アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

国鉄色485系が引退

2016-05-29 19:00:00 | 鉄道写真(EC)

国鉄時代から全国で活躍し、長年特急電車の代表格として君臨していた485系が来月をもって引退する。厳密に言えば、ジョイフルトレインに変わった485系や3000番代を名乗る車輛たちは、まだ現役引退とはならないようだが、いわゆる国鉄時代からの特急色をまとう車輛達が今回引退ということらしい。

今でこそ583系と人気を二分するほど人気が高いようだが、その昔は特急電車の代名詞といってよいほど何処へ行っても走っていた形式。当然ながらバリエーションも多く、形態もその地方により様々だった。

アントンKにとっても、583系とともに同年代を共に生きてきた形式として、昔からどこか愛着が湧いている。新幹線の開業や延伸ごとに、その数を減らしたらい回しされてきた形式でもあるが、いよいよ消滅となると感慨もひとしお。最後をどこで見届けようか考えている。

最後まで残った仙台の485系(JR東日本)の6両は、近年すでに役目を終えており、団臨や季節臨のみの運用に成り下がり、往年の輝きはすでにないが、それでも親しみのある特急色を最後までまとい、力走する姿はやはり趣があるものだ。

今回の掲載は、ラストランの予定もされている「つばさ」。上野と秋田を結ぶ板谷峠を越える特急として君臨していた頃のもの。「ひばり」「やまびこ」「やまばと」「はつかり」「つばさ」・・と東北特急に明け暮れた良き時代を送ってきたファンの一人として、最後は思い出深い東北の地でシャッターを切りたいと思っている。

1989-11-02    1042M  つばさ2号         JR東日本/東北本線:金谷川-松川


バケペン(PENTAX67)の話

2016-05-28 18:00:00 | カメラ

どうしたら「鉄道ファン」のような綺麗でクリアな写真が撮れるんだろう?

当時、高校生だったアントンKは、毎月発売される「鉄道ファン」を見ていつもため息をついていた。自分と何が違うのだろう?もちろんこの頃はまだ駆け出しの身。大きく見開きになったモノクロ写真に憧れ、少しでもこんな風に撮影したい、撮影出来たら、と夢見るカメラ小僧だったことを思い出す。

大学に進学し当然のように鉄道研究会に入会すると、こと写真については衝撃的なことばかり。特にペンタックス67というカメラとの出会いはとてつもなく大きかった。それまではずっと35ミリ版を使っていた訳で、これとブローニフィルムの何が違うのかも理解できていなかったアントンKは、一気に暗黒から解放された気分になったものだ。今思えば諸先輩方に伺い、今まで気づかなかった事をたくさん教わったおかげなのだが、こうしたプロセスも、今さらながらの恥ずかしさと、反対に誇りにも感じることができる。

こうなると、とにかく早くバケパンを手に入れ撮影したいと考えていたが、手に入れてからはいよいよバケペンとの修行の道が始まったのだった。この頃の撮影を思い返すと、今やっていることが恥ずかしく思えてくる。大袈裟に言えば、1コマ1コマに魂を注ぐ思いでシャッターを押していたと言ってよいか。10枚撮りのフィルムは、1枚1枚大切にシャッターを切り、フィルムが浮かないように、光が入らないように大事に大事に裏ぶたを開けフィルムを出し入れする。今やフィルムの出し入れの仕方もうる覚えになってしまったが、当時は何事も緊張の連続だったように感じている。

バケペンでの撮影は、1996年を境に途絶えてしまったから、かれこれもう20年近く経ってしまった。後半になってようやくブローニカラーポジフィルムも装てんできるようになったが、1500本近くになるバケペンで撮影したモノクロブローニフィルムは、アントンKの鉄道写真の原点であり、教科書であり、そして自分にとっての生字引なのだ。Ⅱ型を買わず、当初のまま修理しながら使ったボディも、今では埃をかぶって棚に鎮座している。いつかまたコイツにフィルムを詰めて線路端に立ちたいと考えているが、そんな機会は訪れるのだろうか。

今回は、そのバケペンで撮影した中からのもの。

「バケペンは流しの決まるカメラだ!流せ!」

当時尊敬する先輩にこうアドバイスを受け、とにかく流し撮りを果敢にチャレンジしていた時期があった。今のデジタルのように、撮影直後に結果がわからないから、現像するまでドキドキして待ったことも懐かしく思い出される。この時の手法が今でも活かされていることは間違いない。あまり背景を殺さずに適度に表現を残しながら、被写体を明確に浮き上がらせる。カメラを動かしながら、1コマ切りのシャッターチャンスをベストのポイントで決めることも試練だった。

掲載写真についても、今こうして見ると、当時のアントンKに向かって言いたいことが多いものの、まだ駆け出しの頃の写真として載せておく。ED75は、ヒサシ付きの50番代。次位のオハフ61の開けっ放しのドアがいかにも国鉄している。

