アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

震災の日に聴く「新世界より」

2019-03-11 22:00:00 | 音楽/芸術

すみだ平和祈念音楽祭の一環で公演された、新日本フィルの演奏会に行ってきた。

メインをドヴォルザークの「新世界より」に置き、前半はコダーイの「ガランタ舞曲」とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番という構成。鑑賞後に思うことは、この特別な日に本当に足を運んで良かったと心から思えたことだった。アンコール曲をも含めて、全てが目に見えない一環した祈りの心を感じ取れたと思えるからである。復興、復興と言われ続けて早8年の年月が経ち、未だに故郷の土を踏めないでいる被災者の方々に、平和への祈りを音楽に託して演奏された楽曲。いつもとは異なる感動をアントンKは鑑賞しながら味わった。

前半は、やはりプロコの協奏曲第3番を記述しておかなければならない。ソリストの吉見友貴氏は現役高校生という若さ溢れる青年であったが、彼の演奏がまず素晴らしかった。メロディックな楽曲ではないが、普段は聴き取れない細かな動きも手に取るように再現され、かと言って強烈な和音は力づくではなく音楽的でありうるさく感じない。第2楽章が特に気に入ったが、指揮者上岡氏もよくピアノに付けていて、お得意のバランス感覚は最大限に生かされていたように感じている。

そして後半のドヴォルザークだが、ここではもちろん上岡敏之氏の細かな解釈は満載だったが、今回はそんな個々の相違より、楽曲を通した祈りの気持ちが前面に出ていたように感じてしまった。「新世界より」は、当然ながらスタンダードで人気のある楽曲であり、アントンKは過去の実演でもかなりの回数鑑賞している。録音でも昔はよく集めて聴き比べしたものだった。今回の演奏は、経験のない雰囲気が多々あり、どんなメジャーの楽曲でも上岡流を貫くといった頑固たる姿勢が頼もしい。過去の巨匠達の残した演奏スタイルは一度リセットし、真っ白な楽譜からスタートするその真摯な態度は尊敬に値するものだ。こんな特別な日に聴く「新世界より」だからか、やはり一番心を打たれたのは、ラルゴの第2楽章。新日本フィルの木管群はいつも美しいが、今回もテーマを唄うイングリッシュホルンをはじめ、各パートの雄弁で心のこもり切った音色は、深く身体に染み渡った。そしてこの楽章の後半、総譜でいう「E」からの語りは最高で、木管から弦楽器にテーマが引き継がれ、そして最後はソロ演奏になる部分。普通はあり得ないくらいの微弱音で奏され、かつフェルマータをかなり長めにとり、かつて経験のない雰囲気がホールを支配していた。どこか懐かしくセピア色の風景が目の前に現れたように感じ、と同時に東北の変わり果てた光景が思い起こされ、心が熱くなるのがわかったのだ。

そしてアンコールのバーバー「弦楽のためのアダージョ」で、その想いは頂点に達してしまった。アントンKは、昔からこの楽曲が大好きで、ごくごく小品ながら取り出してよく聴いていた。近年は、いつか崔文洙氏の演奏で聴いてみたいとずっと思っていた矢先だったこともあり、感動もひとしお。そんないくつもの想いが合わさって、こらえ切れず目頭を押さえたのである。崔氏の気持ちのこもった響きは、今回は濃厚な熱い音色というより、郷愁を感じさせる枯れた切ない響きに感じ、より一層深く印象付けられてしまった。

花粉の飛散も本格化し、アントンKも1年で一番苦手な季節ではあるが、そんな詰まらない事象など忘れさせる内容だったことを明記しておきたい。

すみだ平和祈念音楽祭2019 

コダーイ    ガランタ舞曲

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 OP26

ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 OP95 「新世界より」

ソロ・アンコール

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番~3mov.

アンコール

バーバー   弦楽のためのアダージョ

 

指揮   上岡 敏之

ピアノ  吉見 友貴

コンマス 崔 文洙

2019年3月11日  すみだトリフォニーホール

 

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福島章恭氏による「ドイツ・レクイエム」

2019-02-28 20:00:00 | 音楽/芸術

早く目が覚めてしまった時、アントンKは教会で唄われるモテット集をよく聴く。むろんブルックナーの作品が多いが、朝食前のひと時、どこか目覚めたての身体に心地よいのだ。同時にミサ曲やレクイエムに広がっていく場合もあるが、キリスト信者ではないアントンKでも、その日のスタートのタイミングがとても有意義な時間に変わっていくのだ。

