アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

2015年に向けて・・

2014-12-31 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

あと数時間で激動の年2014年が過ぎていく。

振り返れば今年も色々とあったが、人生も後半となればそれも当り前のことだろう。そう思えるような余裕のある心を持ちたいものだ。

まもなく新年を迎えるが、自分にとっていったいどんな年になるのだろうか。少しずつでいいから、螺旋階段を上って行くように気持ちも上へと浮上していきたい。いつもそうは思っているが、新年は希望を確かな確信し変えていきたい。

春には、とうとう最期のブルトレである「北斗星」が臨時化されて、余命いくばくもなくなる。今まで散々撮影はしてきたものの、やはり列車の有無の差は本当に大きく、痛感しているところ。今まで撮影の中心にあった客車列車たちが淘太され、気分的には落ち込むかもしれないが、音楽で言えば、楽章が次へと進んで行くようなもの。新たなターゲットを見い出して、楽しめればと思っている。年齢を越えて趣味で繋がった仲間たちと新たな展開ができれば、さらに幅が広がり充実した時間を楽しめるはずだ。

写真は、春のダイヤ改正で新たな展開を見せそうな金太郎ことEH500。いよいよ東海道線進出が現実となるのだろうか。

今年一年、お立ち寄り頂きまして誠にありがとうございました。皆様にとって来る年がより良い年になりますよう祈念致します。そして来年も相変わらず宜しくお願い致します。

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2014(H26)-12-27      6093レ EH500-38       JR東日本/東北本線:黒磯-高久

 

 


チェリビダッケの解釈と体験

2014-12-28 18:00:00 | 音楽/芸術

チェリビダッケの重要なレパートリーとして、ブルックナーが上げられることは誰も異論のないところだと思うが、彼が生涯にわたり指揮してきたブルックナーは、その解釈は大変独特であり、個性の強いものだった。今にして思えば、チェリビダッケは生前演奏の録音は許可しなかったので、CD録音は、ほとんど無く、(プライベート版と呼ばれていたCD-Rはいつも溢れていたが)その大変独特な音楽の世界に触れるためには、実演を聴くこと以外にはなかった。とは言っても、アントンKがそのCD-Rに手を出さないはずもなく、一時は狂ったように聴いていたことをここで白状しておこう。しかし実演にも運よく触れることができ、85年のサントリーホールのこけら落としでの来日時のブルックナーの第5、そして90年10月に開催されたブルックナーチクルス(第4・第7・第8)、最後になったが、93年のブルックナーの第3・第4と、計6回足を運ぶことができた。

チェリビダッケ自身が生前、「レコードは音の缶詰。音楽ではない!」と言っていたが、彼の演奏会に行くとその意味が少しわかった気がした。確かに、彼の演奏会には、ある種の独特な雰囲気、オーラが音色に加わっているように聴こえた。これは、当然録音したものからは、よくわからない。チェリビダッケが「音楽は体験」と言ったが、まさにこのことだとわかったもの。少し大袈裟にいうなら、もう何十何百回も聴いているフレーズから、まだ聴いたことのない音色が伝わってくる。これが新たな発見であり、真の芸術なのかと当時は興奮したものだ。こんな演奏会場に身を置いていると、世間でよく言われている、チェリの演奏はテンポが遅い、などという間違った解釈は、本人とは別次元のことだろうから、きっと嘆くに違いない。そもそも演奏時間を他と比較すること自体ナンセンスなことなのだろう。あくまで保存のできない音楽として、今生まれてきたものを他と比べるのはどうかしら?チェリビダッケの持論からしたらこうなるだろう。

過去に何度か聴いた彼の演奏会を思い出して、今そんなことが甦ってくる。未体験で新しい発見の連続だった演奏は、演奏中は日常が非日常になり、未知の世界に連れて行かれる感覚になる。いつまでも聴いていたい衝動に何度陥ったか。悲しいかな演奏が終わった時、圧倒的な感動と充実した心を持って日常に引き戻される。そういった経験を持てたことを今誇りに思っている。

