アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

GWの小さな楽しみ~EF64「アルプス54号」

2022-04-29 05:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
いよいよ今年もGWに突入。10連休する猛者も周りに存在するが、アントンK
のGWは、日常とあまり変わらない。天気にも恵まれリフレッシュできる日々を送れれば、ただそれでけで満足しそう。
昔から連休にはあまり予定を入れないことが多かった。もちろん例外もあるが、出歩くもの単発で動くことが多かった。今回は、そんな散歩の中から1枚掲載しておく。
当時から好きだった中央線の急行客車列車、「アルプス」号。駆け出しの時代から気になる存在で、列車が消滅してしまうまで何度か撮影にトライしていた。夜行で下り、翌日午後に戻ってくるダイヤは昔から変わらず、撮りづらい午後の上り列車にアタックした時代が懐かしい。いつも「晴れ!」に拘っていた当時でも、この列車は例外中の例外だった。偶然にも重連で山を下りてきて歓喜した時の画像を貼っておく。

1979-04-28    8404 EF64 33+35   アルプス54号  高尾付近

北海道の新特急色復活!~キハ183系500番台

2022-04-27 19:54:02 | 鉄道写真(EC)
JR西日本の381系電車の国鉄色復活に続いて、JR北海道でも、国鉄時代末期に登場した新特急色と呼ばれる塗装車が復活することがわかった。GWをいよいよ目前にして、JR各社が鉄道150周年という記念すべき年にイベント合戦の様相を呈してきた訳だ。
未だコロナ禍ではあるものの、世の中徐々に動きが出てきており嬉しい反面、やはり感染者が益々身近になってきている現状では、決して油断できる状況ではないことも最近改めて思い知っているのである。何も考えずに、フラッと旅に出られる日はまだ遠いのだろうか。鉄道業界も明るい話がなかなか聞けずにいる状況だから、せめて鉄路を感じて新たな旅の思い出を刻みたいのだ。
今回復活した新特急色に合わせて、4連の写真を探してみたが、真面にお見せできる画像がなくお恥ずかしい限り。この連休から運転されるのは、特急「オホーツク」と「大雪」とのことだが、アントンKの手元には特急「北斗」しか無かった。全国共通の、いわゆる国鉄特急色のキハ183系が一番好みだが、民営化目前でこの貫通扉のついた500番台がデビューした時の印象は、やはり衝撃的だったことを思い出す。各社それぞれ個性豊かな車輛へと移り変わっていく予感がしたものだった。 
1989-07-30       キハ183系 特急「北斗」 函館本線:礼文華付近


宗教臨に活躍したEF58を回顧する

2022-04-26 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)
「宗教臨」という言葉も聞かなくなった・・・。
国鉄時代には、この手の団体臨時列車が多数運転されていて、いわゆる時刻表には載っていない列車がたくさん走っていた。当時のアントンKは、線路端でそんな列車に出くわすと、突然の出来事に対応が付かず、いつも涙を飲んでいたことが多かったのだ。そしていつかとことん撮影したい、と意気込んで撮影した写真が今回のもの。早朝からカメラを構え、定点撮影のごとく覚悟を決めて撮っていたことを思い出している。
当時の宗教臨とは、富士宮にある創価学会へと向かう団体客を乗せており、全国から身延線富士宮に向けての列車があった。当然ながら、東海道線経由で乗り入れ、大部分が客車列車だったから主に東京機関区のEF58けん引がけん引していた。もちろん当時の東京区にはEF5861も在籍しており、運が良ければ出くわすこともあったのである。あれから40年以上の歳月が経ち、こんな臨時列車の存在すら忘れてしまいそうになる。が、普段見られないEF58が宗教臨を牽いてやってきた時の感動は、今でも忘れられないでいる。楽しかった。
掲載写真は、そんな宗教臨の画像。この日は、撮影データによると、6314ㇾ(EF58124)・6344ㇾ(EF58154)・8346ㇾ(EF5861)と立て続けに上ってきている。この3本のうち、8346ㇾのみ12系客車で、他は一般客車で上ってきて往年の「高千穂・桜島」か?と錯覚するくらい印象的だったことを思い出している。大昔の楽しい思い出。記憶から消される前に・・

1976-05-05     6314 EF58 124          東海道本線:真鶴-根府川

赤い電機と黒い貨車~ED75

2022-04-24 15:00:00 | 国鉄時代(カラー)
旧型客車も懐かしく感じるようになったが、貨物列車も二軸の貨車を連ねた編成は、随分と見ていない。今では、コキというコンテナを載せる専用貨車が一般的となり、石油のタキ石灰のホキを除くと、貨車形式はかなり少なくなったと言わざるを得ない。アントンKは、昔から貨車の形式まで拘りを持てず、連ねた編成までは考えが及ばなかったのだ。しかし、こうして貨車の種類が減ってしまうと、独特の走行音を残して走っていた貨物列車が懐かしく思い出されるのである。
一時期、青いワム編成の貨物列車が走っていて、ファンの間で話題になっていたことがあったが、あの列車とて廃止されてからかなりの年月が経ってしまった。あればあったで気にも留めず、見られなくなると当時より気にかかるという何とも言えぬ感情が湧いてくる。全国あれだけあった貨物取扱駅すら激減してしまった現状では当然の話だが、当時から視野をもっと広く持つべきだったか、と思うことも増えてしまった。
掲載画像は、東北線では当時当たり前に走っていたED75が牽く貨物列車。あの頃は客車列車一辺倒で、どちらかと言えば貨物列車は二の次だったかも。精一杯の活動だったことには違いないのだが・・・画像を久しぶりに観ていると、二軸貨車特有のジョイント音が脳裏に響きわたる。真っ赤な機体に、黒い貨車。ED75は、ローカル貨物でも似合っていたと今でも思う。
1980-11-03            ED75 92          東北本線:金谷川付近

雑形客車の魅力!再認識~ED77

2022-04-23 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)
たて続けに、週末に雑形の客車列車が走っているようでザワザワしている。一応この時代、客車列車そのものが貴重であり、機会があれば出向きたかったのだが、結局行かなかった。天候不安定が出鼻をくじかせたが、DE10型客車3両という編成そのものに、少し拒絶があったようだ。しかしこの時期、春爛漫の各地で時間を過ごすだけでも、心の栄養となったのかと思い返すと、多少後ろ髪を引かれていることも事実だ。また次の機会に模索したいと考えている。
そんな想いから、磐西の普通列車の画像を取り出してみた。国鉄時代、普通列車は、キハに混じって客車列車も設定があり、旅の足としてお世話になったもの。東北地区の客車の中では、比較的早く50系に代わってしまった記憶があるが、スハのボックスシートを占領して、窓を大きく開け流れる景色を眺めるのが日常だったあの時間こそ、一番の貴重体験だったことに今さら気づくのである。
急行「ばんだい」の夜行列車で翌朝猪苗代に着き、てくてくと撮影地を探しながら線路端を歩いた思い出。この日はお座敷列車が走り、それをメインで訪れていたようだ。
1980-09-15  222列車  ED77 4         磐越西線:猪苗代付近