アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

スクロヴァチャフスキのブルックナー

2011-10-30 14:51:22 | 音楽/芸術

先日スクロヴァチャフスキのブルックナーを聴きに行ってきた。オーケストラが、ザールブリュッケン・カイザースラウテウン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団ととんでもなく長い名前のオケ。つまり、もとのザールブリュッケン放送響が、もうひとつを合併してこうなったらしい。いずれにしろ、新たなメンバーを迎えて技術的にもより良くなれば全く良いことなのだが、果たしてどうなっているか興味深々で会場のオペラシティホールに向かった。

今日の指揮者であるスクロヴァチャフスキは、自分でもここ10年くらいは、聴いてきているつもりだが、演奏会は少し久しぶりになってしまった。90年代に彼のブルックナーの交響曲のCDが連番で発売になり、聴いているうちに虜になり、その後、読響での演奏会での、ブルックナーの第9を聴き決定的になった。当時からその演奏内容は、話題になっていたようだが、聴くたびに新しい発見が数々見られて大変面白いのだ。確かに色々オケに指示するから、時に音楽が小さくまとまり、小さなブルックナーのイメージになりやすいが、彼の演奏で、9番を筆頭に後期のシンフォニーはある意味絶品である。そんな期待を胸に会場に急いだわけだ。

演奏会の前半は、シューマンの4番が演奏され、休憩をはさんでブルックナーの9番へ流れる。行く前は、シューマンの前座はいらず、ブル9番のみで十分なんて意気込んでいたのだが、いざシューマンが始まると、とんでもない内容にびっくり。ここでも随所にスパイスが効いており、実に面白く聴けたのだ。オケの各声部のバランスとニュアンスは絶妙で、とても88歳の老指揮者とは感じられなかった。実に若々しいのである。さて、メインのブルックナーであるが、過去に聴いた彼の演奏よりさらに浄化されており、今回はメリハリが効いていて心地よい。そして例によって今まで聴いたことのない和声が飛び込んできて、思わずニンマリしてしまうのだ。「やるなぁ~」っと心で叫びアダージョを迎え無心の境地に追いやられたのである。10年以上前、このホールで同じ楽曲を聴いて涙したときのことを思い出してしまった。今は亡きヴァントの演奏会のことだ。永遠に続いてほしいと思わせる最後の和音が会場から消えても、今日の聴衆は、その余韻を楽しみ、拍手がない。指揮者が手を下しようやくほっと我に返った時、嵐のような拍手が湧き起こった。15分は続いただろうか、オケの団員が楽屋に去った後も、拍手は鳴り止まず指揮者を再度舞台へ誘う。私も何年か振りに我慢できず、感謝の気持ちを込めて叫んでいた。

2011-10-20  オペラシティホールにて


重連ブーム

2011-10-29 17:54:18 | 鉄道写真(EC)

今年も残るところ2か月となった。いつもながら月日の経つのは早いもの。

このブログも、自分の写真の整理を兼ねて始めて、細々と継続しているが、来年はもっと精力的に更新していきたいと思っている。来年の展望にはまだ時期が早い気がするが、思った時に記しておかないとまた延びそうだから仕方がないか・・

今年は、各地でカマを重連で走らせたイベントが多かったようだ。JR東日本ではC61が復活し、異形式でも重連運転が頻発だったように思う。また、イベントでなくとも、必然を伴う定期重連は、カマ屋には重要な被写体だろう。EF64による関東の重連2本(2085レと89レ)を今年は撮影できるだろうか。ネタカマでなくとも押さえておきたい題材なのだが、どうなることか。

掲載写真は、八高線の貨物列車。もう廃止になってどのくらい経つのだろうか。仕事の出張にかこつけて、よく通った八高線、この日は、タブレット廃止の記念マークが付いていた。普段はあまり狙わないDD51も、重連で峠を登る姿はなかなか力強くカッコ良い。

