アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

エッシェンバッハのブルックナー

2024-06-09 08:00:00 | 音楽/芸術
 少し投稿時期がズレてしまったが、先々月N響の定期でエッシェンバッハがブルックナーを振ったので聴きに行ってきた。
 すでに80歳を過ぎ、もとはピアニストだったエッシェンバッハは、アントンKにとってもピアニストのイメージがあった。70年代頃だから半世紀以上も前になるが、徐々に指揮活動を開始したらしく、海外の音楽週間にも登場するようになり、当時のライブ音源からもその名を聞くようになってきたと思う。ドイツ物中心にレパートリーが広がっていて、ライブ録音を聴く限り、伝統的な演奏スタイルを重視しているように思えて、アントンKの中でもチェックする指揮者の一人だった。クラシック音楽の世界にも、流行の演奏スタイルはあり、新しく編集された楽譜での演奏やオーケストラの編成など、長年同じ楽曲であっても、時代とともに印象が変わるものだ。確かに新しい発見があり、それはそれで楽しい事ではあるが、それも程度問題であり、どこまでが許容できるかは個人的なことでアントンKには、今までちょっと受け入れ難い演奏もあった。現代のデジタル技術で、昔撮影した画像を自分なりに加工変更して楽しむことと同じに感じてしまうのだ。
 その点では、エッシュンバッハについては安心して音楽の中に身を置くことが出来る。今回取り上げられたブルックナーの第7交響曲でも、新しい楽譜の影響があるのかもしれないが、伝統的なノヴァーク版の演奏に感じた。プログラムが1曲のみという、ブルックナーを聴くにあたっての構成は好みで良かったが、相変わらずのNHKホールの環境は気の毒に感じてしまったのである。おそらく、アントンKの席が良くなかったと思いたいが、響きがまるで伝わってこないのだ。ブルックナーの音楽を鑑賞する場合、一番重要に思うのは、ハーモニーの美しさつまり響きの響かせ方のように思う。オケの能力が低くたって、響きが心を満たされれば十分満足がいくと考えている。日本一とも言われるN響が、目の前で鳴っていても感動出来ないことが歯痒ったのだ。償いとして、本日のN響アワーにて、この日のライブ映像が放送されるのでしっかり聴き直したいと思っている。

ロマン派時代の作品を指揮する巨匠たち

2024-05-05 10:00:00 | 音楽/芸術
 いつの間にかGWも後半に入り、風薫る5月に突入した。これから梅雨に入るまでの数週間は、1年で最も過し易い季節の到来となり、何をするのにも良い時間を送れる気持ちになる。新年度を迎えて仕事の方は、本格的にアクセルが踏まれるだろうが、その合間に見出す限られた時間こそ、日々過ごしていくための必需品となるのである。少なくともアントンKは、そんな時間を作ってはカメラを持って線路端へ行ったり、ひと時の音楽に耳を傾けている。でも今年は、普段では中々手つかずの部屋の片づけを頑張った。最近は、CDの新譜の発売が減っているように思う。どんどんネット配信に切り替わっているのか、クラシック音楽の世界では分からないが、今後の動向に注目している。カーオーディオをも含めて、世の中音楽の聴き方も相当様変わりしてしまい、アントンKは今陸の孤島状態なのである。長年集めてきたCDも何回かに分けて整理、処分してしまい、今は新譜を増やすこともせず落ち着いているが、昔から後期ロマン派の作曲家を好んで鑑賞してきたとはいえ、目の前にあるCDは、ブルックナー、マーラーが相変わらず多い。現状では、FM放送をエアチェックしてMDに保存してあるソフトの方が多いはずだから、今後はそれを楽しむことにして、CDはもう少し減量しても良いかもしれない。
 思い入れのあるCDは、もちろんすぐ近くに置いているが、ブルックナーを指揮する巨匠たちは、マーラーも指揮するとは限らない。要するに、世間でブルックナー指揮者と言われた巨匠たちは、マーラーでは同じような評価を得られなかったのである。というか、一部の指揮者たちを除いてどちらか一方の作品を繰り返し取り上げている印象だ。カラヤンはブルックナー、バーンスタインはマーラーといった具合。例を挙げればキリがないが、両方とも取り上げ録音して残している指揮者たちは限られている。アントンKの好きな朝比奈隆は、ここで今さらいう事もなくブルックナー指揮者だが、マーラーも一部の交響曲の録音が残されている。もちろん実演のライブ録音だが、アントンKもその当時、その演奏会に出向き、朝比奈のマーラーを何度か聴いている。一般的評価はさほど話題にもならなかったから、その程度なのかもしれないが、アントンKにとっては圧倒的な名演に映り、それまで聴いたことのない響きや音量が朝比奈節と相まって大満足だったことを思い出せるのである。こんな時、世間の評価なんて当てにできない、やはり最後は自分の耳が頼り!と痛切に感じたのだ。
 掲載写真は、ビデオ画像を撮影したマタチッチの指揮姿。マタチッチと言えば、ワーグナー、ブルックナーが彼の十八番で、来日時は出来る限り実演に接した指揮者の一人。このビデオでは、半分も伝わっていないが、とてつもなく豪快で荒々しい演奏。N響がいつもの大人しいN響ではなく、ここぞの爆発が散見出来た。今思い出しても背筋がゾクゾクしてしまうのだ。

