アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

あの頃の常磐線~EF80

2021-05-31 16:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今でこそEF81にも多くの光が当たり、国鉄時代の電機としてスターへと伸し上がった感がある。しかし昔を思い返すと、このパーイチも登場時は、特にファンに注目された電機ではなかったように思う。アントンKの中では、東北・常磐地区、そして裏日本にも配置が始まり、いよいよ本線の万能電機としての実績を積んだ機関車のような印象があるのだ。がそれと同時に、まず関東ではEF80を追いやった張本人というイメージだった。EF81もハチマルと同じピンク色の車体だったが、これがどうやら当時は不評のようで、撮影仲間との話題にはあまりしてもらえなかった。

あの頃から、すでに40年の歳月が経過し、世の中もそして鉄道趣味の成り立ちも大きく変わった。そのEF81も大半は廃止され、本来あるべき姿をもう拝めることは出来ない。JR東日本に残された数台のEF81も、すでに用途が限られていて、綺麗に磨かれた車体を目にするたびに、どこか切なく可哀そうに思えてしまう。九州地区の貨物列車に最後の活躍を見出して奮闘している姿は、今のアントンKにどう映るだろう?もう一度再会できる日を静かに待ちたいと思っている。

ここでは、アントンKがまだ若き時代、好んで撮影に出ていた常磐線をいくEF80電気機関車を掲載しておく。あの時代、ハチマルにカメラを向けるファンは少なく人気が無い電機だったことは認めよう。この時も、朝から沿線で撮影していたが、同業者は皆無だった。上り客車列車、そして専用貨物列車がEF80でやってきてひとしきり、今度は下りローカル貨物がのんびりとやってくる。こんな日常が懐かしい。

1982-09-27   EF8032        常磐線:柏-北柏


イベント列車が走った日~EF58 61

2021-05-30 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

やたら被写体のド・アップに拘っていた時代の写真。

アントンKの場合、まだ当時は自分でどう撮影したいのかという、撮影の核のようなものが未熟で、仲間内からのアドバイスを真正直に実践していた時代だった。その最初のハードルが、ペンタ67での撮影であり、手に入れてから随分悩みながら撮影をしていたことが懐かしい。ブローニフィルムに白黒フィルムを装填し、10枚撮りのコマを大切に確かめながら撮影した日々はしばらく続いていたが、この癖の強い、けど決まった時の圧倒的な満足感はますますアントンKを釘付けにしていった。いつも同行していた身近な仲間内が、超望遠レンズの世界へと流されていく頃、短レンズで被写体を可能な限り大きく撮影したいという独自性が芽生え、このバケペンで被写体を大きく捕らえること一点に終始した時代がある。だから、この時期残された画像は、類似画像の習作が並び、これだけ時代を越えてきても画像の熟成は乏しいと我ながら思わざるを得ないのだ。

そんな中から今回1枚掲載する。メモには「カルチャートレイン1981」とだけ書いてあったが、翌日関ケ原で上り列車を撮影していることから、関西往復の団体イベント列車だったと推測される。ちょうどこの年から、リバイバル「つばめ」の運転が始まり、その走りの列車だったのかもしれない。天気が悪く、ただでさえ露出が稼げないで苦労するバケペンでは、撮影条件は最悪に近い日、懲りずに線路端にしゃがみ込み、ド・アップ写真を実践していた。視野率の悪いバケペンのファインダーを考慮しながら、1コマに賭けるスリルは、今思い出しても病みつきだったかも。現像後の気持ちの落差も上がり次第。全ての行程が楽しかった、と今だから言える。

1981-02-14   9103ㇾ   EF58 61 「カルチャートレイン1981」   東海道本線:東戸塚-保土ヶ谷


通勤ライナーのエースも引退する時代~215系

2021-05-29 08:00:00 | 鉄道写真(EC)

今年は、鉄道車両の新陳代謝が加速しているように思える。それもそうだ。国鉄からJR化されて来年で35年。民営化後に登場した車両たちも、そろそろ車体更新等の時期を迎えているのかもしれない。そして今の時代に合わない車両は引退という方程式でもあるかのごとく、今年は次々と車両引退の話題が上がっているのである。

