アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

春の伊吹山麓を往くEF58

2020-02-27 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

東海道本線には、先人たちが築き上げた数々の定番撮影地というポイントが存在する。もちろんこれは、東海道に限ったことではないが、国鉄末期の時代、そしてEF58が終盤を迎えるというタイミングではあるが、アントンKはせめて一目でわかるポイントでEF58を撮影しておきたいという欲望を当時は持っていた。早川や根府川の鉄橋に始まり、先日話題にした富士山バックの竹倉温泉、金谷-菊川の茶畑、浜名湖畔等々、列記したら止まらないが、それぞれの特徴ある撮影地を巡り自分なりに撮影を楽しみたかった訳だ。ブルートレインも当然ながら視野に入れつつ巡った思い出を今更ながら振り返っているが、残された画像からは、とても純粋な想いが伝わり、間違いなくこれらが青春の断片であることが容易にわかった。

掲載写真は、東海道の有名ポイントの一つである伊吹山バックを走るEF5868の14系客車。これは、前日夜東京を出た臨時の「銀河」の返却回送だったと思うが、わざわざ機番を調べて向かうのではなく、撮りたい撮影地で初めて機番を知るような、今にして思えば実に原始的な撮影だが、こんな想いもとても懐かしく感じてしまう。当時、地図を見て初めて分かったことだが、この区間である柏原-近江長岡間は、線形が大きく迂回していて、特に午後の上り列車には好都合のポイントだった。もちろん今でもその線形は変わってはいないから、当時を振り返りながら再訪するのも良いかもしれない。

1983-03-20 回8106ㇾ  EF5868   14系客車12両編成 東海道本線:柏原-近江長岡


レサ10000を連ねた鮮魚列車の魅力

2020-02-26 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

昨日をもって、長年運転されファンの注目を集めていた石炭列車が廃止された。かつては多々運転され地方でも見ることができた石炭列車だが、最後の生き残りが我々の前から消えていった。また一つ個性的な列車が見られなくなると思うと切なくなるが、これも時の流れ、致し方ない事なのかもしれない。

アントンKにとって、こういった専用貨物列車で一番に思いつくのは、東海道線で見られた鮮魚列車だ。当時のダイヤは調べていないが、深夜のうちに九州から生きた魚を満載して関東へと運んでいたはずだ。種別はもちろん特急貨物列車で、空気ばね台車を装備したレサ10000型を連ね、当然ながら最後尾にはレサフ10000で締めていた。編成はさほど長くはなかったと思うが、ブルトレがまだEF65の時代だからか、なおさらこのレサを牽くEF66は別の魅力を放ち、カッコよく見えたもの。一目で虜になってしまった。運転時刻が関東で撮影するのには向かず夏場に限られたが、幾度となく撮影チャンスがあったことは幸運に思う。

掲載写真は、北陸への撮影旅行の際に関ケ原に立ち寄り撮影した時のもの。曇天でいい加減の画像だが、カッ飛んでくるロクロクに負けじとシャッターを切り、通過するレサから生臭い魚の匂いが漂ってきたことを思い出す。

1982-02-19   5051ㇾ  EF6643         東海道本線:関ケ原付近


豪華列車の草分け「カシオペア」

2020-02-24 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

JR東日本では唯一残った寝台列車「カシオペア」。もともとは、青函トンネルを通り渡道していた列車だが、現在は東日本管内で団体ツアー列車として、不定期運転となっている。デビューしたのが1999年の夏だから、一番新しい列車と思ってもすでに20年以上の歴史が出来ている。

当初はまだ団体専用の客車が残っていて、アントンKには、そんな列車の延長線上の列車のイメージが強かった。東日本の「カシオペア」に対し、西日本にはすでに「トワイライトエクスプレス」がデビューしており、その豪華さを競った訳だが、このトワイライトEXPの方は、登場が早かった分、先に引退していった。後年、こうした豪華列車は、JR九州の「ななつぼし」に始まり、西日本の「瑞風」、そして東日本の「四季島」とバラエティに富んだ個性的な列車へと繋がっていく。時代の変化とともに、旅への考えも変わり、列車の旅も随分と様変わりしたものだ。こうして考えると、アントンK自身、列車や旅への想いは少しも変わっていないことに気づく。すっかり取り残されてしまった感がしている。

掲載写真は、阿武隈越えに挑む寝台特急「カシオペア」。ちょうど朝日が、背景に差し込み、しかし被写体にはまだ射していないという夜明けを感じさせる画像。たまたま全検明け間もないようなパーイチがやってきたが、淡い朝日が反射して息を飲む美しさだった。

2008-03-06  8010ㇾ EF8199   JR東日本/東北本線:黒田原付近


果せぬ思いは何処へ・・

2020-02-23 21:00:00 | 日記

週末はもうすぐ4歳になる孫と遊ぶことが増えてきた。天気の良い日は、昔から沿線に走る電車を見に行き、今では走行音でも何系か解るまでになった。まだ機関車と電車との区別がつきにくいようだが、なかなか近くで機関車を見る環境ではないから、こればかりは仕方がない。もっと暖かくなったら連れ出そうと思っている。

家ではもっぱらプラレールにハマってしまい、いつも相手をさせられている訳だが、先日24系のプラレール車両を見て、これに乗りたいとせがまれてしまった。屋根が丸く高いのは、ベッドが並んだ車両であること。ここだけ低い屋根でクーラーが付いている車両は食堂車だから食事をするところ。と説明しただけで興味をそそられたのかも知れない。もう乗れないことを話しても、まだ理解できないようで何とも心苦しく切なくなってしまった。我が青春とも言えるブルートレインに、世代を越えて乗車することができたら、どんなに楽しく有意義だろうと、想像しただけで微笑んでしまうのだ。

2010-01-24    2ㇾ  オハネフ25   JR東日本/東北本線:矢板付近

 


蒸機復活に沸く鉄道ファン

2020-02-22 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

関東では今日春一番が吹き荒れ、いよいよ季節が足早に進みそうな気配。いつものことながら、花粉の症状も徐々に現れ先が思いやられる。しばらくは鬱陶しい日々を送りことになりそうだ。

国鉄がJRになったのが1987年、そして翌年の1988年、今なお記憶に新しいオリエント急行が日本中を巡り、最後の最後で上野からけん引したのが、華々しく復活を遂げたD51498号機だった。あれからすでに30年以上の歳月が流れたが、未だ我々に元気な姿を見せるデゴイチは、特にオールドファンには絶大な人気を誇っているようだ。西にももう1台お仲間が増え(200号機)、ますます目が離せなくなっている。

掲載写真は、復活して間もない1991年に磐越西線で運転されたSL「磐梯会津路」号。確か磐西には、1990年から運転が始まったはずだが、郡山-会津若松間の運転であり、当然ながら架線柱の下を走るから、興ざめした贅沢な思いが蘇る。もっともこの時代は、北には王者C62ニセコが走っている時代。電化区間の蒸機?と思っても仕方が無かった訳だ。それでも冬季の運転であること、昔から好きだった磐西を走ること等が手伝って、試運転時からよく出向いたものだった。これは翁島駅で、蒸機が側線で退避、そこへ特急「あいづ」が先行していくシーン。雪晴れの気持ちが良い天気で、国鉄特急色が映えていた。それにしても今思うと、何と大らかな時代だろうか。沿線に集まったファンも現代ではこうはいかないだろう。

1991-02-03  1032M     あいづ  485系   JR東日本/磐越西線:翁島駅