 


こんな時代だから・・ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲

2024-04-21 18:00:00 | 音楽/芸術
 ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を全曲演奏するために組織されたDSCH弦楽四重奏団。この第2回演奏会に足を運んできた。DSCHとはレミドシと読み、ショスタコーヴィチのイニシャルのようなものなのだそう。このモチーフを多用したということらしい。確かに作曲家により、この手の拘りを耳にすることは珍しくないが、チーム名にするなんて崔文洙氏率いる4名のメンバー達のショスタコーヴィチへの愛情が計り知れるというものだ。
 さて、今回の演奏だが昨年の初回に比べると、さらにそれぞれの息が合い、音楽の流れが良くなっているように感じられた。不勉強のアントンKだから、譜面を取り出して何度も鑑賞するようなことはしてこなかったが、聴き進む中で数々の交響曲の中で用いられているパッセージやモチーフが耳に着いてハッとさせられてしまった。ショスタコお得意の小太鼓のリズムまで飛び出したのには苦笑したが、それら細かな要素を、各パートが心を込めて演奏する姿を間近に見て熱く感動してしまったのである。
 この作曲家ならではの空気感、威圧感は想像を絶し、各パートの雄弁さはもちろんだが、奏者4人それぞれが響きを聴き合って奏でる調和のとれた様は、独自の世界へとアントンKを連れていった。演奏者の気が会場いっぱいに広がり、知らず知らずとその響きの中で集中してしまい、まさに息を飲むのも忘れそうになる。Vc植木氏の土台を支えるエネルギーはどうだろう。Vla安達氏の透き通った心地よい響き、崔氏に負けず劣らず素晴らしいハーモニーだったVnビルマン氏も大健闘だったように思う。そして崔氏の奏でる響きは、いつも以上に鮮烈であり美しく、かつ過激でデモーニッシュだった。とくに最高音がPPで永遠に響く箇所など、鳥肌が立つほどの響きに満たされた。あの響きは、録音では到底伝わらないだろうが、ホール全体が一心一体となった瞬間を何度も味わうことが出来たことに感謝したい。
 世界情勢、自然災害、その他次々と予想不可能な出来事が起きて混沌としたカオスの時代に突入したかのような令和時代。こんな時代にあえてショスタコーヴィチをひと時真剣に集中して鑑賞することで、どこか慰めや反省、心の拠り所に到達できる気がしている。なかなか実演では鑑賞できない、ショスタコーヴィチの四重奏曲だが、来年はいよいよ中期の楽曲が並び、期待が膨らんでしまう。メンバー4名それぞれ多忙を極め、準備が膨大で大変だと容易に想像できるが、次回もさらなる精神性の高い非日常の響きを期待して待つことにしたい。

 掲載写真は、カーテンコールで再び登壇したDSCH弦楽四重奏団の4人。完全燃焼した歓びと安堵の表情が素敵で、こちらも心が熱く満たされる。これだから音楽鑑賞は止められない。

 ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲全曲演奏プロジェクト 第2回
第4番 ニ長調 OP83
第5番 変ロ長調 OP92
第6番 ト長調 OP101
アンコール
第8番~5楽章

