東海道線から定期のEF58けん引列車が廃止され、本格的に淘汰が始まると、いよいよ世間のゴハチ熱は高まるばかりで、企画列車等で動くとなると、ファンであふれ返りお祭り騒ぎとなる。御召機61号機はいつものことながら、残されたEF58にはファンの熱い眼差しが注がれていたのだ。122号機が茶色くなったり、同じく89号機が茶色に変わり、ここまでは何とか受け入れられたが、あの美しい150号機まで茶色に変わった時には興ざめしてしまった。その後、世間で熱が高まれば高まるほど、アントンKはゴハチから離れていくようになった。幹線を突っ走っていたゴハチが、飯田線をチキ2両でトコトコ牽く姿は、目頭が熱くなった。トロッコ列車を牽くゴハチは、まるで遊園地に売られたかのような錯覚を覚えた。こんな気持ちから、ゴハチ熱は冷めていき、他の機関車に目が向いていった。90年代初頭からは撮影の重きが変わり、その筆頭がED75だったように思う。当時はこのナナゴだって寄る年には勝てず、更新が進むとの情報を頂き、国鉄色のED75を追って北を目指した思い出が蘇る。
掲載写真は、重連で上ってきたED751001が黒磯で折り返し、ワム貨物列車に充当されて北を目指すシーン。この当時、ナナゴは盛岡区に配置され運用を追っていた時期があるが、いつものことながら気に入った写真を中々残せていないのが残念。またこの頃、ネガカラーフィルムで撮影しているケースが多々あり、どういうことなのかあまり記憶していないのが情けない。
1992-02-06 5161ㇾ ED751001 JR東日本/東北本線:白河-久田野