アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

大フィル / ブルックナー ここにあり!

2024-01-23 22:00:00 | 音楽/芸術
 大阪フィルは、昔から年1回東京公演としてサントリーホールへと乗り込んでくる。アントンKも1980年代後半から、この東京公演を意識して毎年鑑賞してきた。当然のことながら、朝比奈隆存命時代は、彼の十八番だったベートーヴェンやブルックナーの楽曲が取り上げられることが多く、関東圏のファン増大に随分とつながったのではないだろうか。当時から彼等の録音は多々存在していたが、朝比奈の演奏は、生演奏こそ意味があると思えるからだ。同じプログラムを大阪で取り上げ、本番で熟成したところで上京する行程は現在も変わらずのようである。
 さて今回のメインプログラムは、ブルックナーの第6交響曲だった。第6と言えば、中期の交響曲の中でも、最も地味で小規模の楽曲であり、演奏される機会が極端に少ない楽曲となっている。それは初期の第1や第2などと同じ扱いであり、世間からすればマイナーな交響曲とされているのだ。しかし、巨大建造物とも例えられる第5の後に完成した第6であり、聴けば聴くほど奥が深くはまってしまう楽曲に昔から感じていて、特に緩徐楽章は、そこだけ抜き取って聴くほど、アントンKのお気に入りなのだ。
 で、今回の演奏はというと、おおよその想定を超えてきて、昔の大阪フィルの響きが蘇ってきたかのような錯覚に陥るくらい、重厚で豪快な演奏ぶりだったのである。それは朝比奈時代と同じ低音重視の図太い音楽が鳴り響き、聴衆を魅了した。今までの生真面目で緻密な音楽を作り出す指揮者尾高からすれば、予想も出来なかった響きと言ったら大袈裟か?最強奏に向かう上り坂では、自らが赤面して、オケに対し激烈なる要求をしていたのである。今振り返っても、第一楽章の出からしていつもと違っていたかもしれない。早めのテンポで弦楽器のリズムが刻まれると、VcとKbによる主題の提示がfで激烈に開始され(譜面上ここはPになっている)、この演奏はただ事では済まないと直感できたのである。どの楽章も日ごろ聴いている第6に比べると快速で進み、響きが重なって稜線が明確にならないポイントもあるが、推進力が凄く音楽の流れが的確なためか、細かな部分など不思議と気にならなくなっていた。こんなマエストロ尾高のストレートな要求に、オケも敏感に反応し音楽が構成されていたように思える。特に低弦を中心に音楽を作り、ピッチカートを大切に扱い、そして何といっても、TbとTubのここぞの威力は、この第6交響曲を支配していた。
 今回もコンマスは崔さんが乗って下さり、その統率力をいかんなく発揮されていたように思うが、彼の奏でる音色は、このブルックナーでも確実に心の奥底にまで染み渡り、ふと安堵の気持ちを呼んでくれるのだ。特にアントンKが大好きな緩徐楽章での祈りの世界、またコーダ近くの天からの階段をゆっくり下ってくるような心のこもった下降音形は、いまだに耳について離れないでいる。
 今年はブルックナー生誕200年にあたる年回り。今後多々演奏会に取り上げられそうだから、またとない機会を逃さないよう注目している。尾高氏のブルックナーも、今回の演奏を鑑賞して今後がますます楽しみになってきた。(掲載画像はネット上の画像を利用していますご了承ください)

大阪フィルハーモニー交響楽団 第56回 東京定期演奏会

  武満 徹      オーケストラのための「波の盆」 
  ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 ノヴァーク版

   指揮   尾高 忠明
   コンマス 崔 文洙

2024年1月22日 東京 サントリーホール


 

赤べこナナゴ 晩年の活躍~ED75

2024-01-22 09:00:00 | 鉄道写真(EL)
 東北地方では一大勢力を保ち、「北にナナゴあり!」と思わされてきた時代。あれからすでに20年以上の歳月が過ぎてしまった。アントンKも御多分に漏れず、ED75は昔から好きな電機だった。接する機会も限られていたこともあるだろうが、車長が短いのにとてもパワフルに感じ、重連で長大な貨物列車や、ブルトレの先頭に立つ姿に憧れてきた。0番台から始まり、50番台からのヒサシ付き。九州の300番台、北海道の500番台、裏縦貫の700番台、高速型の1000番台と、きっちり用途が別れていて、当時はそれぞれで活躍していることが万能機を物語っていたと思っている。アントンKもその地域で全て記録を残せている訳ではないが、HMの付いたブルトレや三重連で峠を上るナナゴ達に出会えた時の感動は、今でも忘れることは出来ない。
 現在でも、JR東日本に所属しているED75が数台余生を送っている。製造が晩年の時代の700番台車だが、定期の仕事がすでになくなり、いずれフェードアウトしていくことは明白で、どこか物悲しい。ここでは、まだナナゴの定期列車が残っていた時代の画像を掲載しておく。みちのくへと足を向ければ、いつでも出会えたナナゴ重連の貨物列車。こんな日常が今ではとても懐かしく思える。ED71が消え、ED75も消えていった。そんな時代を共に過ごせたことは、自分にとって幸せなことだったと改めて実感している。
 2004-02-06   3083ㇾ  ED751028+131            豊原付近


