アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

憧れの撮影地「山崎」へ向かったGW

2024-05-06 07:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 「山崎」へ行ったと言っても、国鉄時代今から45年前の話。
最近は何処へ行っても混雑するGWは避け、その前後に遠征は考えるようにしているが、掲載写真の時代は、まだ学生の身分、時間はあるが金が無いといった時代だから、世間が連休と言っても何のその。大垣夜行で関西を目指し、新幹線には見向きもせずといった旅行も多かった。お若い読者様には、大垣夜行と言っても理解不能だろうか。当時は、東京駅を23時台に出発する大垣行き普通列車が走っていた。深夜帯は快速運転になったはずだが、名古屋で夜明けを迎え、大垣には朝方ちょうど何をするのにも良い時間に到着した。今思えば、こんな便利な列車が毎日走っていたのだから、やはり国鉄時代は鉄道ファンにとっては天国だったと言えるし、また現在の鉄道よりもっと身近に感じられたもの。今ではどこへ行くにも、新幹線は外せなくなってしまった。強引に在来線移動を試みたなら、時間がいくらあっても足りない状況だろう。だから自家用車、バス、航空機へと旅行手段が変わっていく。鉄道会社も、鉄道離れの原因を自ら生み出しているのではないかと思えてならないのだ。
 さてこの時は、撮影旅行としては2回目の関西だったはず。土地勘はまるでないから、当時の雑誌を片手に撮影地を友人と巡った良き思い出だ。この後、兵庫の須磨海岸まで行って関西ブルトレを狙って、やってくるゴハチに一喜一憂したことも懐かしい。
 写真を見ると、現在の山崎とさほど変化は無いのだろうが、電柱がまだ木製だったり、背景に山が迫り緑が多く写り込んでいることに気づかされる。被写体である鉄道車両は、現在と全く異なることは当然としても、被写体以外に写り込む背景がここまで変わり、雰囲気が違ってしまうとは当時は思いもしなかったことだ。長年カメラ撮影を続けていると、同じような体験が数多く繰り返される。こんな体験の反省から、アントンK自身の撮影意識も徐々に変化してきた。この写真の当時から、先輩方に教わった「被写体は大きくはっきり!」という構図意識は根底には未だに在り変化出来ずにはいるが、近年では臨機応変にカメラを構えられるようになり、構図の引き出しも増えてきたと撮影した画像を見返している。写真に写っている153系新快速、そして東海道緩行103系はすでに過去帳入り。EF81は、当時まだ新しい電気機関車だったが、45年経った現在でも九州で走っているという現実。趣味は長く続けるものなのだ。
 1979-05-05      4573     EF81 117   山崎-高槻

春に向かう高揚感~103系

2024-03-26 09:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 桜の開花が遅れている。気象庁の発表からも修正があり、今日現在(3月26日)都内では確認できていないようだ。確かにここのところ、肌寒い日々が続き、冬に逆戻りした印象をもっていたが、いくら温暖化が進むとは言え、植物は気候に正直といったところだろう。
 アントンKの鉄道写真も終盤を迎えてはいるが、ここ数年は季節感のある画像も意識するようになっている。一番解かりやすいのが、春は梅、桜、菜の花など色とりどりの植物と被写体を絡めることに注視している。最も安直な撮影法だろうが、誰もがその画を見て春を印象づけることに一番近いと思えるからだ。ここでも長年撮影してきた自分流を取り入れて画像を構成できるよう日々精進しているのだが、現実はなかなか厳しく思うようにはいかない。
 今年は、桜前線とともに撮影計画を立て、今まで行きたかった撮影ポイントにも足を延ばしたく思っている。これも来月からのスケジュールによるが、今年はもう少し自分の時間を持ちたい。これも贅沢な話ではあるのだが・・・
 掲載写真は、国鉄時代の桜の名所、東中野の土手を往く中央線103系電車。月刊誌「鉄道ファン」に掲載された写真を見て、何度か行った時のものだ。当時は雑誌の写真を見て撮影地に出向くことが多かった。それほど情報が無かったとも言える。46年前の東中野。とんでもなく時間が過ぎてしまった。
 1978-04-09      103系      中央線:東中野にて


