アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

今年の二つの第9演奏会

2015-12-27 07:00:00 | 音楽/芸術

毎年秋になると、暮れの第九演奏会のスケジュールが発表になり、さて今年はどこに行こうかと、悩ましい選択が楽しいものなのだが、今回は悩むことなく決めてチケットを買うことができた。

アントンKと同世代の上岡敏之という指揮者がいる。まずこの上岡氏が読響を振って第九に挑むことがわかったからだ。数年前にみなとみらいで演奏されたブルックナーの第7を聴いてから、この上岡氏は目が離せない存在となり、以来可能な限り実演に接するように心がけているのだ。

その上岡敏之氏。その演奏には、いつも独自の解釈があり、その個性的な演奏内容は、極めて珍しく、なかなか耳にしたことがない演奏内容なのだ。こんな演奏だから、演奏会後はいつも賛否が分かれ、ある意味ファンの間では話題となる事が多い。そんな上岡氏の第9の演奏会。7回にもわたる演奏会をどう乗り切るのか大変興味があった。

そしてもう一つの第9演奏会は、アントンKの中では定番となっている小林研一郎指揮による演奏会だ。この演奏会のいきさつについては別項を参照してほしいが、とにかくわかりやすく情熱的な演奏に毎回ほれぼれするコバケンの第九を聴いてきた。

さて、今回の2種類の第9演奏であるが、今こうして考えてみても二つの演奏ともに個性的な内容だったと言える。まずは興味の絶えない上岡氏の演奏は、とにかくアントンKが長年聴いてきた第九の実演の中でも、いや録音を含めても、おそらく最速の演奏であった。きっちり測った訳ではないが、おそらく全楽章60分は切っていたように思う。第1楽章は、速い演奏だけならまだしも、f(フォルテ)の部分が絶叫せず、ベールに包まれたようになだらかで柔らかい音色に終始し、厳しさとは無縁、弦は即興演奏のようにスラーで繋がり演奏されていた。冒頭の弦楽器のppはテンポのせいか刻みがまるで聴こえず、それに続く第1主題も、まるでそよ風のようにサラッと通りすぎてゆく。この後、第1主題の提示がフォルテッシモで出るが、その時でさえ音楽が大きくならない。こんな演奏に接したのは初めてのことだ。続く第2楽章でも、同じようなことが言え、音の強弱の強調は一切ない。譜面でいう縦線は感じられず、どちらかというと横に流れて行くことに重きを置き、アダージョ楽章についても同じ解釈で楽曲が進んで行った。そしていよいよ第4楽章になると、指揮者上岡は、その個性を全開にしていったのだ。合唱が始まる部分からは、普通のテンポ感のように聴こえたが、それでも高速運転には変わらない。特に印象に残っているのは、655小節からのくだり。4分の6拍子に代わり、符点で合唱が進んで行く箇所で、「フロイデ!」という歌詞があちこちから聴こえるが、弦楽器までも「フロイデ!」と歌っているように聴こえる演奏は今回初めてであった。あとで譜面で確認してみると、コーラスの「フロイデ!」に合わせたVlaの極端な強調であることがわかったが、この時だけは、本当に聴いていてゾクゾクしっ放しでいたことを付け加えておく。今回、アントンKの座席が指揮者の表情を確認できる場所であったこともあるが、全曲を通して指揮者上岡氏は、この大曲を楽しみながら指揮をし、時には笑みを浮かべながら指揮する姿にこちらも自然と吸い込まれていった。

こう書いてしまうと、駄演のように聴こえてしまうだろうが、実は決してそうではない。こんな一環した解釈の演奏でも、各楽章での決めのポイントは指揮者上岡氏は外さなかった。おそらく今回の演奏も、賛否両論物議を醸し出すことだろう。演奏内容や、データだけからすれば、アントンKにとっても決して好まない演奏の部類に入るはずなのだが、実際鑑賞して、そしてそれから時間をおいて冷静に考えてみると、この手の第九もありなのかな、と思えてしまうから不思議なものだ。朝比奈の演奏を頂点とし、若い頃から親しんできた、このベートーヴェンの第九交響曲だが、そういった先入観なしに考えれば、今回の上岡敏之氏の演奏は十分受け入れられる内容だったと今は思える。独自性ということからすれば、強いものを感じるが、これを実行した指揮者の勇気、そしてそれに就いていったオケの理解とテクニックには最後まで驚かされたと記しておく。

