アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

現存の蒸気機関車を案じる日々

2023-09-08 08:00:00 | 鉄道写真(SL)
この令和時代、全国で未だに活躍を続けている蒸気機関車。最近、あまり耳にしたくない噂が聞こえてきた。コロナ時代を迎えて3年以上が経ち、鉄道各社にもほぼ集客が戻り、さてこれからという時に、今まで全国で運転されていた蒸気機関車たちに暗雲が立ち込めている。
 今年6月、惜しまれつつも運転終了となった釜石線に走っていた「SL銀河」に始まり、東日本のD51 498、C61 20の不調、西日本のC57 1の不具合等、ここにきて我々ファンに逆風が吹き出しているのだ。人の問題、費用対効果の思考以上に、コロナ禍を経験した我々にとってイベント列車としての蒸気機関車そのものの考え方に変化が生じているようだ。鉄道趣味界にとっても大きな転換期を迎えているのかもしれない。どうかこれからも、この鉄道文化を絶やすことなく、さらなる明るい未来を築いて欲しいと願いたい。
 昔から磐越西線には愛着があったから、ここにD51が走ると知った時は衝撃的だった。国鉄がJR化してD51498がデビューしたのが、1988年12月。そして初めて磐西D51運転となったのは、1990年1月だった。それまで専用機ED77の独壇場だった磐西の地に、本物の蒸機が現れた時は身震いして感極まったものだった。現在の「ばんえつ物語」号のように新潟県側の非電化区間ではなく、福島県側は電化区間。いくらED77で土地勘はあっても、蒸機撮影では通用しなかった思い出が蘇る。吹雪で荒れた天候も諸ともせず、延々と続く上り勾配を必死で突き進むD51に何度感動したことか。出来ることなら、こんな想いを孫子の代まで伝えたいものだ。
1990-02-04     9211      D51 498    磐越西線:中山宿
 

蒸機撮影の難しさ~釜石線 D51 498

2023-06-08 12:00:00 | 鉄道写真(SL)
蒸気機関車の撮影をする場合、まず欠かせないのが煙の存在だ。架線の下を走る車両とは違って、被写体の一部として煙もカメラを構える構図に大きく影響する。撮影の基本、何をどう撮るか?から考えても、アントンKの場合、蒸機撮影に煙は必須となる。臨場感や迫力は、その画像から一気に伝わるし、時に心を熱くするほどの力を持つだろう。昔友人が、迫りくる蒸機を撮影しながら、「五感がしびれる~っ!」と叫んだことがあったが、まさに現場はそのような状況に置かれる訳だ。
 撮影ポイントも蒸機が被写体の時には、あらかじめ煙の上がりそうなポイント、発車シーンや上り坂などを下調べしてから現地へ臨むことが多い。このあたりは、国鉄時代の蒸機を知らないアントンKからすると、なかなかハードルの高い撮影に感じてしまうのだ。そして、蒸機撮影を目指すようになってから、まず思い知らされたことは、自分の思うようにはいかない、という当たり前のことだった。予想に反して、思うように煙が出ず何度失敗したことか・・・また晴れや曇り以上に、風が大敵で、風によって煙が流されてしまい、惨敗するケースも今までに多々あった。こんなだから、逆に思い通りにシャッターが切れた時の充実感はとても大きく感じてしまうのだ。
 さて掲載した画像は、釜石線を往くD51 498 銀河号。今月運転を終えることとなったC58 239の前身は、D51が出張して何度となく走っている。20年以上前まで遡るが、当時は御多分に漏れず機関車正面に大きなヘッドマークが装着され、いつもやる気を削がれた記憶が蘇る。がしかし、風光明媚な岩手の山中、とてつもなくスケールのデカい釜石線という路線の魅力は、そんな些細なことを吹き飛ばしたのだった。地図を見れば一目瞭然だが、長大トンネルや連続勾配がひたすら続き、蒸機にとっては過酷な路線だったはず。この当時は、陸中大橋からの連続勾配には、ディーゼル機関車重連(DE10)で補機が付いて登っていた。
1999-09-12       9603    D51 498       釜石線:足ヶ瀬付近

「カニ目」に興奮した愛孫を見つめる幸せ~C11 207 "SL大樹"

