アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

485系鎮魂歌

2017-01-29 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

年が開けたと思ったら、アッと言う間に1月も終わり。いつもの事ながら時の流れの早さに戸惑ってしまう。

3月に迫って来ている次季ダイヤ改正では、長年親しんできた国鉄型車輛たちが、思いのほか激変してしまうかもしれないことに今さらながら気付かされている。先日の秋田区583系のラストランでは、関西圏まで大フィーバーだったと聞こえてくる。そして昨年昔から慣れ親しんだ国鉄塗装の485系の引退に続き、このダイヤ改正では、孤軍奮闘していた新潟区の485系(但し3000番代の車輛)が引退するとのことだ。これで485系電車は、団体用のジョイフルトレインでしか存在しなくなり、実質消滅を意味することになる。

今年は国鉄がJRになって30周年。何においても節目の年に当たるのかもしれない。

掲載写真は、30年以上も前に撮影した特急「白鳥」。この「白鳥」は、大阪と青森を結ぶ昼間を走行する伝統的な特急列車。走行区間が裏日本のため、東日本に住むアントンKには、長距離特急ということだけで憧れの特急列車だった。先日の583系も重厚なイメージで実にカッコいいが、この485系のボンネット型は、逆にスマートで軽快であり、今にして思えば、国鉄時代の象徴でありシンボルだったように感じている。

1986-09-07      5002M  特急「白鳥」       


佐渡裕の演奏

2017-01-28 10:00:00 | 音楽/芸術

昨日は、佐渡裕氏によるブルックナーの演奏会があった。東京フィルを振って第9交響曲を演奏。アントンKは、当日まで行くかどうか迷っていたが、結局足を運ぶのを止めた。今は行かなくて正解だったと思っている。終演後の聴衆達の御意見を拝見してみると、立派な演奏という評価の反面、やはり・・・と思わせるつぶやきが多々あったので、少し納得してしまった次第。普段は、人の意見など当てにはならず、自分の耳が頼りなんて言っておきながら、行かない演奏会では、人の意見を気にしてしまう所が何とも情けなく思う。しかし何だか「してやったり・・」の気分なのだ。

アントンKは、過去に佐渡氏の演奏会を聴いたことは何回かはある。佐渡氏自身、自分と同じ年代の指揮者であり、デビュー当時からメディアにも出演されていたため、どんな演奏をする方なのか興味があったのが最初だ。関西出身ということだからか、毎年出かけている兵庫県立芸術文化センター常設のオーケストラを創設し音楽監督もされている。バーンスタインの最後の弟子ともされているが果たして・・・

もう最初に聴いたのは、10年以上前の話になってしまうだろうが、この兵庫県立文化センターのこけら落しの演奏会を聴いたのが最初だった。その後、このオケが東京で演奏するというので一度だけ聴いた覚えがある。その時の印象は、アントンKからは随分遠いところにある演奏だったということ。音楽に求めるものが全くと言っていいほど違っている印象だった。回数を追うごとにそのことが核心に代わり、以来演奏会には行かなくなってしまった。

力づくの演奏、浅薄な音楽表現が当時の演奏の印象だとしたら、今回のブルックナー演奏は果たしてどんなだったのだろうか。もしあまり変わらない演奏だったとしたら、オーケストラの醍醐味を味わうことは存分にできたはずだが、もっとコアに求める聴衆達には、どう映ったのだろう。この解釈こそブルックナーの音楽から一番離れた演奏のように思えてならない。耳がつんざけるような意味のない最強音の連続、そのことだけに音楽を求めようとする指揮振り。かつてショスタコーヴィッチの第5の終演後の歓声に混じって、初めて「ブーブー!」と叫んでいた外国人を数人見かけた覚えがある。ブラームスの第2交響曲が、まるでロシア音楽のように聴こえ、エネルギッシュだが、ブラームスの内に秘めた情感は消し飛んでいた云々・・・

こんな体験をもつアントンKだから、今回のブルックナーはほぼダメなことは判っているし、もし行って実際聴いてダメと感じてしまったら、コアなファンからは「行く方が悪い!」と一喝されてしまうだろう。これからも遠くから佐渡氏のことは応援して行きたいが、いつか外面的ではなく、心から熱く感動できる演奏を期待しながら待ちたいと思う。

 

 


583系 ラストラン!?