さて上岡氏の演奏からすれば、より一般的に聴こえてしまう小林研一郎氏の第九演奏について。

実は、コバケンの演奏も相当に独自性が高い。今まで彼の第九には数回通ってきたが、ほぼ一貫した解釈で演奏されているように思う。作曲家でもある小林研一郎氏、コバケンは、譜面に手を加えて毎回演奏しているようだ。それは、昔よく演奏されていたと言われている近衛版からの引用か、マーラー改訂版からのものかはわからないが、自分が納得いくように譜面に追記して演奏しているのだ。これはもうコバケン版と言っても差し支えないと思われるが、こうすることによって、楽曲は効果的に判り易くなり、聴きごたえが増すことは明らかだ。第二楽章の練習番号CからのHrnの追記は特に効果的だが、そのほかにも多々変更部分が聴きとれる。そしてアントンKが特に気に入っている部分は、第4楽章の320小節からの部分。コーラスが二分音符の長さで歌い始めるところで一気にテンポを落ち着かせて、噛みしめるように進んでいくところ。そして330小節で圧倒的に長いフェルマータに命を懸ける。この箇所は何度聴いても感動的だ。

長年の第9との付き合いの中で、アントンKには、演奏解釈においてどうしても譲れないポイントが多々ある。その中の一つは、第4楽章の終結部、マエストーソのテンポ設定だ。何度も聴いた朝比奈のフェスティバルホールのように、トライアングルがリズムを刻まないにしろ、ここはうんとテンポを落として堂々とやってほしい。でプレスティッシモで雪崩れ込むように終結してほしい。コバケンの演奏が安心できるのは、このスタイルを貫いていること。聴き終わって圧倒的な充実感と満足が得られるのだ。しかしこのスタイルは、名盤とされるかのフルトヴェングラーと同じ解釈であり、今となっては古典的な解釈になってしまったのだろうか。時代とともに、クラシックの演奏スタイルも進化していくものなのか。今回の上岡氏の演奏に触れて大変興味深く思った次第。

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日本フィルハーモニー交響楽団「第9交響曲」特別演奏会

指揮 小林研一郎

パイプオルガン  石丸 由佳

ソプラノ 天羽 明恵

アルト 金子 美香

テノール 錦織 健

バス 成田 博之

合唱 東京音楽大学

J.S.バッハ

トッカータとフーガ 二短調 BWV565

ヴィエルヌ

オルガン交響曲第1番よりフィナーレ

ベートーヴェン

交響曲第9番 二短調 OP125 「合唱つき」

2015年12月21日 サントリーホール

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読売日本交響楽団 第587回サントリーホール名曲シリーズ

指揮 上岡敏之

ソプラノ イリーデ・マルティネス

メゾ・ソプラノ 清水華澄

テノール 吉田浩之

バリトン オラフア・シグルザルソン

合唱 新国立劇場合唱団

 

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 op125 「合唱つき」

2015年12月22日 サントリーホール

 


「第9」~2015年

2015-12-23 23:00:00 | 音楽/芸術

世の中「第9」の季節に移り、残すところ今年もわずかとなった。

「第9」とは、まさにベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」のこと。なぜ暮れに「第九」なのかということは、ここでは置いておくが、クラシック、とりわけオーケストラ音楽を日ごろから親しむ方々には、外せないコンサートとなるのではないか。全国で、何十ものオケがこぞってこの第九を各地で演奏するのだから、クラシックファンにとっては、年末最後の一大イベントとなるわけだ。

