アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ロクサン(EF63)が消えた日

2019-09-30 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

9月30日と言えば、自然と思い出してしまう忘れられない日。信越本線の碓氷線(横川-軽井沢)がこの日を以って廃止になった日だ。

1997年9月30日のこと。すでに22年前まで遡ってしまう。長野新幹線開業と同時に廃止になると聞かされたのは結構前からだったが、マスコミ発表と同時に、沿線はマニアが集中するようになり、撮影もままならないと晩年はあまり近づいていない。ただ、この区間の主EF63の一部が茶色になり、お別れのヘッドマークを掲げ出したことを知ると、一時集中的に通ったことを思い出している。週末を避け、天気の良い平日の早朝をメインとし、たった一人でお別れを惜しんだものだ。朝日に輝くロクサンの重連を見た時、本当に消えてしまうのか?!と何度思ったことか。それほどロクサンは美しくたくましく見え、まだまだ現役を貫ける様相だったことを昨日のことのように思い出せる。山にコダマするロクサンの雄叫び!大好きだった。

掲載写真は、営業最終日に撮影した、ここの看板特急だった「あさま14号」上野行き。明日からはその名を新幹線に渡すのだ。ラストは、この区間の最急勾配66.7‰の勾配票とともに写しとめたく、悲し気なロクサンとともに記録してみた。峠で釜めしを広げ、ロクサンの雄叫びを聞きながら食ったあの味は、今でも忘れられない。変わり果てた横川界隈は、見るに堪えず、今でもアントンKの中では封印している。

1997-09-30    3014M    あさま14号 EF6325+24    信越本線:軽井沢-横川にて


御召列車は夢の中へ

2019-09-29 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

この週末、久しぶりに御召列車が走った。

平成の時代が終わり、令和初の御召列車ということで、ずっと気にかけてきた列車であることは間違いなかったが、週末という事で諸々の野暮用と重なり撮影は断念した。天気も予報よりもはるかに好転し、沿線はどこも賑わったのではないだろうか。今では、インターネットで手軽に直後の画像が色々と見られるから、早起きして出向き、現場に行ってカメラを構えても、どこか気持ち半分に成りかねない。すでに他人様の画像で満足しているのかもしれない。御召列車は、特別な列車だし、なかなか見ることが出来ないことは分かっているが、やはりどう撮りたいかという発想が沸かなかった場合、それは単なる義務感でシャッターを押しているだけで、自分の中の記憶から薄らいでいく画像になってしまうことは明白なのだ。長年の経験から、自分が撮影したいものを撮影するという当たり前の基本に立ち返り、世間に流されない強い独自性を保ちたいと、最近では思うようになった。

過去に何度かE655系御召の撮影チャンスがあり、その時の画像でもよいが、今回はアントンKが初めて御召列車を撮影した時の昔のものを掲載しておく。やはり秋の国体で御召列車が走った時のもの。高崎線から碓氷を越えて長野へ入り、帰路は中央線経由で帰ってくる経路だったと記憶している。まだ駆け出しのアントンKには、午後の中央線の撮影場所が解らず、それまで何度か行った鳥沢で撮影したようだ。快晴の天気でド斜光を受け、非常に難しい条件の中での撮影となり、お恥ずかしい画像と相成った。当時はこれでも満足だった記憶があるが、それだけ心が純粋だったとも言えるのか。

1978-10-16  御召列車 EF6458  第一号編成    中央東線:鳥沢付近

 


国鉄の湘南電車~111系

2019-09-27 15:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昔の古い画像を見返していくと、撮影していた時代の記憶がおぼろげになっていることに気が付いてしまう。さすがにメインで撮影した列車のことは覚えているが、その前後や、行きがけ帰りがけの画像は記憶から抜け落ちているものも多くなった。いくら好きな趣味で続けてきた撮影でも、思い出せないのは気分が悪く「老いるショック!」を受けてしまう。

CDショップに立ち寄り、何か掘り出し物はないかと、陳列棚を隅から隅まで覗いて、オオッ~これはという物を見つけ、喜び勇んで急いで帰宅し、プレーヤーに掛けると、何と!これ持ってる!となる。とてつもなく大きな罪悪感が襲い掛かるが、なんか言い訳を見つけては、それも忘れていく。人間は「忘れる生き物」と言われるが、忘れることがどんなに幸せかとも思えるのである。

東海道線をいく111系ローカル電車。国鉄解体から時間が経ち、「湘南電車」とは呼ばなくなった。最近この塗装を「カボチャ電車」と呼んでいるのには驚嘆したが、アントンKも散々お世話になっていた電車でもあり、好きな塗色だけに少し寂しく思える。やはり今思えば、ブルトレやゴハチの影で、地味だが存在感のあった車両の一つのように思えてならない。先頭車は、111系でも初期のクハ111。グローブ型ベンチレータが今や懐かしく感じる。大きな前照灯のこのお顔、好きだった。

1984-08-19            東海道本線:菊川-掛川


函南の定番/EF66「富士」見参!

