アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

バックサインの誘惑~24系客車

2021-02-28 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

長年列車撮影をしていて、写欲をいつもそそられるのは、先頭車両に表示される「列車名」だった。機関車に付けられるヘッドマークはもちろんだが、1978年10月から始まった絵柄表示のマークにも随分と振り回された。全てを網羅したとは言えないが、ファンによって好みもまちまち、被写体としては楽しかった思い出が蘇る。

ここに掲載したのは、ブルートレインのバックサインであり、所詮機関車が先頭に立つ写真の後に撮影するお遊び写真だが、数々撮影を重ねていくと、マーク集めも楽しくなっていく。春の改正で、185系電車が定期運用から引退として世間を騒がせているが、「踊り子」「湘南ライナー」など、表示が絵幕でしっかり大きく出ている車両は最後ではないのか。現代の新車は、前面表示こそあるものの、寸法は小さくかつ、液晶表示で全く趣味的には見栄えが悪い。撮影する場合、撮り方によりその液晶表示が欠け、かつ列車番号、行先等の表示も写らない始末。その意味では、詰まら無くなったと言わざるを得ない。撮影機材は、物凄く良くなったのに、被写体が魅力を失い、どこかジレンマを感じてしまうのだ。

185系電車の普通列車運用と、足早にホームを離れる「はやぶさ」。どちらも幕式のサインで好ましく思える。

そして樹氷をバックに函南を通過する「あさかぜ」。バックサインの撮影では、何が起こるか判らない。時にはこうした雪化粧のカニ24もやってきて旅情を誘うのである。

1983-11-12   521M & 4ㇾ

1984-02-04   10ㇾ


夕暮れの多摩川を往く高尾臨~DD51

2021-02-27 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

何かと話題に上るDD51で、前出と同じような画像を探してみた。

春のダイヤ改正で、JR貨物のDD51がいよいよ引退と聞こえてくる。普段はあまり関心がないのに、無くなるとなるとどこか血が騒ぐのが鉄チャンの性というものか。アントンKも以前だったら、少しはそんな想いも湧いていたが、今の心境は昔に比べたら枯れてしまったと我ながら感じてしまう。少なくとも「撮りたいもの」という大前提からは外れてしまっている。この手の旬と思える被写体は、SNSでお若い血気盛んな方々の画像を見て楽しませて頂いている時代へと移りつつある。しかし、そんな画像を見て「撮りたい!」と思わせてくれる画像がないのは、いったいどういうことなのだろうか・・・

国鉄時代には、正月初詣臨が数多く走り、高尾山への臨時列車も週末を中心に運転されていた。高崎方面からは、八高線経由で設定があり、DD51が12系客車を牽く姿がこの時期の風物詩だった。暮れ往く冬晴れの空をバックにゆっくりと多摩川を渡る高尾臨。晩年には恒例の初詣臨としてファンにも認知され、ヘッドマークまで付いて走っていたが、撮影した時代はファンも少なく、この広い多摩川河川敷も独り占めだった。

1979-02-03  9223ㇾ  DD51808 12系客車6両   八高線:小宮付近


青空に浮かぶED75の旧客

2021-02-26 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

関東地方も晴天続きで空気が乾燥している。遠方まで見晴らしは良く、富士山が東京から連日見えているが、静電気は凄い事なっているし、花粉の飛散も今年はかなりのダメージだ。朝起きると喉も鼻も乾燥でカピカピになる。栃木での山火事も心配だ。東京もそろそろお湿りが欲しい。

アントンKにとって、このからの季節が1年で一番辛い時期だが、今年はコロナも加わりどうなることか、いつになく心配している。アントンKは、夏の暑さが落ち着き、色彩豊かな季節である秋が今から待ち遠しく思えるのだ。そんな季節に撮影した画像を掲載しておく。

東北の秋は、たくさんの色に囲まれ昔から大好きになった。真っ青な空に、深紅のナナゴが茶色の客車を牽いてやってきた。この列車は、見るだけでやり過ごそうと思ったが、空とナナゴとのコントラストがあまりにも綺麗で、思わずカメラを向けてしまった。そんな印象だけは、なぜか鮮明に残っている。また秋になったら出かけてみよう・・

1980-11-03  132ㇾ ED75 73   東北本線:金谷川-松川

 

 


叶わぬ夢の離合への挑戦~EF66/NSE

2021-02-25 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

予報を信じて根府川界隈まで来てみたものの、全く太陽は拝めず、それどころか雨が降りそうな気配まで感じる。こんな時は潔く撮影を諦めることも肝心だが、発想の転換で、普段は狙わない構図とへシフトしたことが結構あり、その血迷った画像の数々が残されている。今回は恥を承知で、その中から1枚掲載。

現代の鉄チャンは、「裏カブリ」とか言って列車離合の写真を嫌うようであるが、アントンKは、逆に昔から離合写真は好みの画像だった。ただ撮ろうとして思うように撮れないのが離合する写真で、何度狙っても思ったようには撮影出来た試しがない。ここでは、九州ブルトレと小田急ロマンスカーとの離合写真。何度となくチャレンジしているが、同じファインダーの中で捕らえることなど、まず出来なかった。当時のことだから、ズームレンズなどの持ち合わせがなく、マニュアルフォーカスで即興のチャレンジだったのだ。後ろからロマンスカーがゆっくり通過していく場面で、EF66のライトが前から迫ってくるといったタイミング。まだ65PFからスイッチして間もない時期のロクロクは、流石に貫禄十分だが、こうして見ると、ロマンスカーも華やかでスマート、負けてはいない。

1985-03-24  8ㇾ EF6650 「富士」/ 小田急NSE「さがみ」 小田原付近 

 


JR東日本のSL復活劇~D51 498

2021-02-24 17:00:00 | 鉄道写真(SL)

今にして思えば1988年という年は、JR各社競って蒸気機関車が復活を遂げた年だった。民営化されて1年、世の中の景気も手伝ってか随分勢いがあったと感じる。東日本では、D51 498号機が北海道のC62に遅れること半年、クリスマス間もない12月23日に営業列車に復活したと記憶している。忘れもしない、オリエント急行の日本最終行程の列車を、上野からけん引したのであった。それも次位にEF5861号機を伴い重連運転で大宮まで走り抜けたのである。

アントンKも平日にも関わらず、時間を合わせて線路端に出たが、何処もかしこも人、人、人で溢れ返り、まともに撮影は出来なかった思い出が蘇る。こうしてD51 498は、現在に至るまで大事に整備され、我々鉄道ファンの熱い視線を受け続けているのである。鉄道文化の一端を担うこの蒸気機関車の運転は、たとえファンならずとも大いに意味のある事業であると思うが、それは鉄道事業が順調であるが故の話で、今回のような感染症による減収が続いた場合、今までのようにはならなくなるのではないか、と要らぬことを考えてしまう。何せ蒸機は、経費が莫大に必要になると聞いているからなお更なのだ。古い電気機関車が引退し、そして次は蒸機まで尻つぼみでは、あまりにも寂しく思うのである。おそらくアントンKの杞憂にすぎないが、長年愛した数々の車両たちが目の前から消えていくのは、家族を失うのと同じくらい寂しいものだ。

ここでの掲載写真は、初営業運転から数か月、ダイヤ改正号として走った時の画像。高崎まではEF551とEF5889の重連運転、高崎から水上までの北側でD51 498のお出ましとなった。

1989-03-11   9725ㇾ  D51 498 ダイヤ改正号 JR東日本/上越線:敷島付近