アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

万能電機EF65の落日

2024-02-28 09:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 ダイヤ改正が迫り、いよいよ国鉄型電機の代表とも言えるEF65型がその日を迎える。アントンKにとっては、2000番台を名乗った時点で区切りが付いていたが、その後も往年の国鉄色に次々と姿を変え、まだまだ現役と思わせられた近年は、新たな趣味のお仲間もできて、大いに楽しい趣味生活だった。今は機関車への拘りよりも、友人との撮影行での数々の場面が次へ繋がってきたと思える。昔に比べたら、そんな緩い気軽な撮影だが、世代を越えてこうした鉄道趣味が継承されていくことを望みたい。
 旅客会社のEF65はすでに定期運用を持たず、貨物会社の同機もダイヤ改正で仕事が激減するとの噂があるが、あれだけ後任のEF210型が出番を待っている状況だから、これも致し方ないのだろう。でもどこか寂しさを覚えるのだ。
 まだまだ落成してから日の浅い、EF65 1000番台のコンテナ列車けん引の画像を載せておく。国鉄時代、まだEF58が東海道では幅を利かせていた時代のもの。そういえば、次位のコキフは、現存しないのか、見なくなった。
1981-02-11      8068     EF651095         掛川-菊川

憧れの「トワイライトエクスプレス」~EF81

2024-02-26 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
 早いもので、運行終了から9年の歳月が流れた。もっとも客車自体はその後も団体用として、西日本各地を巡っていたから、そんなに遠い昔には思えない。しかし、いかに今までアントンKの鉄道写真の幹が、夜行寝台列車だったのかを今さらながら痛感しているところ。過去の撮影データを整理しても、ここ最近10年の撮影出撃回数は激減してしまっていた。自分ではさほど意識は無かったが、こうして確認してみると明確に示されてしまい、少しばかりその体たらくに衝撃を受けている。
 季節を選びながら、夜行列車の走行区間をチェックし撮影ポイントに据え、その1本のために、現地を目指し、空を見上げながらその時を待つ、あの時間は至福の時だった。今にして思えば、目的を早々終え、残りの時間をどう過ごすかという、その時々のアレンジも楽しかった思い出だ。普段ではまず行かないだろう路線に足を向けたり、その土地のグルメを探して味わったりと、懐かしい場面が蘇るものなのだ。
 掲載画像は、震災後の2013年、新鶴見界隈の方々と毎日撮影に奮闘していた時期の合間を縫って単発遠征した時のコマ。今でも有名な鯨波だが、機関車の背後にオハネ25の二段窓を写し込みたくて高さを決め撮影したもの。でも電柱が鬱陶しく朝日が思いのほか弱くなってしまい気に入らずボツとなったもの。このあと、再び撮り直しに行っている。
2014-09-29    8002      EF81 103  トワイライトEXP  鯨波付近
 


最近の工事列車の魅力~キヤE195系

2024-02-20 21:00:00 | 鉄道写真(DL)
 三寒四温の季節に入った。特にこの時期は体調を崩しやすく、花粉飛散の時期とも重なっていつも憂鬱になる。毎年のこととはいえ、もうこの季節か!と時の移ろいにここでも驚嘆しているのだ。
 毎年実施されているダイヤ改正も、いよいよ迫ってきた。(3月16日)今回の目玉は、北陸新幹線の敦賀までの延伸だろうが、全国的にみれば細かな動きが多々みれるようだ。鉄道趣味的見地からみればトピックは何なんだろうか。アントンK自身の関心度が下がってしまったこともあるが、ダイヤ改正で廃止されたり、誕生したりする列車たちが、昔ほど魅力的に感じていない。それは車両そのものよりは、今の世相によるものではないかと感じている。趣味人としての世代間のズレを感じる場面が多いのだ。好き者同士、やはり同じ趣味を楽しむ人として、自分を含めて再考していきたい。
 今回の掲載は、JRのレール運搬車キヤE195系。2両編成単位で使用する定尺タイプの車両が3セットで回送されているシーンだ。国鉄時代の、茶色いクモル24のような独特なスタイルだが、電車ではなくディーゼル車というのが今時か。それまでは、レール運搬などの工事列車は、機関車けん引の貨車を使用していたが、これらが今後は全てこのキヤに置き換わっていく。普段なかなかお目にかかることは少ない列車たちだが、この時も偶然にやってきた。
2023-10-16      工9734D    キヤE195系  上越線:後閑付近

マエストロ小澤征爾の訃報にふれて・・

2024-02-10 08:00:00 | 音楽/芸術
「世界のオザワ」と言われ続けた指揮者 小澤征爾が天国に旅立った(88歳)。
随分前に大病を患い、演奏活動からはしばらく遠のいていたものの、その存在は計り知れないほど大きく、日本の、世界のクラシック音楽界が今悲しみに沈んでいる。
 アントンKも音楽鑑賞履歴を紐解けば、何回か小澤さんの音楽に触れることが出来ていた。その後、ボストン響の常任やウィーン国立歌劇場での活躍が長く、今思えば、松本などで開催された晩年の演奏には駆け付けられなかった。
 しかし以前にも書いているはずだが、目白の教会で演奏された第九は、今でも自分の中で語り草になっていて、当時が鮮明に蘇るのだ。
 彼の出演した録画放送で語っていた、「大切なのは、日常でも見たり聞いたりして感じることが出来る、自身の心だ」という他愛もない、しかしとても突き刺さったコメントで、今でも指標の一つになっている。
 音楽に携わることが、好きで好きでたまらず、常に全身全霊で音楽に立ち向かう指揮振りは、かつてのバーンスタインを彷彿とさせ、聴衆の一人になった時、いつも吸い込まれそうになったことを思い出している。
 ドイツ物よりもフランス物、ロシア物の方がアントンKの好みだったが、例外として小澤のマーラー演奏は、好んでCDを掛けたもの。特に第2の「復活」は、当時衝撃を受けた演奏だったと今でも思い出せるのだ。今日は、その当時の盤を引っ張り出して追悼したいと思っている。