春のダイヤ改正で、長年活躍してきた「踊り子」からの185系電車の引退は、TVニュースにまでなっていたが、今度は、215系やE217系電車の引退が始まっている。215系とは、通勤時の大量輸送を目的とした電車で、朝夕のライナー向けに長年運転されてきた。しかし日中の運用は無かったようで、効率が悪く時代にそぐわないと判断されたのだろう。アントンKにとっては、国鉄時代の電車ならともかく、形式にEが付く電車の廃車とはいまだに信じられない気持ちなのだ。十分に第二の人生を歩ませていける車両だと思えるのに、今の時代の流れからしてとても不運に感じてしまうのである。

掲載写真は、その215系登場時の営業運転前に実施された試運転列車の画像。近郊型電車の113系のグリーン車が連なったイメージで、当初はなかなか個性的に思えたが、何しろデザインが好みでは無く、写欲は湧かなかった。

1992-03-24   試9852M   215系電車試運転   JR東日本/東海道本線:東戸塚-保土ヶ谷


秋田で見られたレッドトレイン~ED75 700

2021-05-28 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

国鉄時代に何度となく50系客車の新製車回送を撮影したアントンKではあるが、その50系客車が、地方で一般型客車を置き換えて活躍している姿は、それまで全く無縁だった。新製車の回送、あるいは廃車のための回送列車は、確かに珍しさから言えばそうなのだが、被写体としては営業列車ではないため、一段下の被写体に思えてしまう。現代に置き換えれば、片道運転の「カシオペア」号の上り回送列車の撮影のような感覚か?今ではそこまで拘りカメラを向けていないが、やはり気持ちの上では変わらないように思えて仕方がない。

今回は、毎年線区ごとに選んで北東北を廻り、50系客車を撮影した時の画像を掲載したい。特に秋田地区には、まだ多くの50系客車が走っていた時代だった。それも、朝の通勤通学列車に使用されていて、客車内は学生さんで溢れ返っていた印象が残っている。そんな時間帯の列車は、50系13両編成なんて列車も存在してぶっ飛んだものだった。ここでは、午後の昼下がり、のんびりと3両でやってきた50系客車使用の普通列車。いつまでも見られる光景だろうと思いながら撮影していたと思うが、その後アッという間に電車に置き換わり消えてしまった印象がある。

1993-05-29   1630ㇾ  ED75767    JR東日本/奥羽本線:鯉川-鹿渡


大役を果たした白エッヂ~EF58 172

2021-05-26 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

近年御召列車というと、黒光りしたJR自慢のE655系電車を思う浮かべてしまうが、過去を振り返ってみると、幸いなことに一号編成を使用した御召列車の撮影も叶ったことが数回ある。記憶をたどると、初めて撮影出来たのが1978年10月の長野まで走った列車だった。今にして思えばまだ鉄道撮影自体が不慣れで、ろくな画像が残っていないが、御召編成を初めてこの目で見た時の衝撃は、強烈に焼き付いていて昨日のことのように思い出せる。その後、御召機であるEF58 61号機が牽く御召列車にも数回撮影のチャンスが巡ってきた。いずれこの辺の画像も掲載していきたいが、今回は、これまた思い出に残るEF58172号機の写真で更新したい。

御召列車撮影行脚の中で、初めて青いゴハチが一号編成を牽いて話題になったことがあった。それは1982年5月に運転された御召列車で、日光線を颯爽に走ったのであった。しかし当時のことを思い出すと、青い一般型のゴハチが御召を牽く事は大変珍しかったが、何で寄りによって形態の汚い172号機なのか?と、仲間内で語り合った思い出が蘇るのだ。その当時は、宇都宮区にも73号機を筆頭に、美しいゴハチが在籍していたのにとても残念だった想いを鮮明に覚えている。ここまで時間が経過してしまうと、そんなことに必死になっていたアントンKを微笑ましく思えるが、あの時代は、全てが刺激的で楽しかったのだ。

ここでは、そんな御召列車けん引の2年後の晩年の姿である172号機。通常の荷物列車を牽き、朝日を浴びて上ってきたシーン。当時、窓周りのHゴム改造車は人気が無く、仲間内では特に白Hゴムは最悪の扱いだったように記憶している。無頓着なアントンKは、彼等よりは鈍感だったからか、出会いを大切にしていたからか、とりあえず画像は残っている。

1984-12-30  荷1036ㇾ      EF58172   東北本線:蒲須坂付近