DSCH弦楽四重奏団
Vn  崔 文洙
Vn  ビルマン 聡平
Vla  安達 真理
Vc  植木 昭雄
2024年4月21日 すみだトリフォニー小ホール

マエストロ小澤征爾の訃報にふれて・・

2024-02-10 08:00:00 | 音楽/芸術
「世界のオザワ」と言われ続けた指揮者 小澤征爾が天国に旅立った(88歳)。
随分前に大病を患い、演奏活動からはしばらく遠のいていたものの、その存在は計り知れないほど大きく、日本の、世界のクラシック音楽界が今悲しみに沈んでいる。
 アントンKも音楽鑑賞履歴を紐解けば、何回か小澤さんの音楽に触れることが出来ていた。その後、ボストン響の常任やウィーン国立歌劇場での活躍が長く、今思えば、松本などで開催された晩年の演奏には駆け付けられなかった。
 しかし以前にも書いているはずだが、目白の教会で演奏された第九は、今でも自分の中で語り草になっていて、当時が鮮明に蘇るのだ。
 彼の出演した録画放送で語っていた、「大切なのは、日常でも見たり聞いたりして感じることが出来る、自身の心だ」という他愛もない、しかしとても突き刺さったコメントで、今でも指標の一つになっている。
 音楽に携わることが、好きで好きでたまらず、常に全身全霊で音楽に立ち向かう指揮振りは、かつてのバーンスタインを彷彿とさせ、聴衆の一人になった時、いつも吸い込まれそうになったことを思い出している。
 ドイツ物よりもフランス物、ロシア物の方がアントンKの好みだったが、例外として小澤のマーラー演奏は、好んでCDを掛けたもの。特に第2の「復活」は、当時衝撃を受けた演奏だったと今でも思い出せるのだ。今日は、その当時の盤を引っ張り出して追悼したいと思っている。





大フィル / ブルックナー ここにあり!

2024-01-23 22:00:00 | 音楽/芸術
 大阪フィルは、昔から年1回東京公演としてサントリーホールへと乗り込んでくる。アントンKも1980年代後半から、この東京公演を意識して毎年鑑賞してきた。当然のことながら、朝比奈隆存命時代は、彼の十八番だったベートーヴェンやブルックナーの楽曲が取り上げられることが多く、関東圏のファン増大に随分とつながったのではないだろうか。当時から彼等の録音は多々存在していたが、朝比奈の演奏は、生演奏こそ意味があると思えるからだ。同じプログラムを大阪で取り上げ、本番で熟成したところで上京する行程は現在も変わらずのようである。
 さて今回のメインプログラムは、ブルックナーの第6交響曲だった。第6と言えば、中期の交響曲の中でも、最も地味で小規模の楽曲であり、演奏される機会が極端に少ない楽曲となっている。それは初期の第1や第2などと同じ扱いであり、世間からすればマイナーな交響曲とされているのだ。しかし、巨大建造物とも例えられる第5の後に完成した第6であり、聴けば聴くほど奥が深くはまってしまう楽曲に昔から感じていて、特に緩徐楽章は、そこだけ抜き取って聴くほど、アントンKのお気に入りなのだ。
 で、今回の演奏はというと、おおよその想定を超えてきて、昔の大阪フィルの響きが蘇ってきたかのような錯覚に陥るくらい、重厚で豪快な演奏ぶりだったのである。それは朝比奈時代と同じ低音重視の図太い音楽が鳴り響き、聴衆を魅了した。今までの生真面目で緻密な音楽を作り出す指揮者尾高からすれば、予想も出来なかった響きと言ったら大袈裟か?最強奏に向かう上り坂では、自らが赤面して、オケに対し激烈なる要求をしていたのである。今振り返っても、第一楽章の出からしていつもと違っていたかもしれない。早めのテンポで弦楽器のリズムが刻まれると、VcとKbによる主題の提示がfで激烈に開始され(譜面上ここはPになっている)、この演奏はただ事では済まないと直感できたのである。どの楽章も日ごろ聴いている第6に比べると快速で進み、響きが重なって稜線が明確にならないポイントもあるが、推進力が凄く音楽の流れが的確なためか、細かな部分など不思議と気にならなくなっていた。こんなマエストロ尾高のストレートな要求に、オケも敏感に反応し音楽が構成されていたように思える。特に低弦を中心に音楽を作り、ピッチカートを大切に扱い、そして何といっても、TbとTubのここぞの威力は、この第6交響曲を支配していた。
 今回もコンマスは崔さんが乗って下さり、その統率力をいかんなく発揮されていたように思うが、彼の奏でる音色は、このブルックナーでも確実に心の奥底にまで染み渡り、ふと安堵の気持ちを呼んでくれるのだ。特にアントンKが大好きな緩徐楽章での祈りの世界、またコーダ近くの天からの階段をゆっくり下ってくるような心のこもった下降音形は、いまだに耳について離れないでいる。
 今年はブルックナー生誕200年にあたる年回り。今後多々演奏会に取り上げられそうだから、またとない機会を逃さないよう注目している。尾高氏のブルックナーも、今回の演奏を鑑賞して今後がますます楽しみになってきた。(掲載画像はネット上の画像を利用していますご了承ください)

大阪フィルハーモニー交響楽団 第56回 東京定期演奏会

  武満 徹      オーケストラのための「波の盆」 
  ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 ノヴァーク版

   指揮   尾高 忠明
   コンマス 崔 文洙

2024年1月22日 東京 サントリーホール