アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

マエストロ上岡敏之 入魂のロシアン!

2019-07-29 20:00:00 | 音楽/芸術

今シーズン最後を飾る、新日本フィルハーモニーによる演奏会へ出向いてきた。

今回は、日程の都合で本拠地トリフォニーではなく、サマーフェスタミューザへ参加した上岡/新日本フィルの方へ行って来た。プログラムは同一だが、トリフォニーの方は学生による演劇が上演されたようで、またとない機会だろうから少し残念。まあそれでも今は、いつも以上に想像を越えた内容に満足している。

ミューザ川崎シンフォニーホールでの新日本フィルはアントンKにとって初めてではないか・・今年でホール15周年を迎えたそうで、相変わらず月日の経つのは早いものだ。その間、あの大震災で一時期ホール閉鎖の期間があるなど、心配もさせられたが、今回久しぶりに会場に足を踏み入れてみて感じたことは、シューボックス型でないことは良いとして、やはり螺旋を描くように配列された座席は、未だに違和感があり、気持ちが落ち着かない。また今回階段がやたらと多いホールであることにも気が付いてしまった。聴衆の中では高齢者も多い中、移動がかなり大変な方々にも遭遇したのだ。確かに他に類を見ないコンサートホールだろうが、構造上、聴衆には優しくないと言わざるを得ない。音響が個人的には素晴らしい響きなだけに残念でならないのである。

今回の演奏会は、ロシアの名曲の2曲が並び、前半はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そして後半にプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」と続く。総じてどちらも上岡色のさらに濃い、推し進めた解釈が聴けたが、どちらの楽曲にも共通することは、楽曲の印影が今までになく美しく描かれ、ちょっとしたフレージングの妙に息を飲み、透明度の生かされたキリっとした音楽表現は、今まで体験が無かったように思う。また「ロミオとジュリエット」について言えば、バレエ音楽としての域を越えてしまい、聴こえてくる音楽だけで景色が想像できるような、大胆かつ激烈な表現が嬉しく、終始聴き入ってしまった。もちろん新日本フィルの各パートのトップ奏者達も冴えわたり、美しいメロディだけに流されず、響きのなかに真実の愛があった。コンマスの崔文洙氏の響きも最高で、いつもとは位置が違う2階L席でも、それとわかる豊満な音色に癒されたが、今回はVlaトップの井上氏、Vcの長谷川氏そして木管楽器群にまで広がりを見せ、この辺の細かな臨場感は、まさに上岡敏之の世界観なのだと思っている。想像するに、前日演劇付きで演奏された内容とは、かなり違った表情を見せたのではないか。視覚的要素が加わる分、音楽の流れが見えにくくなるのではと考えさせられたのだ。

さて次シーズンに向けて期待の高まる上岡/新日本フィルだが、そのトップは、はたまたブルックナーが聴ける。今度は第7交響曲であり、過去ウッパタール響で聴いた演奏からどう変化しているのか今から楽しみでならないのだ。

フェスタサマーミューザ2019

ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番 ハ短調  OP18

プロコフィエフ バレエ音楽「ロミオとジュリエット」組曲から

アンコール

ラフマニノフ  練習曲 OP39-1

指揮   上岡 敏之

ピアノ  小川 典子

コンマス 崔 文洙

新日本フィルハーモニー交響楽団

2019年7月28日 18:00

ミューザ川崎シンフォニーホール

 

 

 

 

 


EF641000が産声を上げた頃・・

2019-07-26 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

上越国境に君臨していたEF16や、本線貨物列車を担うEF15を淘汰するために生まれたEF641000番台も、はや誕生から40年を迎えようとしている。アントンKの年代は、ちょうどその誕生から今日までの間、ともにリアルタイムで生きてきたため、愛着があるファンも多いと想像する。アントンKはと言えば、より大型になった1000番台より、厳つい顔で大きな通風孔がサイドを埋めている0番台の方が好みであるが、この1000番台との関わりも最近になって随分長く感じているのだ。

このロクヨンセンは、最期の国鉄型電気機関車として未だ現役の機関車だが、近い将来を考えると必ずしも楽観視は出来ない。現状では、貨物機は愛知に集中配置されているが、今後荷主の動向により大きく影響を受けることは間違いないところで、世の中の動きそのものが、機関車の動向を左右するといっても過言ではないはず。趣味的見地から見れば、またもや悲観的に成らざるを得ないのだが、これからも色々なシーンに出会い、残していければと思っている。

EF641000番台は1980年のデビューだが、当時の上越線でいきなり出くわしたことがある。この時代は、EF16が最後の活躍をしていた時期と重なるが、アントンK自身も、今から思えば鉄道撮影に精進していた時代。見るもの全てに感動し、自身の血や肉となるのがわかったくらいだった。そんな思いのアントンKも、いよいよ来る時が来たと、ピカピカのEF641000を見て思ったものだ。当時の数々のシーンから今回は、EF641000番台の性能試験列車を掲載してみたい。ご覧のように、先頭のEF64の0番台(75号機)がけん引している形だが、ピカピカのEF641002号機との間には、機関車性能チェック用のマヤ10が繋がっていた。1002号機のパンタグラフは上がっていないが、何やら多くの配線が運転席に引き込んであることがわかる。あとに続く12系は、12両編成と長く、こんな編成で上越国境を何往復もしていた記憶が蘇ってくる。

