アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

EF66の角度

2016-01-16 17:11:20 | 鉄道写真(EL)

東海道線の寝台特急、ブルートレインの牽引機は、晩年EF66が受け持っていました。

前任のEF65PFは、5~6年でその任を降りましたから、EF66の方が圧倒的に長い。

しかしEF66という機関車は、特急貨物用機として生まれた機関車。

皮肉なものです。

実際EF66は、ブルトレに似合っていましたし、全く違和感は湧きませんでした。

アントンKがこのロクロクで好きな角度は、ちょうどこの写真の角度。

西洋の機関車を彷彿とさせるお顔の角度が強調される構図です。

EF65PのHMも似合いますが、ロクロクも負けてはいません。

2008           2レ EF6650  富士・はやぶさ


急行「銀河」の思い出

2016-01-13 21:00:00 | 鉄道写真(EL)

晩年の「銀河」は、24系25型寝台にまでなりましたが、最も印象的だったのがこの20系「銀河」です。

カメラを持って東海道線に初めて繰り出たのが1975年ですから、かろうじてスハフ44を連ねた雑系編成には間に合いましたが、しばらくして、雑系客車が20系に置き換わることを知り、なぜ特急用の20系が急行に格下げなのだろうと傷ついたものです。今思えば、高度成長の波に乗り、鉄道の世界も豪華に、そして速くなっていく時代でした。いくらB寝台車でも、3段式では時代に合わなくなってきたのでしょう。しかしこの20系という客車、重厚で気品があり、今見ても大好きな車輛です。

1979-03-15      104レ  EF5891  急行「銀河」     平塚にて


EF65P トーフタバン入線

2016-01-12 21:00:00 | 鉄道写真(EL)

昔は、大きな駅の構内放送でワクワク、ドキドキしたものでした。

この12番ホーム。早朝には、次々と夜行寝台特急がやってきます。

「いなば・紀伊」→「出雲」→「瀬戸」→「あさかぜ」→→「あさかぜ」→「富士」→「はやぶさ」→「みずほ」→「さくら」

この時代は全ての列車が輝いていた。そんな時代でした。

ゆっくり進入してくる列車に合わせて放送される、助役さんの個性的な「語り」が今も忘れられません。

1976-10-12      16レ EF65538 瀬戸     東京駅

 


懐かしの「あまぎ」号

2016-01-11 21:00:00 | 鉄道写真(EC)

ポジスキャンを進めている中から、183系による「あまぎ」号を掲載します。

「あまぎ」と言えば、「踊り子」の前身の特急と言えるでしょう。まだ鉄道撮影駆け出しの頃は、157系電車が好きで、よく撮影に出かけていました。上越線を走っていた181系「とき」が183系電車に全て置き換わるタイミングで、当時の田町電車区にも、同じ183系1000番代が投入されました。掲載した写真の時代は、153系の置き換え用として185系もすでに登場しており、現代の東海道線とは違い、多彩な電車が駆け抜けていました。もちろん、EF58による荷物列車や団体臨時列車も駆け巡り、また九州ブルトレも健在でしたから、まさに東海道線の黄金時代の1コマと言えるでしょう。

1981-05-14   3023M  あまぎ3号  Tc183-1000x10B  東海道本線:根府川


坂入健司朗氏のブルックナー

2016-01-10 09:00:00 | 音楽/芸術

新年早々、ブルックナーを聴きに墨田まで足を運んできた。

今月は3回ほどブルックナーの第8を聴く予定。その一つ、最初の演奏会が今回の坂入健司朗氏のブルックナーの第8である。どこかの音楽記事で、今回の坂入氏に接し、クライマックスの形成が上手く、白熱した演奏であるとの事のようで、また別の信頼のおける音楽評論家の記事には、若いのにセンスのある指揮振りとの評価だったこともあり、少しばかり前から興味を持っていた。この評価の楽曲が、ブルックナーの第5であったことから、今回の第8は是非とも聴いておきたいとチケットを取り寄せて置いたという訳だ。

さて彼の指揮するところのオーケストラは、東京ユヴェントス・フィルハーモニーという団体。よくよく調べてみたら、慶應義塾のワグネル・ソサエティ・オーケストラの現役学生と、そのOBで構成されている。何とも身近な存在であったことに驚かされたが、その道に詳しい友人にこのことを尋ねると、この手の団体は、数多く存在しているとのこと。こちらが知らないだけで、今やアマオケは星の数ほどあると思っていいらしい。

アマ、プロを問わず、好きな楽曲を求めてまずは足を運び生演奏に接する聴き方は、ここ数年のアントンKの聴き方だが、特にアマオケの場合、録音されたものでは、全くと言っていいほど心に伝わらない事が多い。アマオケならではの聴き方、楽しみ方があり、やはり今回の演奏会の同様に、若々しさや、初々しい生きた音楽を求めたいところだ。

今回の坂入氏の指揮ぶりだが、色々な評論を読んでから出向いたからなのか、残念ながら期待に反してしまう結果となってしまった。音楽に何を求めるか?ブルックナーに何を感じるか?ということにより人それぞれの印象は変化してしまうが、アントンKには、この演奏を聴き終わって今振り返ると、耳で聴こえたものしか、心に残っておらず、どこか空虚感が大半を占めている。若いオーケストラだから、金管楽器の鳴りも良く、表面的には、派手でゴージャス、豪快といった形容ができるだろう。しかしそれらには、外面の部分しか感じられず、音色のニュアンスというか、そこから感じられる響きの奥深さがまるで無い。

また演奏を鑑賞しているさなか、どこかで聴いたことのあるテンポや解釈、オケの鳴り方が耳に着き、不思議な感覚になったことも追記しておこう。結構、各楽章のポイントにそういった解釈が現れていたので、指揮者の坂入氏が普段よく聴いていると言われている、チェリビダッケやヴァントの演奏解釈がそのまま実演に現れたのかと思うくらいに類似していた。個々のポイントについては詳しく書かないことにするが、そんなに聴衆を甘く見てはいけないと忠告しておきたい。またどうやら指揮者の坂入氏は、自分の好き嫌いと、良い悪いを混同しているようにも思える。自分の好きな演奏をあちこちから取ってきて、継ぎはぎしてから演奏を繋げたって、聴衆には何も伝わらないのではないか。自分はこうしたい、俺の第8はこうだ!という緊迫感、命がけのところが全く感じられないのである。アントンKがいつも一番大切にしている「独自性」も結局よくわからないまま終わってしまった。

 

逆に考えれば、アントンKとは親子ほど違うお若い彼が、ここまで立派な演奏を実践したということに感動すべきかもしれない。90分に及ぶ大曲を短時間にあそこまでまとめ上げた統率力に感嘆すべきだろう。しかし、聴衆であるアントンKは、どんな演奏者でもブルックナーに求めるものはいつも同じなのである。今後も彼の末長い活躍を遠くから見守りたいと思う。

東京ユヴェントス・フィルハーモニー 第11回定期演奏会

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲

ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 (1890年第2稿)

指揮 坂入健司朗

2016年1月9日  すみだトリフォニー大ホール