ブルトレ末期まで活躍した 特急「あけぼの」~EF65PF

2023-12-20 08:30:00 | 国鉄時代(カラー)
激変が予想されるEF65PFの話題を続けていく。
 アントンKの場合、鉄道写真を開花したきっかけとなったのはEF57という電機だったが、当然のことのように、その後EF58、EF65と興味の幅は広がっていった。当時を思えば、許されるフィルムの枚数も限られ、来た列車全てにカメラを向けられていないが、なかなか日頃見ることが出来ない車両達には無我夢中でシャッターを切ったものだった。今回はそんな中から特急「あけぼの」をけん引するEF65PF。撮影当時は、この特急「あけぼの」は上野-秋田を2往復。もちろん福島から奥羽本線に入るルートで北東北を目指していた寝台特急だった。ご覧のように、当時はブルートレインといっても、機関車にヘッドマークは無く、他の特急急行の客レに混じってとても地味な存在だったが、唯一20系客車という輝きが特急列車を主張していたように思う。当時でも東海道ブルトレにはヘッドマークが装着されていたことからも、被写体として華が無い特急列車に映っていたことは事実だった。そんなブルトレ「あけぼの」も寝台特急として平成の最期まで走り続けてきた列車だったことは、今思っても喜ばしい。お若いファンの方々にもまだ記憶に新しく、時代を共有できる列車として存在していると思えるからだ。
 当時は宇都宮機関区に配置され、首都圏で活躍していたEF65PF型だったが、おそらく一番の花形運用がこの「あけぼの」だったのではないか。今さらながら、そんな想いで写真を眺めている。いつ来るかしれないEF57を待って待って、ここ西日暮里に夜明けから陣取っていた合間に現われた「あけぼの」。あれから半世紀経った今、またEF65PFのことが気になっている。
1976-04-25    1002     EF651030     あけぼの1号   西日暮里付近

EF65PF若かりし時代 

2023-12-16 09:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 にわかに65PF型の注目度が上がってきているようだ。今年になってから、旅客会社、貨物機ともども現役引退機が現れてしまい、数を減らしているからだ。今までを振り返ってみても、EF65の活躍ピークはとうに過ぎ、最近では余生を送っているという雰囲気が醸し出されてきた。それは、いつの間にか、更新色が大部分になった65PFが国鉄色いわゆる特急色に戻されてから、かなり時間が経過したという現実でも容易に理解できるのである。
 アントンKはというと、我が人生とともに歩んできた機関車の一形式としての愛着は大いに沸いているが、だからといって熱い視線で撮影に奔走するといった気持ちは随分昔に無くなってしまった。思えば、東海道ブルトレに抜擢され走り出した時代、そして全国的にヘッドマークが復活し、特に65PFの「あけぼの」の復活に興奮した1985年が自分にとってのピークだったのかもしれない。来年のダイヤ改正でも大きく変わることが予想されるから、もう一度今の65PFに向き合ってみるのも良いかもしれない。
 掲載写真は、それまでの65P型からスイッチされ、ようやく東海道ブルトレけん引機として板に就いてきた65PFの晴れ姿。この後EF66にさらにバトンを渡してしまい、丸型「富士」から山型「富士」にヘッドマークも変化したからか、丸型「富士」マークも懐かしく感じてしまう。
1981-10-20      8列車 EF651100  「富士」  真鶴付近にて

失われる身近な原風景~三鷹人道橋

2023-09-28 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
もうどのくらい経ったのか判らないが、三鷹電車区(現在は車両センター)を跨ぐ人道橋がいよいよ取り壊しになるという記事をどこかで読んだ。
 アントンKにとって、当時は国鉄電車との接点だった当地。模型が好きで鉄道趣味の世界に没頭し、模型屋さん巡りに明け暮れていた頃、自宅から自転車で通うことができた三鷹の「トリオ商会」には入り浸った。店の目の前が中央線の線路で電車区前。何という立地だろう。101系電車の通過音を聞きながら店の扉を開けたものだ。一通り展示品に目を通すと、再び店外へ出て列車の通過を待った。そんな時、この人道橋に上がると、赤い電車を横目に多くの中央線のスターたちが見渡せたのだった。憧れの181系あずさに始まり、115系、165系や70系、地下鉄線用301系も休んでいて時間を経つことも忘れ佇んでいた。豊田に103系増備車が配置されるのはこの後だったが、当時の当たり前の光景が、今では夢の光景に。この人道橋から見下ろす景色は、アントンKの国鉄電車原風景だ。
 
昨年、数十年ぶりに当地を訪れている。多々お世話になった模型屋さんは無く、中央線は、西に向かって高架線へとスロープが出来ていた。もちろん見渡せる電車群も様変わりしていて、どこか別の土地のように感じてしまった。補強が痛々しい人道橋だけが当時を偲ばせてくれていたが、この橋もいよいよ過去帳入りとなるようで、またひとつ思い出の地が消えていく。