1980-03-26        ED7592     東北本線:藤田-貝田にて


薔薇の香りに誘われて

2016-05-25 06:00:00 | 日記

カメラを持って都内を散策。

日なたではもう暑いくらいのこの日、沿線に何種類もの薔薇が咲き乱れている大塚までやってきた。

それまで薔薇というと派手でゴージャスなイメージを持っていたアントンKだが、やはりそのイメージ通り、道端に咲く薔薇は、主張が激しくいざ撮影するにも難しいもの。

こんなにも種類があるのかと思うくらいの数々の薔薇のうち、一番目に止まったのは偶然にも日本の薔薇達だった。

線路を背景に、その沿道に咲き乱れる花たち。

日常と非日常が交差する。

都電荒川線。

初夏の一コマ。

2016-05   荒川線/大塚付近

 


東海道線かつての主「153系」

2016-05-22 06:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

気持ちのいい気候が続いている。

入梅前のこの時期、何をするにも心地よくアントンKも好きな季節の一つだ。何しろ新緑が美しい。生き生きとしていて心が洗われる。

日の出が早いのも良い。夜明け間もない透き通った空気は、その1日が有意義に過ごせる気がしてくる。感性が震え立つ気分になってくる。

今回はスキャンしている過去のものから・・・

毎年今の時期には、早朝の列車達を中心に撮影してきた。当然、日の長い季節ということがその最たる理由だ。冬場では撮影できない列車たちを、強い朝日のもと撮影が可能になる。今朝も相変わらずというか、日の出とともに繰り出し撮影に出かけてきたところだ。

写真は、自宅から始発電車に乗って大森まで行き撮影した時のもの。もちろん、東海道線のブルートレインの撮影が主たる目的だが、今回はその脇役たる153系電車。実は当時から、アントンKはこの153系も撮影目的だった。特に低運転台の0番代が好みで、遠くからわかると嬉しかったもの。もうJR線から急行型電車が消えてどのくらい経つのだろうか。

1978-08-02   1834M      Tc153-9      東海道本線/大森-大井町


朝比奈の音!

2016-05-21 19:00:00 | 音楽/芸術

最近特に懐かしく感じている「朝比奈の音」。

むろん朝比奈隆指揮する、オーケストラの音色のことだ。

70年代後半にFMから流れてきたチェリビダッケの音楽に刺激され興味を持ち、プライベートCDとやらを買いあさり、録音の良いものも、酷いものも聴きまくって、そして85年10月、ついにチェリの生演奏の洗礼を受け、どうしてチェリビダッケが録音に消極的だったかが、その時すぐに頭の中で理解できたように感じた。

音楽はスピーカから出てくる音だけが全てではないということを・・・

録音したものには、入りきらない部分が多くあるということを・・・

朝比奈のレコードにも当然ながら同じ事が言える。ライブ録りが多かった朝比奈のCDやレコード。確かに会場の雰囲気は伝わるようには思うが、こと演奏については、その会場にいて実際に聴いていた時とは印象がまるで違ってしまうことばかりで、がっかりすることばかり・・・

それでも、朝比奈の音楽、朝比奈の音を再び体験したい。CDを再生すると、独特の音楽の世界が広がっていく。

当時は、日本人にして19世紀ドイツ風の演奏スタイルとされた朝比奈の音楽。ドイツ人の指揮者よりドイツ的と言われていた朝比奈の音楽の最大の特徴は、各声部がどっしり大きく堂々としていること。特に低弦が安定して大きく聴こえ重厚な分厚い音色がホールを包み込む。だから、楽曲によってマッチするしないが歴然と表現されるが、一度朝比奈の虜になると、たとえフランス物であろうとも聴きたくなり納得してしまうだろう。

こんな音楽の構成だから、ドイツ物、特にベートーヴェンやブラームス、ブルックナーの楽曲にはぴったりとハマっていた。重厚で愚直であり、譜面に忠実を目指した朝比奈の演奏は、最近のやけにスマートで美麗な演奏を貧弱で物足りなく感じさせてしまうのだ。

晩年朝比奈は、世界最長老指揮者と言われ、メデイアに持てはやされてしまい、チケットも取りづらくなり、また聴衆の雰囲気もそれまでとは変わってしまい、アントンKは少し辛かったことを思い出すが、それでも演奏スタイルは、オケの能力の向上とともに変化していくものの、基本的な朝比奈節は最後まで健在だった。

今こうして思い返してみると、やはり朝比奈の演奏で一番好みなのは、70年代から80年代の頃の演奏になる。カラヤンや、ショルティ全盛のこの時代、この世界でも超一流とされる指揮者たちの演奏より、アントンKの心を打つ演奏は、圧倒的に朝比奈/大フィルの演奏だった。嘘だと言うなら聴いてみてほしい。当時のベートーヴェンやブルックナーのシンフォニーを・・・

オケは数段落ちるのに、どうして朝比奈の演奏の方が感動できるのだろうか?

先入観を排除して、自分に正直に心に問うた時アントンKは、やはり朝比奈の演奏を取る。この歳になるまで、どれだけ勇気づけられたかしれないが、これからも、自分の心の中では熱演が繰り広げられていくことだろう。