アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

超望遠の世界へようこそ

2019-02-11 16:00:00 | カメラ

鉄道撮影の技法として、超望遠レンズで撮影し被写体に独特の表現を求める撮影方法がある。

アントンKがまだ駆け出しの頃、鉄道写真の神様と言われた廣田尚敬氏が、まだ見たこともないような画角の写真を発表し、とても驚嘆した思い出があるが、アントンKには別世界に感じて、当時は憧れでしかなかった。

EF58を撮影していた1970年代後半、アントンKが多大な影響を受けた友人達がいた。もちろん今でも彼等とは機会を見つけては線路端に立っているが、昔のように頻繁ではなくなってしまったことが少し寂しく思う。そんな畏友たちだが、その当時から長いレンズで撮影する魅力に捕りつかれていた連中だった。アントンKは200mmレンズが一番の望遠レンズだったが、彼らは400・500・600mmといったいわゆる超望遠の世界に飲まれていたのだ。撮影に同行しても、レンズの長さで立ち位置が違い寂しい思いをしたものだが、彼等から超望遠の魅力を随分と教授させてもらったと思っている。あの当時からこんなに長いレンズで鉄道撮影し、そのカテゴリーを確立したのはおそらく彼等に他ならないだろう。ただむやみやたらに長いレンズを振り回すのではなく、しっかりとした拘った思考が存在しており、今まで考えもしなかったポイントで、または角度で被写体を捕らえることだけに神経を集中させているのだ。そこには、大いなる妄想や創造力が存在し、撮影の原動力になっているということを思い知らされたのである。頭で描いた画像を具現化する力が人一倍あるのだろうか。とにかく好きな被写体には、惜しむことなく時間と労力を費やす切り立った覚悟を感じていたのだ。

趣味の世界だから、やはり人とは違った独自性が欲しい。その手段の一つが超望遠の世界だとしたら、大いにうなずけるのだ。あれから30年以上の歳月が経ち、アントンKも彼らのような憧れの世界へ足を踏み入れる身分にもなったが、なかなか思うようにならないのが本音だ。

掲載写真は、早朝の高崎線で捕らえたEF65PFの石油列車。日の出直後で、オレンジ色の朝日が貫通扉を赤く染めた瞬間を仕留めてみた。こういった表現の強調も、超望遠ならではの世界ではないか。

2013-01-30      8760ㇾ   EF652075        JR東日本/高崎線:新町付近


CP+ 2018

2018-03-07 22:00:00 | カメラ

「カメラと写真映像のワールドプレミアショー」CP+へ今年も行ってきた。

少なくとも遠からず、自分の仕事に影響を与えかねないカメラ業界の動向には興味があり、将来に向けてどうなっていくのか関心が沸いてしまう。そういった意味においても、各メーカーが何をどうアピールしているのかが直接的に伝わってくる場でもある、このCP+にはいつも出向いている。

近年、憎きスマートフォンに圧されてデジカメ需要が下方に向かってしまっていたが、昨年のデータでは、その動きも落ち着きを取り戻してきたようで、このカメラ業界にも新たなムーブメントを期待したいところである。昨年と比較すると、明らかにミラーレス一眼という分野が大きく躍進している印象をもった。キャノンやソニーは大々的にPRしていたし、ニコンでもこの分野を開発中と聞こえてきた。さて今年は、どんなカメラが流行しヒットするのだろうか、今から楽しみだ。

そんな業界の動向とは別に、アントンKはいつものブースへ直行。いつも楽しみにしている阿部氏の講演を聞く。毎回テンションアゲアゲの阿部氏のトークは、軽妙で伝えたいことが判りやすく楽しいのだ。今年は、現在一押しのカメラと、レンズの開発者との話。大変楽しめた。

2018-03    パシフィコ横浜にて

 

 


Nikon ファン ミーティング2017

2017-08-28 20:00:00 | カメラ

写真家の阿部秀之氏が出演するというので、急遽予定を変更しニコンファンミーティングに出向いてきた。

ニコンは今年創立100周年。この記念すべき2017年にニコンファンに向けての初のミーティングが催されたのだ。開場までのロビーでは、心待ちにしているファンであふれ返っていたが、彼等への主催者側応対がとても献身的で心打たれる。受付で一人一人に対し目を合わせて記念品を差し渡し、そんなこと一つとっても気合いの入れようが伺えたのだ。

会場内は、毎年恒例のCPプラスの会場を少し広くしたようなイメージ。来場者で各部署が埋め尽くされ、思うように展示物は見られない。とにかく阿部氏の話を聞こうと一目散にイベントスペースへ向かい場所を確保しミーティングに加わることができた。相変わらずフランクな阿部氏のしゃべりは、親しみやすく楽しい。今回はニッコールレンズの話をじっくりレンズ設計者とともに話したが、とてもいつもは考えないようなレンズに対する思いが伝わり感動した。

このミーティングに合わせた形で発表されたD850という新しいカメラが、このミーティングのメインテーマなのだろうが、いろいろ話を聞いていると、一度使ってみたくなるから不思議なもの。現在のニコンの想い全部盛りのカメラだから、心動かされるというものだ。

親父のカメラをくすねて使って撮影したのがNikon Fフォトミック。そしてバイトをして買ったNikon F2やF3。FシリーズからDシリーズになり、あれから40年以上もの時間が経った。しかしここにはアントンKより遥かに愛着を持っているニコンファンたちが集まっていることだろう。そんなことを感じながら会場を後にしたが、一番感動したのは、我々ファンの気持ちを大切にしようとする主催者側の想いだったかもしれない。

2017-08    江東区 FTFホールにて

 


バケペン(PENTAX67)の話

2016-05-28 18:00:00 | カメラ

どうしたら「鉄道ファン」のような綺麗でクリアな写真が撮れるんだろう?