さて、今回はブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴いてきたので記述しておきたい。指揮は、一昨年モーツァルトのレクイエムで熱演を振るった福島章恭氏。そして崔文洙氏率いるヴェリタス交響楽団とこの楽曲のために結成された合唱団と独唱者という素晴らしい一期一会のメンバー達なのだ。

メインのレクイエムの前にワーグナーの「ジークフリート牧歌」の演奏があったが、楽曲の出の音色だけで、とてつもない演奏であることが読み取れた。何という柔らかな絹のような響きなんだろう。崔氏をはじめとする弦楽器群の美しさは途方もなく、かつて聴いたこともない世界がそこには広がっていたのである。テンポは限りなく遅く、フレーズの扱いは最良に保たれている。こんな楽曲だったか?と聴いている耳を疑いたくなるような響きが広がっていたのだ。およそ20分の演奏時間の中に、伝わる内容が満載で、アントンKはこれだけで腹いっぱいになってしまったのだ。

休憩を挟んで「ドイツ・レクイエム」が演奏されたが、やはり合唱指揮者である福島氏の本領発揮と言った場面が相次いだ。サントリーホールの舞台裏側席、いわゆるP席を埋め尽くした合唱団は、巧みな福島氏の指揮に操られ、天まで届きそうに連なる団員たちを包括していた。今回は、アントンKの座席が悪かったのか(2階LB席)、全奏になるとどうしても合唱団が誇張されバランスを失いがちになってしまったが、それでも管楽器のハーモニーは美しく、とりわけティンパニの主張は激しく、決めのポイントでは全体を引っ張り、この辺は録音に聴くチェリビダッケを彷彿とさせたのである。特に第6曲からの高揚感は、かつて味わったことが無く一番感動したポイントだった。

ブラームスのドイツ・レクイエムは、好きかと言われれば、まだ自分の中ではよく解っていないのが本音だろう。カラヤン、アバド、ジュリーニ、チェリ等の録音でしか知らず、生演奏では初めてと言っていいから、楽曲の鑑賞としてはまだ深いところまで手が届かない。しかし今回の演奏では、指揮者福島章恭氏の懐の大きさを見たようで、さらにまた別の楽曲で聴いてみたいという気持ちになっている。あれほどまでに独自性が強く、自分の想いを具現化できる指揮者は、そうそういないと思われるからだ。前回鑑賞したモーツァルトの大ト短にしろ、今回のジークフリートにしろ、ある意味音楽がそそり立っており、これが孤灯の芸術美ということを示した演奏だったのだと思える。だからこそ聴衆は、彼のベートーヴェン、そしてブルックナーを心待ちにしているのだ。想像しただけでワクワクするではないか・・そしてこんな素晴らしい演奏の土台は、コンマスの崔文洙氏の采配も大きかったはず。終演後、彼が各パート奏者に駆け寄り、労いの握手を交わしていた姿にアントンKも熱くなってしまったのである。久々に心の通った熱い演奏会だったと振り返っている。

ブラームス ドイツ・レクイエム特別演奏会

ワーグナー 「ジークフリート牧歌」

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」OP45

指揮  福島 章恭

ソプラノ 平井 香織

バリトン 与那城 敬

コンマス 崔 文洙

ヴェリタス交響楽団

ヴェリタス・クワイヤ・ジャパン

2019-02-27 東京サントリーホール

 

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新日本フィルのオラトリオ「四季」

2019-02-17 19:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィルハーモニー交響楽団によるオラトリオ「四季」を鑑賞してきた。

ハイドンのオラトリオと言えば、「天地創造」の方が先に来てしまうアントンKだったが、今回はもう一つの「四季」をたっぷりと聴いてきた。なかなかハイドンまでは、普段鑑賞する間もなく、不勉強の続くアントンKではあるが、生演奏では滅多に聴けないであろう楽曲を、いつもの新日本フィルの定期演奏会で演奏するとあれば行かない手はない。尊敬しているコンマスの崔氏も乗っているとあらば、迷うはずもないのだ。

オラトリオというと、宗教性が高く教会音楽に寄ったもののように思われがちだが、この「四季」に関しては、神の創造物というよりは人間界の自然がテーマになっているようだ。アントンKがハイドンを聴いたのはいつ以来のことだろうか。ハイドンと言えば、交響曲がやはり一番思い入れがある。学生時代に勉強した82番の「熊」は、当時の教授がハイドン研究家の中野博司氏だったこともあり、多々思い出も多いのだ。昔は、朝比奈隆もハイドンの交響曲をよくやっていて、実演で何度も聴いたが、まともに鑑賞するのは、そこまで遡ってしまうだろうか。

