アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

東北線に見た特急王国時代~485系

2021-09-29 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

過ぎ去ってから初めて解る、華やかしあの時代・・・

それを思うと、今になって空虚な心の淀みを感じてしまう。

ここを走った、ほとんどすべての車両達が過去帳入りしている現実を実感する。

出来れば、孫子の代まで語り継ぎ、

仲間たちとともに想いを分ちあいたい。

1982-03-17   485系 ひばり     東北本線:貝田-藤田


第二の人生「ひた向きに・・」~EF65P

2021-09-28 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

前記事でそれぞれに意味のある鉄道車両の塗色のことを書いてみたが、そもそも国鉄時代には、特有の頑固なまでの規律が存在していて、そこから少しでも外れると貴重とか、珍しい部類の列車として、当時はファンの間で話題になっていたことを思い出している。旅客用として誕生した電気機関車が、貨物列車を牽いたり、その逆に貨物機が突然客車列車に充当されたりする現象だ。もちろん国鉄時代には固くなにまで、そのルールが守られてきたはずだが、いつの時代も予期せぬ出来事は付き物であり、例外として記憶に残る列車たちは、多々思い浮かぶのである。鉄道写真を記録写真と位置づけたなら、詳細なデータとともに残っているそんな画像は、マニアにはたまらない写真となるだろう。

しかし以前にも記述したように、以降何でもアリの時代を迎えてしまうと、そんな珍しいシーンを目にしても不思議と感動は薄れていった。人間何て案外いい加減な生き物なのかもしれない。

掲載写真は、これを撮影していた時代は、とても違和感を感じながらシャッターを切っていた、EF65P型が牽く石油列車。つい数年前まで、東京区にいて、ヘッドマークを掲げブルートレインを牽いてきた電気機関車が、今では日の当たらない地味な貨物を黙々と牽いている姿に、人生のはかなさを知った。ちょうどこの時期、EF65P型が退いた東海道ブルトレは、特急貨物用として生まれたEF66型が誇らしくけん引しているのだから、なお更切なくなったものだった。これはそんな事を思いながら、朝の重連貨物列車を全機撮影して、裏腹な心を晴らそうと無機になって撮影していた時のもの。撮影するには余りにも悪天候で、バケペンにはカラーポジが入っているから、強引にブラして撮影している。

1987-08-28     5780ㇾ   EF65527+531     JR東日本/高崎線:新町-神保原にて


異彩を放っていた新潟色~70系電車

2021-09-25 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今でこそ、鉄道車両の地方色は自然に風景に溶け込み、ごく当たり前の光景に感じているが、その昔、国鉄時代では色目に関する印象が現代とは違っていたように思う。茶色の釣り掛け式電車に始まり、オレンジと緑の湘南色、紺とクリームの横須賀線色のスカ色。緑の山手線、黄色の総武線など、基本的な色についての規則が暗黙の中でもはっきりしていた。機関車についても同様で、旧性能電機は茶色、直流型新型電機はブルー、交流機は赤、交直流はピンクなど、基本的なルールがあった。客車、気動車もしかりで、全国旅しても、馴染みの塗色の車両たちが、この美しい日本の景色に溶け込み、どこか心が落ち着き好ましく思ったものだった。

こんな当たり前に感じていたことが、崩れ出したのは何時からだろう。高度成長期の80年代に入り、サロンカーなる客車がデビューした頃だったか。それまでのブルーに白帯だった14系客車が、未だ見たこともない重厚な濃赤色になり我々の前に姿を現わした。1981年デビューの185系電車の白地に斜めストライプもかなりショッキングだった印象が残っているが、このサロンカー(サロンエクスプレス東京)も、新しい時代の到来を思わせるような客車だったように思う。そして国鉄民営化の時代を迎え、それまでの統一感から脱皮していく。

さて、そんな時代の流れの中、いまだにアントンKにとって忘れられない電車の一つに、新潟色の70系電車がある。冬は白一色の白銀の世界になる新潟地区で、遠方からでもはっきり電車を認識できるよう、この塗色になったとどこかで読んだことがあるが本当だろうか。当時のアントンKの目にはとても斬新に映り、EF58や181系ときにも増して衝撃を受けたものだった。三セクされた信越線に、今度再びこの塗色を真似た電車が現れたらしいので、一度見に行ってきたいと思っている。

掲載写真は、振り返ったらいきなり現れ、あわててシャッターを切った時の70系信越ローカル。正面2枚窓のお顔の似合っていたが、このクハ75も負けじとシンプルの中にも自己主張があり写欲をそそられた。

1978-05-21  1326M  Tc75017            信越本線:鯨波にて

 

 

 


魅力的だったお椀型マーク~ED76

2021-09-22 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

前出したように、特急列車に絵入りマークが装着され全国的に広がっていったが、それから数年の後、今度は機関車のヘッドマークも復活。これも全国全ての特急旅客列車の先頭に立つ機関車へ例外なく装着されることとなった。アントンKはこの日をどんなに待ち望んでいた事か。それまでは、東京発のいわゆる九州ブルトレ以外は、マーク省略の期間が長かったのだ。ワクワクしながら、どう撮影しようか何度も机上の旅人となったもの。時刻表をめくりながらの時間はとても楽しく、そんな時間が懐かしく思えてしまう。

マーク復活は、まずは九州内が早かったと記憶しているが、蒸機時代から受け継いだ独特のお椀型ヘッドマークが早く見たくて、当時は色々野暮用を作っては九州へ出向いたものだった。掲載写真は多々ある中から、ヘッドマークとしては新参者の「明星」を掲載しておく。このデザインは、電車の絵入りマークから始まったはずだが、赤い電機よく似合っていた記憶が蘇る。アントンKの中では、特急「明星」というとどうしても581系になってしまうのだが、それも忘れ去られた歴史だろう。

1986-07-30    ED76 59 特急「明星」    鹿児島本線:佐敷付近


検測車今昔物語~クモヤ443系

2021-09-21 15:00:00 | 鉄道写真(EC)

前出した485系特急電車の顔を持った電気検測車クモヤ443系。

183系電車や581系電車から始まったこのお顔。最初はこれで貫通扉が備えてあるなんて思いもせず。とても考えられたデザインだと思ったもの。のちに色々なアレンジがあったのは、ご承知の通り。

今回は、電気検測車クモヤを掲載しておく。特急の顔を持つと思いきや、側面窓には急行を思わせるユニットサッシの窓が連なる、何ともアンバランスな外観で好みだった。検測車には、先輩の191系・193系があり異彩を放っていたが、当時としては編成が短く、撮影するのには上手くないと、構える度に思わされていた。春の陽気の信州で検測中のクモヤを捕らえることが出来たが、どう撮るかが最後まで決まらず、結局浅間バックに落ち着いている。

1997-04-16  試9334M  クモヤ443系 JR東日本/信越本線:中軽井沢付近