2022-05-02 18:00:00 | 鉄道写真(SL)
愛孫との約束を果たすべく、東武鬼怒川線へと行ってきた。
もちろん目的は、「SL大樹」への乗車であり転車台での見学だったのだが、道中の東武線特急「スペーシア」及び「リバティ」にもリクエストが出ていて、今回はなかなか嬉しい要求が重なったのである。
当日は、不安定な寒いくらいの天候で、どうなることかと思いながら予定通りスペーシアへと乗り込んだが、何と先行列車が人身事故に遭遇、こちらも予定より60分以上の遅延となってしまった。この遅延のおかげで、下今市駅を下車してまもなく、「SL大樹5号」の発車がベストのタイミングとなり、ごった返すホームにSLの入線を待ったのだった。
慌ただしい構内放送とともに、姿を現わしたC11型は、207号機の通称「カニ目」と呼ばれている人気者。ホームにたたずむあらゆる老若男女が蒸機を出迎える。とりわけ愛孫も含むちびっ子達に絶大なる人気なのが見てとれ、アントンKは、なぜかそれだけで嬉しくなってしまったのである。
「人間に最も近い鉄道車両は蒸気機関車である」と、昔より趣味仲間から教示され、憧れが確信に変わっていったアントンKではあるが、環境問題だSDGsだと騒がれる現代においても、蒸気機関車の存在は偉大であり、通用していることが目の前で理解できたのである。そして次の世代まで、こういった素晴らしい鉄道文化を継承していくことが最も大切なことに思えたのだ。

愛孫が撮影した一コマも添えておく。ほんの20分足らずで400カットも撮影してしまうのは、正にデジカメしか知らない世代の撮影。しかし見様見真似でカメラを向けて撮影した画像を後で確認すると、思いもよらぬカットが飛び出して度肝を抜かれる。嬉しさ半分寂しさ半分の複雑な心境になったことを書き添えておく。
2022-04-30       東武鉄道:下今市にて


白い首都圏、またもお預け・・D51 498

2022-02-10 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

何日も前から雪、雪、雪と繰り返されていたが、ふたを開けてみれば長雨の様相を呈した。これから日が落ちて気温が下がってくるとどうなるのかまだ判らないが、やはり都市気候、温暖化の影響なのか、確実に東京で降雪は減ったと感じている。目に馴染んだ自宅の景色が、一夜にして別世界に代わる、あの感覚は昔から好きだった。そんなほどほどの雪景色がまた見てみたものだ。

この冬は、雪中撮影に挑もうと張り切っていたが、未だに実現出来ていない。まだチャンスはありそうだが、どうなることやら。昔を思い出して、90年代のこの時期、よく行っていた磐越西線の蒸機撮影の画像から1枚。雪中撮影は、イメージだけがどんどん先行して、結局思うようにはならないことがほとんど。この画像もそんな失敗作だろうか。特に蒸機撮影は、風の影響をもろに受けやすく厄介に感じる。この時も雪が止み、一時的に視界が利くようになったところに現われたデゴイチだったが、シャッターポイントでいきなり煙が風にあおられ、無残な画像に終わってしまった。一瞬で崖から突き落とされたような感覚。これだから、沼にハマるのだ。鉄道撮影は辞められないのである。

1996-02-03  9224 SL磐梯会津路号   JR東日本/磐越西線:更科信号所-翁島

 


蒸機列車の行方~D51 498

2022-01-04 19:00:00 | 鉄道写真(SL)

年末年始にかけての臨時列車の設定を調べてみると、今回は随分と例年に比べて減少してしまったことに気づかされる。感染症の流行が長引いてしまい、JR各社の経営そのものにも大きく影響してしまった結果だろうか。大きな負債を抱えると、やはり行楽列車や趣味性の高い列車などは、おそらく二の次となり極力設定を見合わせることとなる。この年末年始がまさにそんな印象だった。高崎支社の「ぐんまよこかわ」「ぐんまみかかみ」などは、いつになく設定が少なく拍子抜けした印象をもった。

今後を占えば、全国各地で運転されている蒸機列車も、大幅に予定変更を強いられて運転そのものを止めてしまうのではないか、と危惧してしまうのだ。現に釜石線の「SL銀河」は、運転期間を明確に発表されてしまった。このケースは、蒸機ではなく客車(気動車)の方に理由があるようだが、いずれにせよ、不採算事業には、今後も積極的にはなれない懐事情が垣間見えるのである。

この令和の世の中にして、D51、C61、C57,C58....などいまだ生きた蒸機を、孫たち世代を越えて生で観れることの幸せを改めて思い直したのである。

掲載写真は、JR化直後から返り咲き、今でも元気な姿を見せてくれるD51 498のけん引する「磐梯会津路」号。居なくなって初めて解るだろう、蒸機の偉大さ尊さを今から噛み締めておきたい。

1998-02-07 9224   D51 498  磐梯会津路号    JR東日本/磐越西線:更科(信)付近