アントンKも御多分に漏れず、この時期の第九には足を運んできた。朝比奈隆健在のころには、当然のように大阪まで行って第九を聴いた。ある年には、音楽好きな友人も巻き込んで大阪を目指した思い出も蘇る。また学生時代から、毎年4~5種類ずつこの第九のレコードを購入して聴き比べを楽しんだことも懐かしい。フルトヴェングラーに始まり、カラヤン、ベーム、ショルティ、ヴァント、バーンスタイン、ヨッフム、ラトル、バレンボイム、ハイティンク、ワルター、小澤、etc.・・・・結構所持していたものの、引っ越しの機会に大半は整理してしまった。思い入れのあるものだけ手元に置いてあるが、近年は、演奏会の方に重きを置いて楽しみたいと考えているから、懐具合と相談しながら所有しているのが現状である。

アントンKも年齢を重ねるとともに、「音楽は保存できないもの」という概念が強くなり、実演ありきで音楽に接したいという気持ちが今は大きい。どんなに聴きこんだ楽曲でも、実演に触れることで、新たな発見があることが非常に楽しいのだ。好き嫌いは別として、今まで聴いたこともないハーモニー、ニュアンス、息遣い、そしてそれを伴った会場の雰囲気は、ライブ録音には入らない。その差がわかればわかるほど、空間芸術としての音楽を意識してしまい、実演主義に傾いていく。と、こんなことを書いているが、実際は我慢できなくて、家でも車の中でも心置きなく聴いているのが現状ではあるのだが・・・

さて毎年聴いている、年末の「第9」。今年は嬉しいことがあった・・

学生時代からの鉄友(鉄道趣味の友人)として、長年お付き合いしている友人と今回「第9」の演奏会に行き、その彼が実演に触れて感動のあまり音楽の虜と化してしまったことだ。

たまたま今年は彼と撮影の合間に雑談をする機会が多々あり、その中で音楽の話ができたことは少し驚きであった。長年の付き合いの中で彼のことをわかっていたつもりが、鉄道を離れるとそうでもなかったことを知り、このときから、今年は彼を何が何でも演奏会に連れて行こうという目標が自分の中で生まれたのだった。普段は、CDで音楽を楽しんでいる彼に生演奏を体験して頂き、感動を共有したいというアントンKのわがままに付き合わせるということだ。

「有言実行」。趣味や遊びの世界だけこれでは困ったものだが、とにかく暮れの忙しい日程の中、予定を入れて頂き、先日赤坂まで行き、二人で第9の演奏会に出向いてきた。数々の第九演奏会から選んだコンサートは、小林研一郎指揮するもの。「炎のコバケン!」と形容されるように、その熱い情熱的な演奏が、どう映るのかも興味があった。

アントンK自身も、コバケンの演奏は2年振りとなるが、コバケンご本人曰く、「変わっている演奏」は、相変わらずであり、そのパッションほとばしる演奏解釈は、まんまと隣に座る友人を飲みこんでいく。特に第4楽章からの、合唱が加わってからの衝撃は痛烈だったろう。熱く煮えたぎったコバケンの血が、我々聴衆に襲いかからんばかりのエネルギーをもって押し寄せてきたのだ。どう変わっていたかは、ここでは触れないで別稿としたいが、終演後の友人の放心状態は自分にも理解できた。衝撃的な演奏の後は、誰でも自分が抜け殻状態に陥るものだから。

同時にアントンKは、それまでよく彼が語っていたクラシック音楽は敷居が高いとか、あるいは、自分は音符が読めないとか、楽器の名前を知らないとか、そんな小さなことは、どうでもよい事であることが証明されたように思い、またその純粋無垢な心に突然飛び込んできた音楽というものに、素直に感動した彼の姿に自分も熱くなってしまった。大切なのは、曲名や作曲者名などではなく、今奏でられている音楽が美しいと思える心があるかということ。美しい、きれい、厳しい、大きい、荘厳・・etc.人間のあらゆる感情が感じ取れるかということだろう。そしてその楽曲から、自分の中に生まれてくるありとあらゆる事が想像力をもって描けるかということだろう。

