アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

趣味的にみた鉄道考察~EF66

2020-11-30 16:00:00 | 鉄道写真(EL)

師走目前のこの時期、来年はどんな年?とか、ヒット商品は何?といったたぐいの占いめいた記事が散見できる。いずれにせよ、現状蔓延している感染症の状況如何という事に尽きる。これから寒い冬を迎え、いったい自分自身がどのように感染症と向き合っていけるのか、不安が募ってしまうが、まずは自らを振り返り、焦らず冷静に対応していこうと自身に言い聞かせているところだ。

広く捉えれば、感染症の影響は国内の鉄道事業にも猛威を振っていると言える。人の移動に制限がかかった場合、当然ながら鉄道は大きな影響を受けてしまうのだ。長期的に見て、今計画されている運行形態や新車の導入、新路線の開発など予定通り進むのか疑問になってきた。アントンKに直接関わる鉄道にも、影響が最小限で収まることを願うばかりだ。

そんな見地から考えれば、来年に施行されるダイヤ改正も、これらを加味した改正になるかもしれない。普段から興味がある機関車に至っても同じことで、すでに来る改正に向けて、新型電機が次々と出場を果たして激変の予感がする。掲載写真は、伊吹山麓をいくEF66のフレートライナー。写真のEF66 0番台車も、今やご存知27号機1台のみの稼働となり、いつ休車へと追い込まれるのか秒読み状態のはず。増して100番台車に至っても、初期車数台がすでに廃車前提の休車状態なのだそうだ。毎年施行されてきたダイヤ改正だが、来春の改正は、いつになく大掛かりなものになるかも。鉄道趣味的見地からすれば、ますます趣味性は薄れてしまうだろうが、来るものを拒まず、大らかに見守りたい。

1998-03-08    EF66 38     JR東海/東海道本線:近江長岡-醒ヶ井


事業用電車に遭遇~クモル24

2020-11-29 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

先日、京急線で活躍する事業用車デトの展示を見てきた。ご存知のように京急電車は、赤色が基本であり伝統色だろうが、デトは黄色の井出達で、京急線内ではとても目立つ存在なのだ。国鉄時代に在籍していたクモル24のような、トラックの荷台が電車の運転台に付いているようなスタイルで、シンプルな顔立ちからか、とても愛嬌があり可愛い。普段は滅多に見られないらしく、偶然にでも遭遇すると幸運が訪れるとか・・・黄色にハンケチならぬ黄色い電車ということなのだろう楽しい話だ。

その肝心なデトの画像がないので、また国鉄時代の古いものから掲載。現在はJR各社、この手の事業用車は存在しているのか、あまり見かけなくなってしまった。昔は沿線に出向くと、荷物電車のクモニ13やら配給電車のクモル24などに出会ったもの。掲載写真も東北線でゴハチを待っていると、トコトコと近づいてきた列車だった。調べた訳ではないが、おそらく戦前から活躍した17m電車の改造車と思われるような、シンプルかつ武骨な顔を持ち、釣り掛けモーターを唸らして近づいてきたことを思い出す。そう思うと、ますます現代の鉄道はバラエティが無くなり、寂しくなったことを実感してしまう。

1978-08-17   クモル24003      東北本線:久喜-白岡


今年の締めくくりに蒸機を・・D51

2020-11-28 08:00:00 | 鉄道写真(SL)

師走が目の前のこの時期、ここへきて感染者数が増え続けており、どこか落ち着かず悶々とした日々を送っている。年寄りと同居している以上、最低限考えられることはこれからもしていかなければならない。数字ばかりに目が行きがちだが、再び春先のような状況にでもなったら、生活そのものが厳しくなるだろう。今は沈静化を祈るばかりなのだ。

残り数週間になってしまった今年2020年。アントンKにとっては厳しい我慢の年になった。よくぞここまで過ごせてこれたというのが感想でもあるが、多くの人たちに励まされ助けられて今日を迎えられたと思っている。誠に有難く生涯忘れることはないだろう。もちろん趣味で知り合った方々との日常の有難さを感謝し、また演奏会で本気の音楽に触れ、明日への力を享受できたことの大きさは果てしないのである。

