アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

フィルム時代の残照~EF5861

2019-11-29 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

ほんの数日前に御召列車を牽いた機関車が創臨運用に入った。

ただそれだけで、カメラを持って線路端へと向かう。当時はそんな浮ついた気持ちで撮影していたのだろうか。鉄道撮影を始めて4~5年の頃だから、とにかく何でも撮りたくて仕方がなかった頃ではなかったか。まして、ピカピカに輝くEF5861がやってくるとなったら、天気などお構いなしに無我夢中だったのだろう。何度も書いてきたが、この頃のメインカメラは、ペンタックス67にモノクロフィルムというのが、アントンKの標準スタイルだった。三脚などは使わず、夜間以外は全て手持ち撮影が多かった。現在のような高性能なカメラではないから、画像のゆがみや、手振れ、ピント、そして露出は全て自己責任。撮れる撮れないは経験がものを言い、現場の状況判断は、おのずと身に着いた。もちろん全て自分の尺度で多くの失敗を重ねながら、それでも気に入った1枚が撮れるまでの道のりが溜まらなく楽しかったように思う。今のデジカメは確かに素晴らしいが、どんな時でも綺麗に撮影でき、時には自分で見て感じた光景よりも綺麗で、情報量が多い画像が撮れることが多々あり、なんか白けてしまうことすらある。望んでもいないところまでカメラに見透かされてしまったようで、不思議な感覚になってしまう。いやはや随分と変わってしまった。

お昼間の時間帯だというのに、曇天で露出が全くなく撮影には難儀する。特にバケペンでは、何かと制約が多く、普通の走り写真が厳しい状況になってしまうのだ。こんな時アントンKは、決まってブラシ撮りをして回避しようとしていた。ただ残された画像は、どうしてもブラシが必然ではなく苦し紛れのものになり、どれも好みではなかった。ゴハチの場合は特に前面形状からか、カメラを当てる角度を間違えると、ドン臭いゴハチが出来てしまうのだ。掲載写真もその同類項。高さも高すぎて不安定な見苦しい写真の好例のように見える。ま、当時のアントンKでは、このくらいが限界だったと思えるのだが・・・40年前の画像で当然日の目を見ないはずのものだったが、羞恥を承知で掲載しておく。

1980-10-17  8342ㇾ  EF5861    東海道本線:大井町付近

 


重連運転だった北海道の夜行列車

2019-11-28 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

鉄道撮影はブルートレインが中心だったアントンKだが、そのブルートレインが消滅してから早3年以上の月日が経ってしまった。ブルートレインが、多種多様の機関車のお世話になり、夜を徹し目的地を目指した数々のシーンを残された画像とともに振り返っている。それぞれの列車に思い出があり、忘れられない出来事も多々あるが、こうして列車自体が消えてしまうと、そんな他愛のない事柄も日常の世界からは、埋没していくだろう。機関車に牽かれているという、あの静けさと乗り心地、走行音、そして車内放送、窓の景色。全てが旅情を感じる至福の時だった。何事も体験しないと解らないということか。大袈裟に言えば、言葉ではうまく語れない特別な世界だったように思っている。

掲載写真は、現在でも運転がある「カシオペア」号。決してブルートレインではなく、特別列車的な様相なのだ。とても同一には語れないが、カシオペアに出会うことで、かつての寝台特急を頭の中で思い描いてしまう。北海道内は、青いDD51の重連運転で迫力があったことを思い出している。来年には、東急が企画する特別列車が道内を走ると聞いているが、どんなシーンに巡り合うことができるのか、今から楽しみでならない。

 

2006-10-21   8009ㇾ カシオペア DD511143  JR北海道/室蘭本線:長和付近


巨大クジラEF200~久々の走行!

2019-11-27 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

吹田機関区に長年在籍し、晩年は細々とした地味な余生を送っていたかのように見えた、日本最大出力の電機EF200。この度博物館入りしたとネットを騒がしている。運用そのものは、春のダイヤ改正で消滅しているはずだが、久しぶりに本線を走行したのだろうか。思えば、関東までの運用は、とうに無くなってしまい、アントンKもご無沙汰続きになって忘れかけていた機関車だった。

EF200という機関車そのものは、いつもパワーを持て余し気味で使用され、独自の性能を生かすことなく消えていく不幸な電機だった。やはり適材適所で、扱いやすい電機の方が長生きすることになる良い例かもしれない。

掲載写真は、早朝の東海道線で撮影していたEF200-2号機。今から20年以上も前の画像だが、この時代は夜行寝台列車がメインターゲットで、決してEF200を含む貨物列車を狙っていた訳ではない。まだEF210も落成して間もない時代、待っているとEF65・66が圧倒的に多く、図体のデカイクジラが現れると、一目でわかったものだ。写真は、旧塗装で以後新塗装に塗り替わったはずだが、アントンKは新塗装の方が好みだった。

1997-06-07  5088ㇾ  EF200-2    JR東日本/東海道本線:早川付近

 

 

 

 


個性溢れる北のDD51たち

2019-11-25 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

蒸気機関車を駆逐したDD51も、世代とともにファンの熱い眼差しを浴びることとなる。配置は全国に渡っていたから、一口にデーデーと言っても、形態がまちまちなのは量産機関車の常だろう。

アントンKは、昔からさほど凸型機関車に思い入れは無く、好んで撮影したことはなかったが、そんな自分でも一目置いていたDD51があった。それは北海道仕様のDD51であり、耐寒耐雪強化型の機体。旋回窓は当然の装備として、ボンネットセンターに第3の予備灯を装備した機体は、個性丸出しでそそられたものだった。当時は、偶然の出会いでしかなかったものの、結構な頻度で撮影することができた。後年、745号機が新潟に渡りしばらく活躍したことも懐かしい出来事になってしまった。

掲載写真は、大沼湖畔をいく北海道型DD51の牽くコキ列車。今でも同じ風景が続くこの辺り。湖水が現在より少なく感じるのは気のせいか・・・

1978-08-30   1555ㇾ  DD51742   函館本線:大沼公園付近


大沼を行く急行「ニセコ」~DD51

2019-11-24 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

DLの流れから、また古い画像を掲載していく。

北海道には、その当時から魅力的な列車が数多く走っていたように思う。キハ80系特急に始まり、客車急行列車も多く、乗っても撮っても印象深いものばかりだった。それは今にして思えば、あの大自然の中の開放的な環境で撮影を楽しみ、途方もない大きさを感じ、同時に恐怖感をも感じたことに起因しているのかもしれない。車利用もできない時代では、人気のない駅に降り立ち、撮影地までの寂しさと恐怖感は半端なかった。何を好き好んでここにいるのだろうと、何度自問自答したことか・・

北海道の列車で憧れていた列車の一つ、急行「ニセコ」。函館本線を山線経由で札幌まで結び、かつてC62が重連で峠を越えていた列車がこの急行「ニセコ」だった。先人達の素晴らしい写真を何度も読み返し憧れが増していったのだ。その列車が未だに走っていて撮影が出来ることが当時は嬉しかった。函館も近く、DD51は単機けん引だったが、郵便車にグリーン車と、まだまだ優等列車然としている編成が好ましかった。

1978-08-30   104ㇾ DD51507 ニセコ2号  函館本線:大沼公園付近