当時、高校生だったアントンKは、毎月発売される「鉄道ファン」を見ていつもため息をついていた。自分と何が違うのだろう?もちろんこの頃はまだ駆け出しの身。大きく見開きになったモノクロ写真に憧れ、少しでもこんな風に撮影したい、撮影出来たら、と夢見るカメラ小僧だったことを思い出す。

大学に進学し当然のように鉄道研究会に入会すると、こと写真については衝撃的なことばかり。特にペンタックス67というカメラとの出会いはとてつもなく大きかった。それまではずっと35ミリ版を使っていた訳で、これとブローニフィルムの何が違うのかも理解できていなかったアントンKは、一気に暗黒から解放された気分になったものだ。今思えば諸先輩方に伺い、今まで気づかなかった事をたくさん教わったおかげなのだが、こうしたプロセスも、今さらながらの恥ずかしさと、反対に誇りにも感じることができる。

こうなると、とにかく早くバケパンを手に入れ撮影したいと考えていたが、手に入れてからはいよいよバケペンとの修行の道が始まったのだった。この頃の撮影を思い返すと、今やっていることが恥ずかしく思えてくる。大袈裟に言えば、1コマ1コマに魂を注ぐ思いでシャッターを押していたと言ってよいか。10枚撮りのフィルムは、1枚1枚大切にシャッターを切り、フィルムが浮かないように、光が入らないように大事に大事に裏ぶたを開けフィルムを出し入れする。今やフィルムの出し入れの仕方もうる覚えになってしまったが、当時は何事も緊張の連続だったように感じている。

バケペンでの撮影は、1996年を境に途絶えてしまったから、かれこれもう20年近く経ってしまった。後半になってようやくブローニカラーポジフィルムも装てんできるようになったが、1500本近くになるバケペンで撮影したモノクロブローニフィルムは、アントンKの鉄道写真の原点であり、教科書であり、そして自分にとっての生字引なのだ。Ⅱ型を買わず、当初のまま修理しながら使ったボディも、今では埃をかぶって棚に鎮座している。いつかまたコイツにフィルムを詰めて線路端に立ちたいと考えているが、そんな機会は訪れるのだろうか。

今回は、そのバケペンで撮影した中からのもの。

「バケペンは流しの決まるカメラだ!流せ!」

当時尊敬する先輩にこうアドバイスを受け、とにかく流し撮りを果敢にチャレンジしていた時期があった。今のデジタルのように、撮影直後に結果がわからないから、現像するまでドキドキして待ったことも懐かしく思い出される。この時の手法が今でも活かされていることは間違いない。あまり背景を殺さずに適度に表現を残しながら、被写体を明確に浮き上がらせる。カメラを動かしながら、1コマ切りのシャッターチャンスをベストのポイントで決めることも試練だった。

掲載写真についても、今こうして見ると、当時のアントンKに向かって言いたいことが多いものの、まだ駆け出しの頃の写真として載せておく。ED75は、ヒサシ付きの50番代。次位のオハフ61の開けっ放しのドアがいかにも国鉄している。

1980-03-26        ED7592     東北本線:藤田-貝田にて


青春時代の残照

2016-05-08 12:00:00 | カメラ

今年は、とにかく身の回りの変化の多い年廻り。

時間とともに次々起こる出来事に押し流されそうになるが、そんな中、自らも進んで身の回りの整理を少しずつではあるが片づけ始めている。その最たる物事は、今まで撮り溜めた画像のデータ化だろうが、これは毎年思うことで中々進行しない。地道という言葉が一番当てはまるだろうが、時間の許す限り先へと進めて行きたい事柄だ。このブログにも、その都度報告できれば、進行の良いきっかけになるのだが、果たしてどうなるか・・・

また今回部屋の模様替えも兼ねて、趣味誌CDも大量に廃棄処分して心機一転を図り、普段の生活が快適に変わるようにしてみたつもりだが、必要不必要の差別化が図れず苦慮している。1年触らなかったものは、今後必要ないと言われるそうだが、その辺の境目は本当に難しいところ。

カメラやレンズもかなり整理してしまったが、どうしても手元に置いておきたい思い出深いカメラがある。

80年代に買ったNikon F3Pだ。

当時はまだ学生の身、ニコンのF3には中々手が届かず、せっせとバイトに励み、やっとの思いで手に入れたカメラだから思い入れも深い。お世話になっている先輩から、「どうせ買うならP型を・・」との有難いお誘いも忘れてはいない。このニコンF3Pに300ミリF2,8Sの組み合わせで撮影することが、当時の大きな目標だったのだ。

角ばった無骨とも言えるボディに大口径レンズを組み、線路端に繰り出す。いかにもフィルムが装てんしている感のある、モータードライブMD-4。コイツの操作音と手に伝わる心地よい振動が大好きだった。

あれから40年余り、撮影の環境は大きく変化してしまったが、ここまで思い出深いカメラは、アントンKには出来ていない。おそらくこれからも出来ないだろうな・・・

現代のデジタルカメラの方が、写真については圧倒的に良く映ることは間違いない話。しかし、ピントや露出、フィルムの好みなど、友人とのやり取りを交えたあの頃の緊張感はどこへ行ってしまったのだろうか。出来上がった写真は敵わないが、目に見えない当時の想いは、このカメラの中に宿っている。これは、青春時代の残照と言えるだろうか。

当時を思い出しながら、数十年ぶりに三脚にセットしてみた。