残された数週間、2020年という年のうちに蒸機が見たい。あの五感がしびれて背筋がゾクゾクしる感覚に陥りたい。長く続く上り坂だが、ゆっくりだが必ず上り切る。そう空高く立ち上がる爆煙を見て決意したいのだ。

1998-12-29 試9244ㇾ D51 498       JR東日本/磐越西線:更科信号所付近


初めての北海道、衝撃編成現る!!~DD51

2020-11-27 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

どんなにその場で感動し、戦慄が走って動けなくなっても、そして「絶対に忘れない!」とその時断言したとしても、それ相当な時間が経ってしまい、生きていく上での諸々の事案が災いするのか、徐々に鮮明さを欠き色が褪せていく。人間は忘れるから生きていけると聞いたことがあるが、1年が年々短く感じるのも、自分の年分の1に感覚は相当するのだから当たり前の話かもしれない。生まれて初めて聴いたオーケストラコンサートや、初めて見た御召列車の光景は、未だに忘れ難いのだが、これからもっと灰色の砂の中へ入っていき、自然に還っていく記憶も多くなるのだろうか。今年は、本来オリンピックの年だったが、感染症大流行という、別の意味で生涯忘れられない年になりそうだ。少しでも心に良き想いが残っていくように、これからの時間を過ごしたいと改めて考えている。

画像を見てもピンと来なかった写真が出てきたので、掲載して意識付けしておく。初めての北海道で、道内を走る特別な車両の撮影をしようと有名な撮影地を巡っていた時、突然現れたDD51。ダイヤ上では、貨物列車の設定だが、貨車に挟まれて客車3両、それも10系寝台車のオハネ12やスハネ16であると一目でわかる。よく見ると客車の前後に車掌車が付いているから、やはり疎開か何かで回送車を繋いだのか。この時は、あまり深く考えなかったから、そのまま流されてしまった写真だった。長年撮影していると、偶然に出くわす列車はままあることだった。現在では、情報量がまるで違うから、こんな偶然はまずないことだろう。

1978-08-23  1198ㇾ  DD51 703         函館本線:豊幌-江別


北東北がED75独壇場の時代~ED75 700

2020-11-25 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

民営化が目前に迫った1986年には、復活したブルトレのヘッドマークを追って全国行脚を敢行している。ずっと変わらずに伝統的なマークを装着し運行していた東海道線の夜行列車を除き、関西発の九州ブルトレの「あかつき」「彗星」「なは」「明星」、それに東北・上信越側の「ゆうづる」「あけぼの」「北陸」「出羽」、裏日本側の「日本海」「つるぎ」。当時これらの夜行列車にヘッドマークが復活し、今まで撮り溜めてきた写真の撮り直しを迫られていた。別に自分自身で課した課題なだけで、そんな大袈裟なことではないが、何事にも甘ちゃんなアントンKだから、強い意識を持っていないと、自分で尻を叩いていたものだった。

まずここでは、大好きだったED75の特急「あけぼの」を掲載しておく。振り返れば、予想に反して最晩年まで存続していた特急「あけぼの」だから、お若いファンの方々にもお馴染みの列車のはず。新幹線の延伸で、この列車も右往左往してしまったが、人気があったのか最後まで楽しませてくれた列車だろう。晩年は、上越線経由で青森を目指していたから、EF64 1000番台からEF81へとスイッチしていたが、アントンKにとって特急「あけぼの」といったら、やはり東北線~奥羽本線経由のブルトレの印象がぬぐい去れない。直流区間はEF65PF、交流区間はED75~ED78+EF71~ED75 700とけん引機が変わり青森を目指す。そのどの区間でも凛々しいヘッドマークが掲げられ、ファンを魅了していたものだ。そして夜行列車だから、撮影にも困難を極めていた。またそれがチャレンジし甲斐のある列車でもあったと振り返る。現代なら、機材そのものが格段に良いので、また印象も変わったのかも。良き時代を生きてきたと思いたい。

終着の青森までラストスパートをかける特急「あけぼの」。ここ奥羽本線では当時ED75 700番台の独壇場。好みで言えば、ツララ切りの50番以降や、1000番台仕様の方が良いが、整った顔立ちのED75 700の洗礼を初めて受けた旅行だったと今思い返している。

1986-05-04 1001ㇾ  ED75 743    あけぼの  奥羽本線:川部付近