピーカーから、ロクヨンの起動音がしてきてびっくり!「これは?・・」と思いすかさずボリュームをアップしたら、やはりまさしくEF64電機、それも現役1000番台の重低音だったのだ。
 NHKで昔から放送されている「音の風景」という5分くらいの番組。全国色々な音を拾って、ナレーションを伴いながら聞こえてくる音は、目の前に見えているような錯覚さえ覚えてしまうのだ。ちょうど音楽鑑賞でも同じことが言えるが、今回たまたま聞こえたロクヨンの音などは、アントンKが昔から好きだった音で、何度もビデオを回した経験から、とっさに身体が反応してしまった次第。放送の最後で、ロクヨンの甲高い汽笛が響き渡ったが、その汽笛から、走りゆくロクヨンの後ろ姿が目の前に現われ、ちょっと目頭が熱くなってしまった。ロクヨンは国鉄型電気機関車、今年で45歳を迎えるが、1日でも長い活躍を願わずにはいられない。
 掲載写真は、そんな想いからEF64 1000番台の貨物列車。上越線で生まれ育ったロクヨンセンは、やはりこの地で走るシーンが一番しっくりくると思っている。
2005-02-11    9072     EF64 1044+1041       上越線:石打-大沢
 

あの頃の上越線が蘇った日~EF64 1000 

2024-05-26 19:00:00 | 鉄道写真(EL)
 5月も残り一週間となってしまった。日々の流れは相変わらずの速さでアントンKを急かしているが、新年度になって趣味的見地からすれば充実した日々を送っている。週末が中心だが、線路端に立って鉄道撮影にも集中でき、音楽鑑賞にも過去のアーカイブの中からテーマを絞って聴くことが出来ている。これから雨の季節を迎えるから、音楽鑑賞が増えてくるだろうが、撮影にも可能な限り挑戦していきたい。撮りたい被写体やポイントは一向に減らないので、まずはそれらを熟すことが目標なのだ。
 今月は、久しぶりに新潟~福島へと遠征することができた。上越線に旧型客車が運転されるのをきっかけに計画を立て、若手の心強い友人とともに同行できたのである。上越線の旧客列車なんていつ以来のことだろう。アントンKが知る限り、2000年前後に旧客3両で走った「レトロトレイン駒子号」まで遡ってしまうのではないか。上越線でも南側の水上までは年に何度も運転はあるが、新潟側では珍しいはずだ。こんな想いを抱きながら、かれこれ数年振りの上越を目指したのである。
 数年ぶりの上越国境は、現代の鉄道では当たり前になった、沿線では草木が伸び放題の哀れな光景が広がっていた。別に驚きはしなかったが、国鉄時代から度々訪れ、広大なループ線やオメガカーブの線形は変わらずとも、岩原を中心とした高層ビル群のくたびれた姿に目のやり場を失ったのだ。アントンKの思い入れのある80年代からすれば、スキーヤーも何十分の一になったとか。時代が変わったとはいえ、やはり現実は厳しく寂しく映ったのである。
 もちろん、日中にL特急「とき」が行き交う訳でもなく、貨物列車でさえその存在を忘れさせてしまうダイヤ。目の前にはアントンKの知らないローカル線化した上越線が延びていた。今やこの日のような、イベント列車が走る日のみ活気を取り戻す、そんな路線になった現実を受け止めなくてはならない。
 数年ぶりに中里の直線に立った。沿線には旧客列車を撮影しようとファンの山があちこちに出来ていたが、近年報道にあったような過激なファンは皆無でその向きでは一安心できたのである。左奥からロクヨンが姿を現わした時、なぜかゴハチのスキー列車が蘇り、この地で心を燃やした日々の事が次々に思い出されたのである。


今回は国鉄末期に運転された、同じ場所で撮影した「重連の旅」を合わせて掲載しておく。