さてどんな演奏かと言えば、まずソリスト達の心のこもった歌声に圧倒されてしまった。3人のソリストそれぞれが楽曲を楽しみ、そして慈しむかのように囁き、時に熱唱するのである。またそれにつられてか、合唱団も各声部が雄弁に響き、聴いていて心地よい。それもそのはず、指揮者のイェアンニン氏は、合唱指揮のスペシャリストなのだそう。明快な指揮ぶりに表れた音楽は、明るくそしてどこまでも深かった。ハイドンの素直で美しいメロディが、久々にアントンKの心に響いたのである。全奏でも、各声部がきっちり聴こえるバランス感覚は、ここ最近の新日本フィルの真骨頂。弦楽器をはじめ、木管、金管、そしてティンパニに至るまで好調を保っていたと思う。演奏比較までは語れないが、古典から近現代まで幅広い音色を奏でる新日本フィル。また一段と磨きがかかったようである。

   新日本フィルハーモニー交響楽団 定期ルビー公演

ハイドン オラトリオ「四季」

指揮  ソフィ・イェアンニン

ソプラノ 安井 陽子

テノール 櫻田 亮

バス   妻屋 秀和

合唱   栗友会合唱団

合唱指揮 栗山 文昭

コンマス 崔 文洙

2019-02-16   すみだトリフォニーホール

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大阪フィル東京公演を聴く

2019-01-23 15:00:00 | 音楽/芸術

数年ぶりで大阪フィル東京公演を聴いてきた。

この東京公演はアントンKには久しぶり。近年の公演は思い出せず、一気に朝比奈時代まで遡りそうだ。一昨年の2017年には、井上道義の大ブルックナー展があり、兵庫まで駆け付けたことが思い出深い。以後大フィルは、監督が尾高忠明氏に変わり、昨年は早速ベートーヴェンチクルスでお披露目をしていたようだが、なかなか時間も取れず未聴のままに終わっている。

さて今回の東京定期は、すでに彼等は同プログラムを地元で2回演奏し、サントリーホールに乗り込んでくる。よってオーケストラのコンディションも、また指揮者との疎通もかなり同曲ではこなれて、ベストな演奏になるとの予想ができたのだ。実際こうして鑑賞してみて、まず第一に感じるのは、大阪フィルの音色の良さとこのオケ独特の雰囲気の良さだった。分厚い低音は相変わらずだし、管楽器も実によく鳴っていたと思う。朝比奈時代からのプレーヤーなどごく限られてしまうだろうが、一切力づくなところなど無く、弦楽器群の統一感をも相まって、素晴らしいハーモニーを聴かせてくれた。おそらくここまで粒が揃った音色の統一感を感じることができたのは、指揮者尾高忠明の指導なのだろうが、響きの奥深さとでもいうべき、堀の深い音楽がそこに出現したのである。

尾高忠明と言えば、エルガーらしいのだが、アントンKは不勉強でエルガーを昔からしっかり聴いたことがない。今回のメインプロがエルガーの第1番という事で、即興でそれこそ録音を10数回耳して会場に向かったが、音楽のツボが頭に溜まるまでには至らなかった。こんな状況でも、実演奏の醍醐味は見事なまで身体で聴く事ができ、オケと指揮者との熱量を肌で感じた想いがしている。指揮者尾高氏の指揮ぶりは、指揮棒を持たずじっくり音楽に身を置き、オケを引っ張るタイプだが、昔から奇手を狙わず真面目な音楽が鳴り、アントンKにはあまり面白みを感じない指揮者だった。昔N響を振ったブルックナーの第8番を聴いてがっかりさせられたことを思い出してしまうのだ。しかし今回の演奏を聴く限り、大フィルをここまでまとめ上げ、あそこまでの熱演を享受できるのだから、すでに円熟の境地に達しているのかもしれない。今後、過去のイメージは忘れ去り、今度はアントンKも良く慣れ親しんだ楽曲で鑑賞したいと思っている。