2019-09-24 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

前出から引き続きで、函南の築堤での画像を掲載。

すでに30年以上前の画像だから、現在同じように撮影出来るはずもないが、参考までに続けさせて頂くことにする。ちょっと画像をひっくり返して調べてみたら、この付近の木製ポールは1984年くらいまでかと思われ、1985年1月の画像では、真新しい白いコンクリート製に付け変わっていた。今回の掲載画像は、1985年11月のもの。時期を考えると「竹倉」との掛け持ちではなく、朝のブルトレをここで集中的に撮影しているようだ。この年、ブルトレけん引機がEF65PFからEF66へとスイッチされ、アントンKもいつになく気合が入っていた時代なのかもしれない。憧れのサンニッパを手にして、線路端へ出たあの頃が懐かしく思い出される。この時代に云々言っても嫌がられるだけだが、前回のEF6627、ニーナと見比べて欲しい。頭に載った弁当箱がいかに見苦しいか、お分かりいただけるはずだ。もちろんパンタグラフは、原型のPS17がいい。

1985-11-16   8ㇾ  EF6645 富士   東海道本線:函南付近

 


思い出の地で現代の人気カマを・・

2019-09-23 14:00:00 | 鉄道写真(EL)

地方遠征先で撮影仲間に偶然出会い、今回の列車の詳細を知らされた。よくよく考えてみれば、つくばエクスプレスの新車、それの甲種回送というだけなのだが、機関車をわざわざ吹田区でEF6627号機に差し替えて、しかも特製のヘッドマークまで用意して運転させるという、「やらせ」振りに感動すら覚え気持ちを持っていかれたのである。

それでも心半ば、半信半疑でどこで待ち受けるかも決めることが出来ず、鉄道撮影の大家J氏のご意見を伺った。まあ顔を見て話し合えば、奮起することはわかっていたが、やはりというか、案の定気が付けば撮影地に心は向かっていた。

この日は台風接近に伴い、不安定な天候が続き、また日没も早いことから、西に行けば行くほど撮影には有利になることはわかっていたが、アントンKの許せるギリギリの選択地として函南を選んだ。この函南の地には思い出もたくさんある。もちろん話は、国鉄時代、ブルトレ全盛時代まで遡ってしまうが、富士山バックのブルトレを狙いに出向いた時、富士山の見え方で、この函南は僕等のセカンドポジションとなっていたのだ。予報を見て、明日は必ず晴れて富士山を拝めると確信して床に就いても、実際には道中に何度も裏切られた。晴れていても、富士を拝めるかは別問題だからだ。富士が綺麗に見えず、心が不完全燃焼の時、この函南の直線へとやってきて、トンネルを飛び出してくるブルートレインに気持ちをぶつけていたのだ。

何十年か振りの函南は、やはり変わり果てていた。富士山バックの名撮影地「竹倉」が撮影不可になった時期と同じ頃かもしれず、調べてみないと明確には語れないが、架線の支柱が木製から太いコンクリート製へと変わり、上下線間の仕切りロープ(通称タイガーロープ)が張られてしまうと、それ以降は全く疎遠になってしまっていた。もしかしたらJR化以降、今回の訪問は初めてかもしれない。そんな他愛もないことを妄想しながら列車を待った。

掲載写真は、そんな懐かしい想いを感じながら撮影した中の1枚。普通ここでこんな撮り方はしないだろう。昔は、踏切の向こう側の直線区間が撮影ポイント。今ではそこまで近づけずホームの西側よりからカメラを向ける。複線トンネルは当時と変わらなく見えるが、電柱、架線は張り巡り大きく様変わりしていた。ここで当時のブルートレインと同じポジションで、敢えて切り取ってみた。人気者の機関車が牽く甲種回送の画像は、今やSNSで五万と見られるから、それで楽しむのも現代の鑑賞法の一つだろう。アントンKは、もう横並びは卒業だ。独自性の強い新たな世界を目指したい。

2019-09-22 8862ㇾ EF6627  TX-3000 甲種回送 JR東海/東海道本線:函南にて