アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

今は亡き伝統の温泉特急「草津」~185系

2023-10-31 08:00:00 | 鉄道写真(EC)
 電車特急を続けて掲載。この185系ももちろん国鉄時代に誕生した形式だが、40年以上にも及んだ活躍の中、外観を含めて多々改造更新が行われてきた。誕生時は、0番台と200番台とに大別されていたが、その区別もいつしかなくなってしまったようで、アントンKにはもう深く判らなくなってしまった。
 ここ吾妻線の特急も、昔から何かと撮影の機会に恵まれた列車に思うが、当初の157系「白根」のインパクトから思うと、随分冷めた気持ちでカメラを構えている。157系→183系→185系→651系→現E257系と継承している温泉特急。ダイヤ自体は昔とあまり変化ないように見られるが、時代とともに撮影チャンスも減ってしまった。今度はそんな体たらくも意識して撮影に出かけてみるか。一部路線がダム建設で変更となり、どう変わってしまったか見届けるのも、新たな発見を見出せるかもしれない。

 2013-11-23   3031M   特急「草津」 185系om07   群馬原町-郷原

消えゆくタキシード特急651系電車

2023-10-26 08:00:00 | 鉄道写真(EC)
 もう国鉄型JR型問わず、現役引退の時代を迎えたらしい。もっとも国鉄が民営化されたのが、1987年4月だったから、すでに36年の歳月が流れた訳で、たとえJR化後に誕生した車両でも、その使用状況では引退していっても不思議ではないのだろう。本当に時の流れは早いものだ。
 昨日から最後の651系の1編成が廃車回送されたとSNSを賑わせているが、アントンKにとっては、この651系電車自体関わりが浅かったので、特段の思い入れは湧かなかった。485系「ひたち」の後継として華々しくデビューして、一時は一大勢力を保ち活躍していたが、それもあっという間に653系、そして657系と切り替わってしまった。この中ではタキシードボディと言っても、国鉄寄りなスタイルは651系に感じ、編成を短くされ上州に行ったり、伊豆へ出稼ぎに行ったりと、晩年は活躍が絶えなかったが、それも一瞬の出来事のように消えてしまった。
 写真は、本来の姿であろう常磐線を走る「スーパーひたち」号の651系電車。前記事で、ヘッドマークについて書いたが、特急列車の先頭を飾る愛称名は今でも必須であると思う。この651系くらいから、液晶表示が主流に変わって、写真に撮るには難易度が上がったが、それでも後の653系、657系電車のようにノーメンなスタイルでは、特急たる誇りも憧れもわかない。寂しい時代を迎えたものだ。。

2010-12-25          651系 スーパーひたち   常磐線:高浜付近

 

ヘッドマークへの憧れ~ED79

2023-10-20 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
 ヘッドマークを掲げて走る列車というのは、外国の列車には無く日本独自のものらしい。今まで諸外国で全く走っていないかと問われれば定かではないのだが、列車最後部には着けても、毎日定期的に機関車の前面にマークを掲げることは無かったと聞く。こんな話と聞くと、ヘッドマーク装着は実に日本的な発想であることに気づき、どこか誇らしげに感じてしまう。これも日本人の情感に触れるワビサビに通じる感覚なのだろうと納得してしまうのだ。
 思えばアントンKも、鉄駆け出しの頃には東京駅のEF65Pのヘッドマークにどれだけ憧れただろうか。歴代の機関車に同じマークを掲げて毎日走ってきたことを想うだけで胸が熱くなったものだった。そしていつか寝台に寝そべって遠く旅をしてみたいと思っていた。たった機関車に掲げられたマークだけで、そんな妄想までするなんて幼稚に思われるかもしれないが、今でも心のどこかに同じ想いが残っているのは変わらない。
 最後の夜行急行列車として、晩年マニアで人気が出た「はまなす」。アントンKも、定期的に急行列車にヘッドマークを付ける列車として誕生当時から気になっていた列車だった。廃止になるまで乗車することは叶わなかったが、カメラに何度か収める機会はあった。青森と札幌を結ぶ急行だから、本州側はED79、そして北海道内は青いDD51がけん引していたが、アントンKのお気に入りは海峡線専用機であるED79の方で、日の長い季節はよく会いに行ったものだった。赤い車体に黄色いマークが凛々しく、後ろに続くブルーの車体とのコントラストも特急列車然としており魅力的だったことを思い出している。掲載は、はるばる津軽海峡を越え安堵の表情を見せ青森に進入する急行「はまなす」。東北線のキロポスト740キロと、海峡線のキロポスト0キロとが交差する青森駅。そんなキロポストの間をゆっくり進むED79は、王者の風格に感じたのである。
2007-07-21      202列車 急行「はまなす」 ED79 13       青森駅