1994-5-23  小川町-明覚


急行「越前」~鉄チャンの原点

2011-10-22 17:53:26 | 国鉄時代(カラー)

相変わらずテストを兼ねた写真からの投稿でご勘弁ください。

今思えば、この70年代が自分にとって鉄道写真趣味の原点の時代であった。そして何を見ても新鮮で写欲をそそるものばかりであったように思う。掲載写真は、76年の夏休み、お盆の帰省臨を狙いに西日暮里界隈に出向いた時の1コマである。ここは、一端上野に到着した列車が、推進回送列車でバックして尾久まで戻ってくるのが、見ていて面白く時間を忘れてしまうくらい飽きななったことを思い出す。この写真も、信越線経由の金沢発の夜行急行「越前」がラストスパートをかけて飛ばしてきた脇をゆっくりと推進回送でやってきた常磐線の急行「十和田」f号である。当時の鉄チャンの狙いは、そのほとんどがEF57であり、まだゴハチが見えてくるとがっくりしていた時代であったのだが、このEF62は、私にとっては、C-Cの台車配置の特別な機関車といった思い入れがあり特に気に入っていた。もちろんこのころは、このカマが晩年東海道線で荷物列車を牽くなんて思いもよらなかったわけで、カマも人間と同じ人生何が待ち受けているか神のみぞ知るのであろう。しかしこうして当時の客車列車を見ていると、やはり自分にとっての原点がここにあることを再認識してしまう。

1976-8-6   606列車 EF6233 急行「越前」   西日暮里付近


113系の終焉

2011-10-18 17:52:29 | 国鉄時代(カラー)

先日、スカ色最後の113系が長野に向かい、これで関東から113系が消滅してしまったようである。思えば、横須賀線からは、はるか昔に113系は廃止され、また乗り入れている総武線からも減少し、東海道線からも湘南色の113系が数年前にいなくなり、今回最後の砦であった千葉地区のローカルからも撤退となった。

当然我々の年代は、過去この近郊型と呼ばれる113系や115系は、もっとも御世話になった形式と言っても良いかもしれない。色々な思い出が甦るが、やはり、学生時代は、こいつ等に乗車して、東京から大阪や、新潟へ乗り継いで行ったことが懐かしく思える。むろん直通ではないから、何回も乗り換えることになるが、その全てが当時は、113系であり、またはその兄貴分の111系であった。モハのユニットの連結部の席を陣取り、他人構わず窓を最上部まで全開にして今でいう「乗り鉄」を楽しんだものだ。テレコを持ち込んで走行音を録音したっけ?いや~懐かしいものだ。

写真は、毎年房総地区では夏季は夏ダイヤに変わり、たくさんの行楽客を乗せて走っていた快速「白い砂」号。今回のさよならのイベントでも、このマークは登場したらしいが、実際には写真の通り長大編成で運転されていた。

1978-8-13     小岩にて


185系「踊り子」30周年 記念列車

2011-10-15 17:03:54 | 鉄道写真(EC)

今日は、朝から変な気候だ。妙に生ぬるくて蒸し暑い。いきなり大粒の雨が降り、と思ったら、薄日が差すような不安定な天気であった。そんな中、東海道線に「踊り子」号の記念列車が走るというので出向くことにした。朝からのこの不安定な天気もみて、遠出する元気はなくなり、どこか近場で済まそうということに相成った。で向かったのは、懐かしい大森の「学校踏切」。昔と変わらず安易に東海道下り線を狙える。昔より保線か何かの箱が無くなりすっきりしてるかも。ちょうど、架線柱に掛け替えのようで、昔ながらのものと、目新しいものとが、重なり合って少々うっとうしい状況であった。先客に若者が2名いらしたが、その脇に入れてもらいセッティング完了。しばらくして、懐かしい斜めラインのA8編成が現れた。考えてみれば、この185系電車も国鉄型で、絶滅危惧形式ということになるのだろうか。