アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

御召電車157系の魅力

2019-03-15 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

EF57を狙いに東北線に繰り出した時、偶然にも御召列車に出くわしたことが何度かあった。アントンKは、当時157系電車は好んで撮影しており、東海道線の特急「あまぎ」、そして吾妻線の特急「白根」には注目していたものの、いきなりやってきた御召電車には驚きを隠せなかった。

クモハ157のマーク無しに遭遇したのも、この時が初めて。何とも間の抜けたお顔立ちに思えて、あまりの印象の違いにびっくりした。菊のご紋の付いたクロ157は、編成の中央に連結されているが、一号編成のような輝きは感じなかったように思う。せめて前面に日の丸を掲揚していれば、随分とイメージも変わったのだろう。後年の御召列車のことを考えれば地味に思えるのだ。

157系引退後、電車の御召列車は、183系、185系、そして現代のE655系へと様変わりしていくことになるが、そう考えると、初代157系の御召電車が一番厳かに思える。

掲載写真は、元荒川橋梁をいく157系御召列車。あくまでもゴーナナ撮影の次いでの収穫であり、当時あまり感激も出来なかったのが正直なところ。まだ駆け出しのアントンKにはこんなところだろうか・・

1976-08-13     御召列車 Mc157-1    東北本線:蓮田-白岡

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都心を行く元祖湘南電車~80系

2019-03-05 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

時代がさらに遡り、1970年代の本格的にアントンKが鉄道写真を撮影し始めた頃の、未熟な画像を出してしまおう。

同級生のそれも同じクラスに、当時蒸機撮影を本気でやっていた友人がいて、彼に連れられて都心に出た時のもの。色々と撮影には影響を受けたが、ついに渡道することはなく当時の国鉄時代最後の蒸機撮影には間に合わなかった。この年は、彼とともに関西へ撮影に出て、まだ見慣れない電車や憧れのブルトレなども初めて撮影できた記念すべき鉄元年の年。ちょうどかれこれ半世紀に及ばんと時間が流れてしまった。

田町駅ホーム品川寄りで撮影した東海道線ローカルの80系電車。当時は浜松辺りから1往復の80系の運用があったと思う。すでにローカルは、111系113系が大半を占め、コイツが来ると異色の存在に映った。同じ湘南色でも全く存在感が違い、若かったアントンKは、釣りかけ式モーターの走行音に圧倒された想いが今でも蘇る。幼い頃から正面2枚窓の電車には身近な私鉄電車で見慣れていたが、国鉄型70系電車とともに、この80系電車も東海道線の歴史を語る上で重要な電車だろう。後年、現行の185系電車をこの80系カラーに模して走っていた時期があるが、あれは失敗作。どこからも、この80系電車の面影を感じなかった。見ているだけで、乗って旅したい衝動に駆られる、旅情たっぷりな電車だったように思い出している。

1975-07-05   826M  Tc86      東海道本線:田町にて

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東北電機の主~ED71

2019-02-15 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

東京に生まれ育ち、興味を持った最初の鉄道は地元の電車だった。幼児の時代から電車で通園していた時代だから、毎日乗る電車に興味をもつのは当たり前かもしれない。今でも不思議とその当時の光景が思い出せるから、やはり自分には強烈な印象だったのだろう。そんなおぼろげな想いから鉄道模型へと興味が移り、そして写真の世界へ向かっていった。蒸機には間に合わなかったが、当時の機関車や電車には全て興味があった。当然ながら身近な鉄道は、直流区間だったから、初めて交流機を見た時はとても新鮮に感じたことが思い出せる。真っ赤な機関車が重連で目の前を駆け抜ける姿は、アントンKを一気に虜にしたのだった。それ以来、機会を見つけては交流機も大事なターゲットに変わった。

今回は、そんな想いが心を支配し始めた、80年代初頭に撮影したED71を掲載してみる。この時代は、ED71 にとっては最後の活躍を見せている時代で、その後ダイヤ改正ごとに運用が減少していった記憶が残っている。北陸線を走ったED70には間に合わなかったが、その面影の残るED71は、ちょうど直流機のED60とかED61のようなスタイル。端正な顔立ちが好きで、屋根上の機器も目一杯にぎやかでとても魅力的だった。写真は、貝田の坂を下りてきたED71重連の貨物列車。