 

秋晴れを信じて・・EF81

2023-10-14 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
 晴れると清々しい季節になってきた。猛暑だった日常から解き放たれ、青い空、高い雲を見上げると、気持ちが高鳴り一人何処かへ旅立ちたくなる。そんな計画を立てるだけでも心躍るものだ。
 長年撮影主体の旅が多いからか、どうしても太陽が輝く「晴れ」の想定で行動計画もおのずと決まるが、経験上想い通りにいかないことが大半で、満足とは程遠い結果がたくさん残されている。最近の撮影では、撮影機材の変化からか、太陽光線の意識は薄らいできているが、それでも基本は「光」という魔法を信じるのがアントンKのスタイルなのだ。
 まだ寝台特急「北斗星」がEF81のけん引で走っていた時代の1コマ。この時も、天気予報は「晴れ」。夜明けとともに太陽の光を感じるはずの秋の日だった。しかし予報とは裏返しで、現地に着くと濃霧で視界が利かない。撮影どころではないのだ。もちろんこの日は、予報通り日中は秋晴れとなったが、天気の良い朝は放射冷却現象で、霧が立ち込めることが多いと聞いたのは後になってからだった。日が昇るとともに霧が晴れてきているのがわかったが、列車通過時間には間に合わず、気持ちの上では不完全燃焼な結果を朝から味わっている。こんな苦い思い出も今では懐かしく思えるが、満足な結果を出せることが難しいほど、その先へと向かう強い気持ちは今後も持ち続けていきたいものだ。

2009-11-15     2      EF81    北斗星    蒲須坂付近


ある日の大宮にて~EF15

2023-10-07 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 親戚が大宮市にある関係で、幼少の頃からここ大宮駅には親しみがあり、アントンKの鉄道への道しるべであることは、以前からこのブログでも書いてきた。
 鉄道車両にカメラを向けたのは、地元の私鉄車両に始まり、三鷹電車区での電車たち、通過していく貨物列車や特急電車で、それでも飽き足らず東京駅や上野駅へと出向いたのは、誰でもが通った道だったろう。そして北の鉄道の聖地大宮での一時も、今にして思えばグッと鉄道を身近にしてくれた場所だった。当時から音楽も大好きで、鑑賞だけでは不満足で楽器を手にしながら楽しんでいたが、音から伝わる空気感が、鉄道と接している時間と共通していると思ったものだった。その音を感じるだけで、目の前に風景が広がってくるのは音楽鑑賞と同じだと思えたのだ。だから、当時はよく特に当てもなくテレコを担いで1日駅で過ごしていた。ホームでの雑踏をBGMに、構内放送や列車の通過音が懐かしく今もスピーカーから聞こえている。引っ切り無しに到着、そして発車していく列車たちを音から想像するだけで、当時見た光景が蘇ってくるのだ。
 掲載写真は、そんな時代に撮影した大宮駅での1コマ。川越線ホームだった12番線から撮影している。キハ35系が到着してまもなく横に現われたEF15の貨物列車。ホームの高さも現在に比べれば一段低く、どこかの地方駅の様相だが、大きく様変わりした現在の大宮駅からは想像すら難しく感じる。
 1978-09-20    2763    EF15 129            大宮駅