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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

昭和100年に見る国鉄顔電車~113系

2025-03-03 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 今年、令和7年を昭和に置き換えると、昭和100年にあたるらしい。昭和生まれのアントンKにとって、やはり切りの良い年回りは理由なく感慨深くなるものだ。国鉄時代が随分昔に感じてしまうが、同じように昭和時代も益々遠くになった感覚だ。昭和時代では東京のシンボルと言えば、まず東京タワーだったはずだが、今や東京タワーは周りの高層ビル群で存在がはっきりわからない有様。アントンKにとって馴染み深い都会の街並み渋谷、浜松町、新宿そして品川などは、自分が知っている昭和の景色から逸脱してしまった。これが昭和100年の現実ということだろう。自分は、ますます時代から取り残されてしまっていると痛感しているのだ。
 けど、どんなに時間が経っても、質実剛健で好ましい顔に思える電車がアントンKには未だ存在している。新性能湘南電車として誕生した111系・153系電車から始まる貫通扉のある、あの顔だ。出来れば、原形ライトのデカ目がいい。
 ここでは、総武線を行く113系電車を貼っておきたい。
 1986-04-13      441M       総武線113系普通     物井-佐倉

国鉄時代の象徴だった「ブルートレイン」~EF65

2024-10-03 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 今年2024年は、国鉄が民営化してから38年目となり、いよいよ国鉄時代(1949-06-01~1987-03-31)の長さを越えていく時代に入った。国鉄が民営化される話を聞いて驚いたのが、ついこの間に思えてしまうが、あれから間違いなく38年という時空を越えてきた訳だ。何という間の出来事なのだろうか。確かに思えば、アントンK自身にも色々なことがあり、若き時代に想い描いた夢も、いつしか形を変えながら、新たな現実へと繋がっているようにも思える。こうしてどうにか健康でいる日々に感謝し、決してそれは家族の支えなくしては叶わないことを肝に銘じなければいけないと改めて思い返している。
 こんなに長く鉄道を愛し、いつも線路を意識してきたアントンKだが、今までの自分の鉄人生を振り返ると、最も影響を受けた列車は夜行寝台列車なのだろうと思う。アントンKが鉄の産声を上げたのが1975年だから、まだ全国に夜行列車はたくさん設定されていた。それから約12年で民営化されるから、自身においては、JR時代はすでに自分の中では3倍以上の時間が経っていることになる。その間、あれだけ憧れていたブルートレインは徐々に減便され、今では全く線路上から消えてしまった。その過程をずっと見つめながら生きてきた訳で、とても切なく、人生も儚い夢のように思えてしまうのだ。
 掲載写真は、国鉄時代まだ寝台列車が全国でヘッドマークを掲げていない過渡期の特急「あけぼの6号」。この後、全国でヘッドマーク復活の報を聞き、狂喜乱舞したことが懐かしく思い出される。
1984-10-14    1006    EF65 1051  あけぼの6号  東北本線:矢板付近

憧れの撮影地「山崎」へ向かったGW

2024-05-06 07:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 「山崎」へ行ったと言っても、国鉄時代今から45年前の話。
最近は何処へ行っても混雑するGWは避け、その前後に遠征は考えるようにしているが、掲載写真の時代は、まだ学生の身分、時間はあるが金が無いといった時代だから、世間が連休と言っても何のその。大垣夜行で関西を目指し、新幹線には見向きもせずといった旅行も多かった。お若い読者様には、大垣夜行と言っても理解不能だろうか。当時は、東京駅を23時台に出発する大垣行き普通列車が走っていた。深夜帯は快速運転になったはずだが、名古屋で夜明けを迎え、大垣には朝方ちょうど何をするのにも良い時間に到着した。今思えば、こんな便利な列車が毎日走っていたのだから、やはり国鉄時代は鉄道ファンにとっては天国だったと言えるし、また現在の鉄道よりもっと身近に感じられたもの。今ではどこへ行くにも、新幹線は外せなくなってしまった。強引に在来線移動を試みたなら、時間がいくらあっても足りない状況だろう。だから自家用車、バス、航空機へと旅行手段が変わっていく。鉄道会社も、鉄道離れの原因を自ら生み出しているのではないかと思えてならないのだ。
 さてこの時は、撮影旅行としては2回目の関西だったはず。土地勘はまるでないから、当時の雑誌を片手に撮影地を友人と巡った良き思い出だ。この後、兵庫の須磨海岸まで行って関西ブルトレを狙って、やってくるゴハチに一喜一憂したことも懐かしい。
 写真を見ると、現在の山崎とさほど変化は無いのだろうが、電柱がまだ木製だったり、背景に山が迫り緑が多く写り込んでいることに気づかされる。被写体である鉄道車両は、現在と全く異なることは当然としても、被写体以外に写り込む背景がここまで変わり、雰囲気が違ってしまうとは当時は思いもしなかったことだ。長年カメラ撮影を続けていると、同じような体験が数多く繰り返される。こんな体験の反省から、アントンK自身の撮影意識も徐々に変化してきた。この写真の当時から、先輩方に教わった「被写体は大きくはっきり!」という構図意識は根底には未だに在り変化出来ずにはいるが、近年では臨機応変にカメラを構えられるようになり、構図の引き出しも増えてきたと撮影した画像を見返している。写真に写っている153系新快速、そして東海道緩行103系はすでに過去帳入り。EF81は、当時まだ新しい電気機関車だったが、45年経った現在でも九州で走っているという現実。趣味は長く続けるものなのだ。
 1979-05-05      4573     EF81 117   山崎-高槻