最後に、協奏曲を演奏したソリストの神尾真由子。確かに演奏技術は舌を巻くくらい凄いものだった。おそらく才能という輝きがあるのだろう。しかしアントンKには、どうも奏でられる音からは外面的なものしか感じられなかったのだ。ブルッフという楽曲だからなのかもしれない。だが、メインのエルガーで大活躍したコンマスの崔文洙氏の音色をその後から聴いてしまうと、彼女の音の印象は軽薄なものと感じてしまったのだ。崔氏の抒情的とも言える深い音色の艶は、アントンKの心に今回も響き渡ったのである。とても同じ楽器だとは思えぬくらい、五感に迫る情を感じた次第だ。どうしてこんなにも違うのか?それは生涯にわたるアントンKのテーマなのだ。

大阪フィルハーモニー交響楽団 第51回東京定期演奏会

武満 徹 トゥイル・バイ・トライライト

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調OP26

エルガー 交響曲第1番 変イ長調 OP55

指揮  尾高 忠明

Vn   神尾 真由子

コンマス 崔 文洙

2019年1月22日 東京サントリーホール

 

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若きブルックナー指揮者~冨平恭平氏

2019-01-14 19:00:00 | 音楽/芸術

ブルックナー演奏について、この拙いブログでも過去に何度となく触れているが、今回も誠に的を得た素晴らしい演奏を鑑賞してきたので、書き留めておきたい。

アントンKよりも随分お若い冨平恭平氏のブルックナーだ。彼の演奏についてこれまで何回か書き留めているが、今回は第7交響曲。オケは港北区民交響楽団というアマチュアオーケストラだから、当然その分は差し引かなければならないが、今回も前回の第5を凌ぐほどの内容でアントンKに迫ってきたのだ。響きの良いみなとみらいホールでの演奏は、まさにブルックナー演奏には相応しく、たっぷりとした残響を意識しながら、楽曲を堪能できたことをまずは記しておきたい。

指揮者冨平氏のブルックナーにおける演奏解釈は、ここまで全く違うオケで第3、第4、第5と聴いてきたが、今回の第7でも基本は同じスタイルで楽曲に挑んでいた。アマオケによる技術的な部分の差は、プロの個性より顕著だから致し方ない部分はあるものの、ブルックナーの響きの世界を熟知している冨平氏の目指す響きは、まさにアントンKが知る限り明らかにブルックナートーンの連続だった。第1楽章の出の部分のVnのppの音色からして、しっかりとした響きが聴き取れ、その上に第1主題がとうとうと現れたのだった。もうここだけ聴いただけで、全てがわかると言っても過言ではないくらいの安心感を伴っており、楽曲が進むにつれてそれが確信へと変わっていった。ハース版とはっきり唄っているところもいい。この第7でハース版使用とは、アントンKにはどうしても朝比奈隆の演奏が蘇ってきてしまう。第1楽章コーダは、アッチェランドすることなく、堂々と進む音楽の大きさは比類なく、まさにかつての朝比奈の第7を思い出させた。また第4楽章のフィナーレをこの第7の頂点に持ってきた冨平氏の解釈にも賛成だ。かつてブルックナー指揮者だったオイゲン・ヨッフムが第7は第2楽章アダージョが楽曲の頂点だと語っており、実演でもそのように演奏していたが、アントンKは、やはりこの第7交響曲でもフィナーレに頂点を置くべきだと思うし、今回の演奏を鑑賞してみて、改めて再考できた気持ちである。その第4楽章も、最初のテンポ設定が適切かつ最良で、符点のリズムがきっちりと演奏されていて気持ちいい。ユニゾンで開始される個所で、極端なHrnの強調には度肝を抜かれたが、実にダイナミックな解釈で新鮮に感じた。基本全てインテンポで演奏され、じっくりと響きを感じさせる演奏だったため、非力なオケを持ってもブルックナーの音色を感じることができたのだと思っている。また指揮者冨平氏は、楽章ごとの間をいつもより多めにとり、心の高揚が収まるまで指揮棒を上げなかったことも大いにうなずけたのだ。

終演後、楽屋口まで出向き写真を撮らせて頂いた。その写真を掲載しておく。冨平氏自らブルオタを自称しておられるが、アントンKのような脂臭い過熱気味の爺をとてもフランクにお相手して下さり、素晴らしいお人柄にも接することができて、大満足で帰路に就いたのである。普段は新国立劇場での活躍で多忙を極めているようだが、きっと近い将来ブルックナー演奏の第一人者としての冨平氏が世界の音楽界に認知され、大きく羽ばたく時が来ることを信じて待ちたい。

港北区民交響楽団 第63回定期演奏会

シューベルト 「ロザムンデ」序曲 D.644

ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調(ハース版)

2019-01-13  横浜みなとみらいホール 大ホール

 

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