アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

その後の成田初詣臨

2018-10-31 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

JR化後、成田線に客車列車の初詣臨が走り出し、毎年1月は、千葉方面へ出向くことが増えた。この初詣臨と呼ばれる団体列車は、成田臨をはじめ、高尾臨や伊勢神宮臨、大社臨など、全国各地で運転されていて、この時期の風物詩だったように思う。

関東に生まれ育ったアントンKは、やはり成田臨や高尾臨が最も身近で、雑誌に紹介があるたびに、いつか撮影してみたいと指を加えていたものだった。成田線経由で客車列車による団体列車が運転され始めてからは、関東全域からやってくる団臨が、成田を目指して一堂に返す訳で、今にして思えばなかなか見ごたえがあった。当初はEF58もその任を与えられ、数年活躍が見られたが、その後はEF65など新形式な機関車に置き換わっていった。また徐々に客車列車が電車に置き換わり、機関車自体の入線も稀になってしまった。

掲載写真は、お座敷列車が成田臨として入線。EF65PFが颯爽とけん引してきた晴れ姿。西日をいっぱいに受け通り過ぎるEF65PFは、普段着とは違い神々しく見えたもの。この高崎区に所属していた「やすらぎ」編成も、今となっては懐かしい。

2001-01-21   9838ㇾ  EF651102  お座敷やすらぎ編成 JR東日本/成田線:成田付近


上岡流ブルックナーへの本音

2018-10-30 17:00:00 | 音楽/芸術

今月はブルックナーの演奏会に恵まれた贅沢な10月だった。先のブロムシュテットによるブルックナーの第9番、そして今回は上岡敏之と新日本フィルによるやはり第9番を連日。これだけ第9を立て続けに聴いた経験はあっただろうか。かつて20年以上遡れば、まだ全国あちらこちらでブルックナーの演奏会があり、集中的に聴いたことはあるかもしれないが、調べないとはっきりわかっていない。マーラーを含めて、一時期のブームというような現象は無くなってしまったが、それでも年に数回の演奏会を目掛けて日々を過ごす有難みは、今のアントンKには外せない事案なのだ。

さて、今回サントリーホールとみなとみらいホールで連日同一プログラムを聴いてきたが、ブルックナーの第9番に声楽曲の「デ・デウム」が続けて演奏された。ここには指揮者上岡氏の強い希望があり、休憩を挟まず続けて演奏されるというもの。実際に、アダージョが終わって、ソロ歌手が登場後、そのまま演奏された。このスタイルは、かつてアントンKにも経験があり、朝比奈隆も東京でこの2曲を演奏したし、ケント・ナガノが来日公演でやっていたと思うが、中々実演されない「テ・デウム」を聴けるとなれば、無条件で聴きたくなるというもの。フィナーレの代わりに演奏するという意味の有り無しにかかわらず、素直に喜びたいところだ。

実際に鑑賞してみての印象は、どうしてもアントンKには、この2曲は別物として感じてしまう。交響曲第9番はやはり第3楽章のアダージョで彼岸に導かれるイメージが強く残り、あの第7のテーマので終結するのがベストに思えてならないのだ。

肝心の演奏は、今までの上岡氏のブルックナーの総決算とでもいうべき、彼の独自性を推し進めたものだった。ブルックナーの霧は極端に小さく、ホール全体に透き通った空気感を味わえたが、逆に緊張をあおられ、息を止めて気絶しそうになる。大きく楽曲が膨れ上がり、fffで主題を提示する場面は、金管楽器群の誇張は皆無で、弦楽器主体の影で鳴っている響きだった。そして二日間ともに、全休符は、通常よりかなり長めに取られていたように思う。かなり残響を意識したのか、その「間」にどこか指揮者の祈りを感じずにはいられなかった。もちろん指揮者の上岡氏は、いつもの通り暗譜で挑んでいるが、オケに対する要求がさらに綿密に構成されており、今までの第9とはかなり違った印象を持った。おそらくここまで譜面を読み返し、熟慮した解釈は聴いたことがないと断言できる。

ブルックナーの音楽は、自分の色を出したり、何かうまく演奏してやろうと解釈すると、どんどん本質から遠ざかってしまうと聞かされてきた。その一番の例が、カラヤンのブルックナーだと思うが、今回の演奏を聴いて、指揮者上岡氏は、どこかアプローチを難しく考え過ぎ、譜面と向き合うときに解釈し過ぎてしまったのではないかと自分勝手に考えている。かつて経験のない響きの世界や、神への信仰心は多々感じ取れたが、もっと素朴で単純なブルックナーの響きは聴こえなかったように思う。オーケストラは、指揮者上岡氏に食らいついて、どのパートも満足できただけに残念。他の作曲家とは同様に語れないのがブルックナーということなのか、今は考えさせられて悶々としている。