いくら文字で書いても、こんな拙い文章では伝わらないが、自身の想いを忘れないためここに記載しておく。


高崎機関区 撮影会

2014-12-24 20:00:00 | 10年前の足あと

当時、未だに特急色で活躍していたJR貨物のEF65の500番代を並べた撮影会があった。535・501・539・541号機の4機がHM付きで綺麗に並べられていた。狭いところに多くのファンが押し寄せたと記憶しているが、天気もよく、他の貨物機EF64やEF65も一般機も別ステージで並べられていたと思う。今にして思えば、当時10年前は、まだまだ国鉄時代を引きづっていたが、この10年でかなり変化したと感じている。そしてまたこれからの10年は、どうなっていくのか期待と不安が入り混じっている。

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2004(H16)-12-11                       高崎機関区にて


「・・・」~帰ってきた特急「富士」

2014-12-21 18:00:00 | 鉄道写真(EL)

暮れも押し迫った師走の金曜日、懐かしいブルートレインが東海道線を駆け抜けた。

EF65のP型牽引による特急「富士」がリバイバルされたのだ。編成こそ短いものの、65P型牽引、それも往年のHM装着となれば、いやが上でも撮影したくなるのが心情。しかし平日は時間的にも厳しいものがあり、結局仕事の合間の撮影という、何とも中途半端な気持ちで撮影地に向うことになったのであるが・・・

この日は、冬晴れ。朝から気持ちよく空は澄み切っており、撮影にはベストなコンディションが続いていたが、こうなるとどこで東京14時発の「富士」を狙うかが問題となってくる。可能な限りサイド光にて撮影したいが、限られた時間の中で行けるポイントは、結局戸塚付近となった。おそらく暗いうちから準備していたような撮影者が多く、その中でどうにか場所を確保してその時を待つ。「富士」が来るまでの約1時間の間でも、冬至に近いこの日は、刻一刻と影が変化して、手前のビルの影が長く伸びだしており、かなり良い好みの光の中では想定外であった。「富士」通過予定時刻14:31が近づいたその時、並走して走る横須賀線が戸塚駅に入るのがわかった。「う~ん、これは?」ここ数年の朝練でスカに食われることには、免疫ができているつもりだったが、まさかこの場でやられるのか?といやな予感がして、これまた想定外。

こういう時に限って、その予感は的中してしまうのか。そうこうしているうちに、定刻14:31,戸塚駅に差し掛かるEF65P型のヘッドライトが見えてきてしまった。何と、先行していた横須賀線(実際にはSSライン)と並走で戸塚駅を出てきたではないか!仕方なくゲストを向かい入れようと、とっさにカメラを右に振りシャッターを切り始めた瞬間、背後から「バ~ン!」と上り東海道線がファインダーに飛び込んできてしまい、これにて一貫の終わりと相成った。

鉄道写真には、当然抵抗勢力は数多い。時にそれは、一筋の雲だったり、あるいは帰宅を待つ家族であったり・・何でこんな苦労をしながら、撮影しているんだろうと、冷めた気持ちになることもしばしば・・・

しかし今回のような「カブリ」はどうも後味が悪くて困ったものだ。カブリのないところで撮影すれば良いだけなのに、そのリスクをさて置き、果敢にチャレンジを試みる。希望通り撮影出来た時の満足感を考えながら、一か八か、白か黒かの勝負に出たわけだが、二度々同じ撮影は出来ない結果有りきの写真の世界。やはり厳しいものがある。逆に言えば、それが次へと繋がっていく原動力なのかもしれない。

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2014(H26)-12-19           9003レ   EF65501      JR東日本/ 東海道本線:戸塚付近


クラシック 再び!

2014-12-20 18:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

先月から、地元東急線で7600系が帯を外した昔の姿で走り始めて注目を集めている。

現在7600系は1編成しかなく、黒扉の赤ラインのいわゆる「歌舞伎塗装」車であった。これが全ての帯を外して昔のいで立ち、つまり7200系風に変わった(戻ったというべきか)から、中々の衝撃があった。この7200系といえば、中学~高校生時代、通学でお世話になった東横線の急行運用が懐かしい。8連の運転で、7000系に混じって運転されていたが、うまくこの7200系にあたると嬉しかったもの。当時、こんな日常はカメラに収めていなかったから、今更ながら悔やむところだが、不思議とその頃の思い出はよく今でも記憶されている。

原型に直すということは、どういうことなのか、公式のようなものが出来てしまっているが、末永い活躍を期待したい。

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2014(H26)-11-27    東急7600系 7601F        池上線/池上付近