2017-01-25 10:00:00 | 鉄道写真(EC)

現在、唯一稼働している秋田の583系が現役最後の走りを見せている。

当然のことながら臨時運用で、今回青森からはるばる関西まで走破する運用だ。この電車に相応しく、夜行列車で長距離走行であり、我々もそれぞれ思いを焼き付けておきたいところだ。アントンKも好きな電車だけに、最後となると大変残念に思っているが、お若い鉄道ファンとともに、この場に及んで記録に躍起になる気持ちはすでに消滅している。

かつての583系栄光の時代を知っている年代として、今走っている姿を見るのは、あまりにも寂しすぎる。もう随分昔のことになってしまったが、583系の定期特急運用が無くなり、急行電車や、今のような団体、または、スキー列車のような季節臨に使用されるようになった時代がある。その時の、臨時電車に成り下がった格落ち感がたまらなく辛かった想いが、現状の姿から甦って来てしまうのだ。

今回の運転が、本当にラストランなのか定かではないが、いずれにせよ何事も無く秋田まで無事に有終の美を飾れることを今は節に願いたい。

掲載写真は、もう20年も前になるが、スキー列車に充当された上越線を行く583系。都合よく雪でヘッドマークが消されているが、「臨時」ではなく「シュプール上越」と入っている。

1997-02-21  回9782M シュプール上越    583系 9B      


第5回 大ブルックナー展を聴く

2017-01-22 10:00:00 | 音楽/芸術

さてこの日は、大ブルックナー展があるので兵庫まで行ってきた。この大ブルックナー展も数えること5回目。第8→第7→第4→第1と進み、今回は巨大な第5交響曲となった。次回の第9でこのシリーズは終了とのこと。残った第2,第3、第6や0番はどうするのだろうか。やはりマイナーな楽曲だから省略なのか、はたまた集客の関係でソロバン勘定がはたらいたのか・・・いずれにせよ、アントンKには残念至極。この時期、このペアで一通りの全曲を聴いておきたかった。まあ井上道義氏のことだ。しばらく間をおいて、彼のショスタコーヴィッチへの拘りと同等に、ブルックナーも扱われることだろう。期待して待ちたいところである。

大阪フィルのブルックナー第5。アントンKには特に思い入れの強い演奏会なのだ。かつて朝比奈隆がブルックナー、それもこの第5はとりわけ得意としていた楽曲だった。それまで東京のオケを振った第5番は何回も実演に接することができたが、大阪フィルとの第5は、亡くなる年2001年4月の大阪シンフォニーホールまで聴くことができていない。現在、「ブルックナー聴くなら関西に来い!」などというキャッチコピーがあるそうだが、まさに当時からアントンKはそんな心境でいたことを思い出している。

今回大阪フィルのブル5は、9年振りと聞いた。さてどんな演奏になるのか高鳴る境地を押さえつつ会場へ向かった。

それにしても、ここ兵庫県立芸術文化センターは響きが良いホールだ。木目で覆われたホールは今では珍しくなくなったが、楽器の些細な音のニュアンスまで聴き取れてしまうくらい、絶妙な音色を聴かせる。逆に言えば、普段気にもしない息遣いのズレや、音程の狂いなど気づかない部分が聴こえてしまい、演奏者泣かせのホールとも言えるのだが、指揮者の井上氏がここでのブルックナー演奏に拘った訳が今改めて理解できるのである。

第5交響曲の前に前座として、指揮者ご自身の作曲した「鏡の眼」という小品が披露されたが、思いのほか聴きやすく、作曲家としての彼のセンスにも魅了される。プログラムには、自身の謙虚なこの作品に対する想いが載っていたが、ますます指揮者だけではなく、作曲家としての分野でもご活躍願いたいものだ。

休憩をはさんで後半は、いよいよブルックナーの第5交響曲が演奏される。指揮者井上氏も、自曲の演奏時のラフな衣装からタキシードに着替えて登場。気合いのほどがうかがえる。

今こうして聴き終え、振り返ってみうると、やはり大阪フィル、ブルックナー演奏には自信を持って演奏していることが伝わってきた。昨日聴いた第8の時のような迷い戸惑い感はなく、大きく深い呼吸の中、音楽に身をゆだねることができた。演奏そのものは、アントンKの意図するものでは残念ながらなかったが、これは完全に個人的な好みの問題。そこには巨大なブルックナーの荘厳建築が現れていたことは間違いない。

冒頭の出のピッチカートの音の安定、深さだけとっても、これから始まる楽曲が凄いことになると想像できてしまう。そんな演奏内容だったといっても良いかもしれない。井上氏の中で培っているブルックナー像が、この大阪フィルの音色に明確に反映されているのだろう。今まで聴いて来た楽曲と同様、実に安定した響きを堪能できた。詳細を個々に触れることは別の機会にしたいが、このシリーズもあと第9番を残すのみ。万感の想いを持って再び兵庫まで出向きたいを思う。