冬の風物詩「シュプール」号を追った日々

2024-01-20 08:00:00 | 鉄道写真(EC)
 新年を迎えて初詣臨が落ち着くと、雪中撮影へと出向くことが多かった。ちょっと前のことと思いきや、すでに時計は20年以上も時間が進んでいる。時期が現在と重なるため、昔の画像から1枚掲載しておく。
 信越本線を往くシュプール信越号。すでにスキーヤーは下車しており回送列車である。当時は、スキーシーズンになると、各地から臨時列車が増発され、格好の被写体になった。普段では見ることのできない車両が雪山を目指して一堂を返すといった様相になるからだ。583系や485系の正面貫通扉が開き、連結している編成もこの時初めて見た記憶が残っている。写真は、普段中央線の特急で活躍している「あずさ」色だが、長い編成は威風堂々、臨時とはいえ特急車たる威厳を感じてしまう。雪山はいつも猫の目天気。予報は当てに出来ず、とにかく現地へと出向いてナンボの世界。この時も陽が射したと思ったら雪がちらつく様な落ち着かない空模様だった。
 あちこちから、ラッセル車撮影のお誘いを受けるが、なかなか重い腰が上がらない。独特の雰囲気は理解しているつもりだが、自然を相手にする撮影こそ一番奥が深くシンドイものなのだ。
1999-01-30     回9316M       シュプール信越    黒姫付近


北陸に想いを寄せて

2024-01-14 09:00:00 | 日記
 正月早々に発生した能登の大地震。
日に日に被害状況が拡大してしまい胸が痛む。自分の無力さを改めて思い知らされたとともに、現地の一刻も早い復旧を祈りたい。
 被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
                     2008-07     北陸本線:金沢にて


現代から見た昭和時代への憧れ

2024-01-10 08:00:00 | 鉄道写真(EC)
 今年の撮り初めも、例年通り新鶴見界隈で終えているが、良い天気に誘われて友人と二人カメラハイクに出かけてきた。
 東武鉄道野田線、今は通称東武アーバンパークラインと呼ぶらしい。路線の存在は昔から知ってはいたが、何しろ縁遠くお邪魔することも乗車することさえ今までなかったから、いつもの撮影とは一味違うものを感じながら出向くことになった。同行の友人の意向で、まず本日運転されている「カシオペア」を撮影してから、野田線に入る行程で大宮側から乗車することになり、沿線をロケハンしながらの乗車となった。ここでの目的は、現在運用に就いている8000系の8111編成の撮影で、昔懐かしい東武ツートンカラーが復刻している車両だ。アントンKは、この8000系が登場時はこの塗色だったのか判らないが、馴染みの少ない東武線で、懐かしさを覚えるのは、このツートン色の車体とDRC1720系けごんくらいか。学生時代に東横線乗車時に通っていた中目黒で、よくこの塗色の電車を見かけていたからだ。今にして思えば当時の2000系電車であり、日比谷線直通で中目黒まで顔を出していた車両。のちにクリーム色に変わっていった記憶はあるが、撮影するなど東武線の電車までカメラを向けずに時代は流れてしまった。
 車体色は現在の白地のものだが、同じ8000系電車が何本か走っていて、運よく乗車することが出来たが、やはり乗って思い出す昭和の香りが懐かしい。車内が薄暗く感じ、ドア開閉音がやたらと大きい。知らず知らずに現代の車両に慣らされてしまったが、確かにちょっと前の電車たちはこうだった。製造からゆうに60年近くの時間が経ち、最新型60000系と肩を並べて今日という日常を当たり前に走っていると思うと、馴染みがない車両でも、どこか愛おしく感じてしまうのはどういうことか。それだけ自分自身にも歴史が出来てしまったという事なのだろう。
 掲載写真は、当日最後に駅でお見送りした時のもの。去りゆく8111編成の果てには同じ8000系8163編成が迫ってきていた。車内で、そして電車を待つ時もスマホに夢中な現代人。そんな対比を思いながらシャッターを押した。
 2024-01        東武鉄道 野田線 8000系8111編成   豊四季にて