1982-03-17     5680ㇾ  ED7152+11    東北本線:貝田-藤田

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夕方の東海道線はゴールデンタイム

2019-02-03 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

EF65PFのブルトレを続ける。

EF65P型のブルトレを満足に撮影出来ずに終わってしまったアントンK。その当時は、まだカラーポジの使用経験がなく、カラーフィルムと言えばネガカラーを使用し、それで満足していた時代だった。あっという間に、東海道線の九州ブルトレが65P型からPF型に置き換わり、(1978年秋)不完全燃焼だった気持ちが全てPFブルトレへと向かっていた。当時を思えば、本気で鉄道撮影を始めてまだ日が浅く、最も身近だった東海道線のブルトレが格好の被写体になったことは、当然の成り行きだった。もちろんこの時代には、まだまだEF58という人気の電機も全国に君臨しており、合わせて撮影を勤しんだが、何本もの寝台列車が、行き来する九州ブルトレは、当時ゴハチとは違った、別の意味での王者の風格を感じたもの。どちらかというと、地味でマニアックなEF58に対して、華々しく華麗な夢を運ぶ列車に思えていたのだ。暖地型のEF65PFは好みではなかったが、伝統あるヘッドマークを掲げ、日夜ひた走るブルトレは、アントンKにとって当時最も重要な被写体になっていった。

そんな当時の想いが過る画像から1枚掲載してみる。

九州ブルトレは、年間を通じて上り列車が撮影しやすく、名撮影地と呼ばれたポイントで何度となく撮影のチャンスを持ったが、夏場は下り列車も撮影の機会を得られた。下り列車トップは、1列車「さくら」で、東京発16:30。そして3ㇾ「はやぶさ」16:45発。5ㇾ「みずほ」17:00発。と15分間隔で続く。夏場なら、熱海くらいまで走行列車の撮影は可能で、何度となくトライしたもの。現在のように機材が優秀なら、と欲をかいてしまうところだが、こればかりは仕方がない話なのだ。掲載写真は、東京17:00発の熊本・長崎行き「みずほ」。この「みずほ」は、伝統ある九州ブルトレの中でも早い段階で消滅してしまい、比較的地味な列車に感じていた。夏至の頃の晴天日を狙って撮影したが、今でこそお馴染みになった撮影ポイントだが、当時は撮影者など誰一人いなく、いつも一人で列車を見送っていたことを思い出す。

1984-06-16     5ㇾ EF651106   みずほ   東海道本線:東神奈川付近にて

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富士山バックでEF65PF「富士」

2019-02-01 21:00:00 | 国鉄時代(カラー)

乾燥が続く関東地方にも、ようやく雨が降った。雪になるかも、都心でも積もるかも・・と、いつも必要以上に聞こえてくるが、大概それは今でいうところの危機管理の部分で、実際には大袈裟に感じてしまうことの方が多いようだ。雪が降り、いつもの景色が真っ白に変われば、幼い頃の想いがこの歳にしても蘇り、とてもワクワクしてしまうのが本音だが、今の時代はそれでは済まされなくなったのだ。今年こそ天災、人災のない静かな1年を願わずにはいられない。

鉄道撮影を趣味としていれば、この時期雪中撮影は憧れの一つに数えられる。増して、滅多に雪など降らない地域が白銀の世界に変われば、居ても経っても居られなくなるだろう。

今回は、また過去の思い出のある画像から1枚。雨の降った翌日の冬晴れを狙って竹倉まで行った時のものだ。前日降った雨が、ここ竹倉では雪になっていたようで、早朝到着するとあたり一面は真っ白で、いつもの景色とは別世界。自然と気持ちも高鳴ってしまっていた。予報通り朝日は昇ったが、この地特有の霧が湧いてきていた。それでも、うっすらそびえる富士が神々しく見え、特急「富士」と重ねて撮ろうと思い立ったのがこの画像。あとの時代のEF66に装着された山型のヘッドマークも似合っていたが、65PFの丸型もこうしてみると捨てたものではない。当時はモードラなどない、NikonFAというカメラで集中して撮った1枚だから、数十年経った今でも昨日のことのように思い出してしまう。今のアントンKには、もう撮れないだろうか・・

1984-02-19   8ㇾ  EF651105     富士    東海道本線:三島-函南にて

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