あれから40年、車体更新色が徐々に国鉄色に戻り、山用の電機が東海道を、成田線をも闊歩する時代。趣味人としては、少しでも他の機関車との差別化を見出したいが、それも現代の効率化優先の中では許されないのかもしれない。

1980-09-10  試9722ㇾ EF6475+マヤ102001+EF641002+12系12両  上越線にて


165系で走った快速「くじらなみ」号

2019-07-25 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

子供たちは夏休みに入り、梅雨明けの発表が連日続くようになってきた。いよいよ夏本番の様相を呈し、暑さにある意味覚悟しているところのアントンK。あまり暑すぎるのも嫌気が指すが、冷夏だと物足りない、何とも贅沢な思いになっている。

昔を思うと毎年この時期、新前橋電車区の165系を使った海水浴臨を狙いに出向いたものだった。海なし県である埼玉、群馬の方々を新潟の海まで輸送する快速「くじらなみ」号である。確か2往復設定で、1本は熊谷発、もう一本は高崎発だったか・・運転日も限られていて平日のみだったように記憶している。JR化後も、この季節臨は残存して末期の時代には、列車名も変わり183系で運転されていたと思う。御多分に漏れず、レジャーへの考え方そのものが変化してしまい、この手の列車も自然にフェードアウトの道をたどったようだ。

165系好きなアントンKだったから、毎年通った時代もあるが、モントレー色と呼ばれる外装色に変わったり、減便されたりで、足が遠のいていったことを思い出す。何といっても、当時165系電車にヘッドマークは珍しく、他を探せば冬季に臨時で走った幕張の165系を使った「ハイランドスケート」号くらいなもの。期間は限られたが、気合を入れて上越を目指したことが懐かしい。

今回は、国鉄時代に撮影した快速「くじらなみ3号」。この時は、時間の関係で渋川近郊で撮影しているが、新潟県側で撮影が叶ったのは、もっと後になってから。出来ればこの時代から遠征すべきだったと、いつもこの画像を見て思い返してしまう。まだ厚化粧もなく、原型にほど近い165系は、頼もしくカッコよく見えるのだ。

1986-08-07  9723M 快速「くじらなみ3号」  上越線:八木原付近にて


御召機DD51842~永遠に

2019-07-22 16:00:00 | 鉄道写真(DL)

全国的に数を減らしているDD51ディーゼル機関車。国鉄時代、蒸機に変わって活躍し始めた機関車も、改めて見直せば、数えるほどになっていることに気が付く。同時に入れ替え機だからと言って、嫌っていたDE10についても同じことが言える。今や環境、作業効率化を考えると、ディーゼル機関車は無用の長物なのか。今後、電機とは違った使い道、生かし方があるのではないだろうか。すぐに廃止ではなく、危機管理の面からも、JR各社には今一度検討して頂きたい案件だ。大震災や大雨による災害時の石油輸送、物資輸送を担い達成したのは、まさしくこの凸型機関車なのだから・・・

平成の御召列車で活躍したDD51842の晴れ姿を掲載しておく。どんな機関車でも綺麗に磨かれた機関車はいつ見ても気分が良い。しかも晴天順光では、それが際立ち気持ちが高揚する。機関車の前に掲げる旗はいらない、と言い放った親しい畏友の気持ちも、とてもわかる気になっている。

1997-10-06  回9603ㇾ  DD51842 第一号編成   JR東日本/釜石線:宮守付近


蒸機の雄叫びを聞け!

2019-07-21 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

相変わらずの梅雨空に、いい加減嫌気が指しているアントンK。昨年を思うと、今頃の東京は猛暑が連日続いていて、すでに夏バテ状態だったことを思うと、今年はその点は身体が楽に思ってしまうが、太陽を見ない分、何事にもやる気が無くなり、無関心になり困りもの。今は早く熱い太陽が見たい。そんな気持ちだ。

昨年から運休が続いていたC57180が、いよいよ出場して試運転を繰り返しているらしい。その間運転されていたDE10による「ばんえつ物語」号も、やはり役不足の感が否めなかったから、待ちに待った復帰だと言えるのではないか。今年は久しぶりに会いに行きたいと思い時刻表をめくっている。

ここでは、同じ磐越西線でもC58が入線した時のもので、SL「えちご阿賀野」号。この年は春まだ浅い3月の磐西で小雪交じりの中、とても秩父では出会えなかったC58の表情に感動した時の一コマ。露出は全くなく、それでも強引にシャッターを切り、爆発寸前ともとれる爆音で発車したシゴハチに初めて心からシビれた思い出の1枚だ。

1997-03-08   9239ㇾ  SLえちご阿賀野号 C58363   JR東日本/磐越西線:三川にて