2018年10月27日 ジェイド 新日本フィルハーモニー交響楽団 第596回定期演奏会

2018年10月28日 特別演奏会サファイア

ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調 (ハース/オーレル版)

ブルックナー テ・デウム  ハ長調

指揮   上岡 敏之

ソプラノ 山口 清子

アルト  清水 華澄

テノール 与儀 巧

バス   原田 圭

合唱   新国立劇場合唱団

合唱指揮 冨平 恭平

コンマス 崔 文洙 

 


カートレイン北海道の活躍

2018-10-29 22:00:00 | 鉄道写真(EL)

前出のカートレインがかなりの反響を頂いたので、今回も続けてみたい。

カートレイン北海道とは、その名の通り関東と北海道を結んでいたカートレイン。国鉄がJRになって青函トンネルでレールが繋がり、ブルトレ北斗星が3往復体制で走り出したが、その後東海道線のカートレインに続いて登場したと記憶している。アントンKは、こちらにも乗車は叶わずだったが、その分撮影は結構楽しんだ。何せ東北線経由だから、交流区間はED75けん引。日の長い夏場によく出かけたものだ。

ちなみに北海道内は、青いDD51の単機けん引だったが、ここでは大好きなED75の方を掲載しておく。この時代、黒磯以北の東北線の撮影に出ても、同業者に会うことは稀で、圧倒的に直流機の人気が高いことを痛感したもの。この時も何かまうことなく撮影を楽しんだ。しかしそんな想いとは裏腹に、天気には恵まれず苦戦が続いていたが、こんな時に限って、普段は単機けん引のカートレインはED75重連で上ってきて度肝を抜かれた思い出が蘇ってくる。今では、こんなサプライズも起こらないのだろうが、当時が非効率だった分、今でも強く心に響いてその思いに浸ることができるのだ。こんな驚きや悔しさはこれからも忘れないだろうが、それが刺激になって次へと進んできたような気がする。現代はそういった面では詰まらなくなってしまった。

1992-08-21   8010ㇾ  ED751039+158 カートレイン北海道 JR東日本/東北本線:白坂付近


カートレインの時代

2018-10-28 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

自家用車を専用の貨車に積載して、自身も寝台車で一緒に移動。目的地から自家用車で旅することができる、理想的ともいえる列車だった「カートレイン」。東京-九州間から運転が開始され、中京地区発の列車や東京-北海道を結ぶ列車もその後現れた。自動車のサイズに規制があったり、発着の不便さや料金など、多々問題も抱えていたようだが、旅の選択技として残存を願っていたものだ。アントンKも結局乗車は叶わなかったが、数々の撮影記録だけは残されている。

掲載写真は、東海道線を上る「カートレイン九州」。当初寝台車は、20系で運転されていたが、この時すでに14系寝台車に置き換わっているようだ。朝のブルトレタイムに交じって爽快に飛ばしてきたEF65PF型。ヘッドマークも誇らしげに東上するシーンは、他のブルトレとも見劣りはしなかった。

1994-03-30   8024ㇾ  EF651053  カートレイン九州  JR東海/東海道本線:函南付近


カムバックC57 !

2018-10-26 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

東と西のC57の不調が伝えられている。

JR東日本のC57180は、この夏から検査入場して当初の運転計画がすべて取り消しになっている。また、最近、山口線をD51200に明け渡したC571も、不調のようで秋に計画されていた、山口線でのD51との重連運転は、見送りになりそうなのだ。電機よりも生き延びると聞かされた蒸気機関車たちではあるが、何せメンテナンスは電機の比ではないだろう。現場の方々のご苦労は如何なものだろうか。また元気な雄姿を見たいものだが、何事もないことを今は案じている。

一昔前、ちょうど今の時期に山口線で撮影したC571「やまぐち」号。この日は、朝から天気に恵まれず、DD51の補機付きで運転された。金色と化した津和野の山並みに長くたなびく白煙は、それまでの疲れを一気に吹き飛ばしてくれた。

2006-11-18    9522ㇾ  C571+DD51      JR西日本/山口線:津和野付近