春に向かう高揚感~103系

2024-03-26 09:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 桜の開花が遅れている。気象庁の発表からも修正があり、今日現在(3月26日)都内では確認できていないようだ。確かにここのところ、肌寒い日々が続き、冬に逆戻りした印象をもっていたが、いくら温暖化が進むとは言え、植物は気候に正直といったところだろう。
 アントンKの鉄道写真も終盤を迎えてはいるが、ここ数年は季節感のある画像も意識するようになっている。一番解かりやすいのが、春は梅、桜、菜の花など色とりどりの植物と被写体を絡めることに注視している。最も安直な撮影法だろうが、誰もがその画を見て春を印象づけることに一番近いと思えるからだ。ここでも長年撮影してきた自分流を取り入れて画像を構成できるよう日々精進しているのだが、現実はなかなか厳しく思うようにはいかない。
 今年は、桜前線とともに撮影計画を立て、今まで行きたかった撮影ポイントにも足を延ばしたく思っている。これも来月からのスケジュールによるが、今年はもう少し自分の時間を持ちたい。これも贅沢な話ではあるのだが・・・
 掲載写真は、国鉄時代の桜の名所、東中野の土手を往く中央線103系電車。月刊誌「鉄道ファン」に掲載された写真を見て、何度か行った時のものだ。当時は雑誌の写真を見て撮影地に出向くことが多かった。それほど情報が無かったとも言える。46年前の東中野。とんでもなく時間が過ぎてしまった。
 1978-04-09      103系      中央線:東中野にて


ブルトレ末期まで活躍した 特急「あけぼの」~EF65PF

2023-12-20 08:30:00 | 国鉄時代(カラー)
激変が予想されるEF65PFの話題を続けていく。
 アントンKの場合、鉄道写真を開花したきっかけとなったのはEF57という電機だったが、当然のことのように、その後EF58、EF65と興味の幅は広がっていった。当時を思えば、許されるフィルムの枚数も限られ、来た列車全てにカメラを向けられていないが、なかなか日頃見ることが出来ない車両達には無我夢中でシャッターを切ったものだった。今回はそんな中から特急「あけぼの」をけん引するEF65PF。撮影当時は、この特急「あけぼの」は上野-秋田を2往復。もちろん福島から奥羽本線に入るルートで北東北を目指していた寝台特急だった。ご覧のように、当時はブルートレインといっても、機関車にヘッドマークは無く、他の特急急行の客レに混じってとても地味な存在だったが、唯一20系客車という輝きが特急列車を主張していたように思う。当時でも東海道ブルトレにはヘッドマークが装着されていたことからも、被写体として華が無い特急列車に映っていたことは事実だった。そんなブルトレ「あけぼの」も寝台特急として平成の最期まで走り続けてきた列車だったことは、今思っても喜ばしい。お若いファンの方々にもまだ記憶に新しく、時代を共有できる列車として存在していると思えるからだ。
 当時は宇都宮機関区に配置され、首都圏で活躍していたEF65PF型だったが、おそらく一番の花形運用がこの「あけぼの」だったのではないか。今さらながら、そんな想いで写真を眺めている。いつ来るかしれないEF57を待って待って、ここ西日暮里に夜明けから陣取っていた合間に現われた「あけぼの」。あれから半世紀経った今、またEF65PFのことが気になっている。
1976-04-25    1002     EF651030     あけぼの1号   西日暮里付近