掲載写真は、当日の自身の作品を指揮する井上道義氏。作品に合わせた演出が井上らしくて素晴らしい。

  第5回 大ブルックナー展 

井上道義  鏡の眼

ブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調

コンマス: 崔 文洙

2017-01-21   兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール

 


インキネンのブルックナー第8を聴く

2017-01-21 10:00:00 | 音楽/芸術

昨年の秋から日本フィルの首席指揮者にフィンランドの指揮者ピエタリ・インキネンが就任して、今シーズンはいよいよ本格的な演奏活動を開始するが、そのスタートに選曲した楽曲がブルックナー、それも第8番で勝負するというので、当然のことながらサントリーホールまで聴きに行ってきた。

ピエタリ・インキネン。不勉強であまり聞くことのなかった名前だが、フィンランド出身のまだ若手の指揮者であり、今年で30半ばの年齢だ。シベリウスなどの同郷の作曲家の楽曲が得意らしいが、今回日本フィルの首席指揮者に就任を契機に、今後はレパートリーにドイツ音楽もどんどん取り入れていくとのこと。大変心強いお言葉だ。

さて、サントリーホール改装前の最後の東京定期演奏会に、ブルックナーの第8一本で勝負に出た指揮者インキネン。アントンKにとっては、やはりというか予想通り無難な演奏に終わってしまった。予想に反していたのは、思いのほか設定されたテンポが遅く、しかも頑固なまでにインテンポで貫いていたため、オケである日本フィルが苦しそうな場面が多々散見できたことだ。時に音楽の流れが悪くなり、オーケストラ全体が空中分解しそうになりそうでこちらもヒヤヒヤする箇所があった。このゆっくりじっくりをインキネン自身「Old Stale」と言っていたそうだが、どこがそうなのか意味不明で、機会があれば聞いてみたいものだ。

オーケストラの日本フィルも、決してベストではなかったように思う。このテンポが起因しているとは思いたくないが、各声部が目立ち聴こえやすくなった半面、音色が揃わずバラバラに聴こえてしまうのだ。ヴァイオリン出身のインキネンだから、特に弦楽器に注視してみたが、ブルックナーでは重要なトレモロが小さく物足りない。またベースを元とした低音部が薄っぺらで音楽が非常に小じんまりしてしまい、別の音楽が鳴っているように聴こえてしまっていた。休符の前の弦楽器の扱いが、良く言えば柔らかくソフトに納めていたが、この解釈は、少なくともブルックナーの音楽には似つかない。弦楽器に限らず、全体的に音色のエッヂを取り去り、丸みを持たせたような奏法は、聴いていると非常に心地よく、美しく感じてしまうが、これなら敢えてわざわざブルックナーである必要はない。少なくともアントンKは、この手のブルックナーは好まないのだ。また響きがホールに残っていながら、次に進む感覚はどうしたことだろう。遅いテンポなら、やはり十分な間を感じて欲しいし、こちらもその間を心の中では欲している。音楽が熱く高揚していくようなポイントでは、指揮者インキネンの要求が曖昧であり、何をしたいのか聴衆も目隠しされたような感覚になってしまうのが情けない。終曲のコーダで、ここでもインテンポを貫き微動だにしなかったが、最後の最後ソーミレドのテンポが曖昧になり、空白分解!ここはよく耳にするように、リタルダンドするのか、あるいは昨年のスクロヴァチャフスキのように、一気に終結するのかがはっきりせずに何とも煮え切らない終わり方になってしまった。何だか気になり出したら止めどなくなってきたが、これ以上個々に指摘することはしないでおこう。

今回の演奏会、指揮者インキネンの日本フィル定期演奏会への意気込みは十分に伝わったが、その演奏は残念ながら作為的であり、うまく聴かそうとしていることがわかってしまった。おそらくインキネンは、まじめな紳士であり現代の若い音楽家たちがそうであるように、スマートで技術的にも器用な指揮者なのだろう。練習時間も限られているはずで、あそこまでまとめ上げることは素晴らしく、やはり将来有望な指揮者の一人だと思う。しかし、ことブルックナーの演奏となると大分離れたところにいる指揮者のように感じざるを得なかった。。これは若さから来ることなのかもしれないが、うまく聴かそうとすればするほど、ブルックナーの音楽は遠くに行ってしまうのだ。この日の演奏会場を後にして、アントンKの頭によぎったことは、生前朝比奈がよく言っていた、「愚直に、楽譜にバカ正直に・・・」という言葉だった。

 

日本フィルハーモニー交響楽団 第687回東京定期演奏会

ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 (ノヴァーク版)

指揮:ピエタリ・インキネン

2017(H29)-01-20  サントリーホール