今回ご一緒した友人にも、きっと新たな発見がたくさん生まれたはず。大げさに言えば人生感だって変わってしまうくらいの第九ではなかったか?アントンKがそうであるように、おそらく彼にも新たな希望や歓びが生まれたに違いない。鉄道趣味で長年切磋琢磨した畏友と、今度は音楽を舞台にして語り合えるなんて、こんな嬉しいことはない。今年は別の意味で、心に残る第九演奏会になった。

 

 

 


ミヒャエル・ザンデルリンクの指揮振り

2015-12-13 07:44:47 | 音楽/芸術

都響の定演に行ってきた。

今日の指揮は、ミヒャエル・ザンデルリンク。アントンKの年代では、父のクルト・ザンデルリンクの方が、今まで数々に名演に触れてきた実績がある。もっともミヒャエル・ザンデルリンクは、あまり自分と年齢が変わらないから当たり前か。

さて上野の文化会館。ここは森に囲まれ、雰囲気も最高。また駅からのアプローチもよくて、駅前の横断歩道を渡るといつも胸がワクワクしてしまう。最近こそ御無沙汰になってしまったが、昔、ここへ入り浸っていた時代が懐かしい。まあ昭和の時代は、クラシックを聴くといえば、上野と決まっていたからな。とにかくこの東京文化会館にはよく足を運んだもの。もちろん、忘れられない演奏会も多々思い出せるのも、何だか歴史を感じて少し嬉しくなる。エントランスからホールまでの雰囲気も昔と変わらずホッとする。石に囲まれた厳かな落ち着きのある雰囲気が、自分の集中力を高めてくれる。

今日は都響の定期だから、常連さんも多いのか、随分と華やいだ雰囲気でどこか活気があった。聴衆もだいたい8~9割といったところ。今晩のプログラムでここまで入れば上出来ではないだろうか。

前半は、ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲の第1番。馴染みのない楽曲だが、相変わらずお茶らけたこの作曲者のおとぼけと、反対に暗く重い深い部分が交錯しあっという間の30分だった。またソロのチェリスト、スタドレルのいう若いプレーヤのテクニックには驚かされた。チェロという楽器は、人間の心に一番染みてくる音色を奏でることができるのではないかと思えるくらい、深い音色を奏し感動をおぼえた。

後半は、チャイコフスキーの第1番。あまり実演では接したことのない楽曲だが、こうして聴いてみるとなかなかの聴きごたえのある楽曲ということが再認識できた。まあそこは、チャイコフスキー、派手な音色にホールは包まれることを良しとする聴衆たちはさぞ満足だったのではないか。

さて、ミヒャエル・ザンデルリンクの指揮振り。父であるクルト・ザンデルリンクは、チャイコフスキーも好んで演奏したという記憶があるが、父の重厚な音色とは一線を画す、もっときめの細かい解釈だった。緩急を自在に操り、時にはゆっくり、そしてここぞと言うときには、思いっきりアクセルを全開にする解釈。自己主張は激しいが、楽曲にマッチしているため、違和感は皆無。今までアントンKが聴いてきた第1番のイメージを少し変えてしまうくらいの譜面の読みが深い。それに着いていったオケも素晴らしい。さすが都響と言いたい。第2楽章の物悲しいObやClの音色の素晴らしさは絶品であり、ティンパニの豪快な打音は最後まで耳に残った。

指揮者としては、まだお若い部類のミヒャエル・ザンデルリンクだが、今後ますますの活躍を期待したい。

東京都交響楽団 第798回定期演奏会A

ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 OP107

チャイコフスキー 交響曲第1番 ト短調 OP13 「冬の日の幻想」

指揮  ミヒャエル・ザンデルリンク

チェロ  アレクセイ・スタドレル

上野 東京文化会館大ホール