アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

D型電気機関車の魅力~ED60

2022-02-28 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

二桁の機番を持つ電気機関車が徐々に、しかし確実に数を減らし、明らかに世は三桁時代。JR型機関車が台頭してきたことは、誰もが認めるところだろう。そして同時にF型機関車(6つの動力輪)とともにH型機関車(8つの動力輪)も随分目にする機会が増えていることに気づかされる。旅客会社では、機関車が全廃に向かいつつある一方、貨物会社では、最新型機関車が年を追うごとに増備されている。昔各地で見られたD型機関車(4つの動力輪)は、いつの間にか地方私鉄でのみの活躍となり、ここでも時の流れを感じずにはいられない。ここ数十年で、随分と機関車の景色も変わってきたのである。

アントンKも、D型電機と言えばまずED16が思い浮かび、ED61やED62といった国鉄型新性能電機のパイオニアの形式が思い出される。まったく昔の古い話となってしまった。あの頃の機関車は、現代の最新機のような洗練された力強さは感じられないが、一度見たら忘れられない個性が満載であり、重厚な走行音とともに今でも脳裏に焼き付いている。

ここでは、大糸線に走っていたED60型電機を掲載しておきたい。地方ローカル線でも、当時貨物輸送は盛んだったこともあり、ED60の初期車が3台ほど松本に配置されていたように思う。風光明媚な大糸線だが、残された画像は、あまり感心できず残念な結果となっている。

1979-02-16     175列車 ED60 3        大糸線:中垣付近


国鉄型特急を顧みて・・583系「はつかり」

2022-02-26 19:00:00 | 鉄道写真(EC)

ここのところ、普段から撮影している電気機関車から少し離れて、以前から気にかかっていた電車ばかり乗ったり撮影したりしている。東急をはじめ、京王、小田急、アルピコ、長電、そして秩父や東武鉄道と、今年になってから、いつになくカラフルな画像が溜まってきた。

昔よく乗車した電車を撮影したり、乗ってみたいと思いながらそのままだった電車に身を委ねたり、好き勝手に思いつくままの行動だ。列車を待つ間、そして乗車して外をボーッと眺めて過ごすひと時が、とても貴重で有意義に感じる。たった数十分でも現実逃避できて、どこかリフレッシュ出来ていることに気づかされる。大切な時間。アントンKには、音楽鑑賞と同じくらいこんな他愛もない時間が必要に感じている。

もう20年以上の時間が流れてしまった、583系電車の引退。実際には、6両という583系らしからぬ姿で、臨時仕業で活躍し延命を図っていたが、アントンKには、その姿が痛ましく見えあまり好まなかった。掲載写真は、いよいよ東北特急「はつかり」から引退してしまう世紀末2000年の正月臨を狙いに、強行軍にて向かった奥中山で撮影した583系特急電車。月光型と呼ばれデビューした581系だが、アントンKには、やはり東北特急「はつかり」や、夜行寝台特急「ゆうづる」と呼んだ方がピンとくる。最後はどうしても東北本線最難所である雪の十三本木峠で撮影したかった。夜明けとともに線路端に立ち、日も差さない峠道で、狙いの列車を待つ時の辛さは忘れない。何で正月早々、こんな所に来たのか?何度も自問自答を繰り返して、その時を待つ。3条のシールドビームが現れた時、それまでの邪念が全て無になった。

2000-01-04    8033M はつかり  583系   JR東日本/東北本線:奥中山-小繋


古巣へ還ったマエストロ小泉和裕~新日本フィル

2022-02-22 19:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル定期公演から、シューマンの第1番交響曲、そしてフランクの交響曲を鑑賞してきた。

交響曲が2曲並ぶが、どちらも中々生演奏で接する機会が無かった楽曲だ。おそらくシューマンの第1は、初めて。フランクの交響曲は若い頃に何度か鑑賞したくらいの記憶だから、現在の心境からしたらお初と言っても過言ではない。さて指揮者の小泉和裕氏については、アントンKも例によって、過去にブルックナーの交響曲を試金石として何度か鑑賞したことがある。あれから随分時間が経ってしまったからか、演奏についての特別な想いは巡ってこない。当時のアントンKの聴き方が問題で、とにかく好きな楽曲の演奏会を片っ端に出向いていたのである。当時は、個性的な指揮者も国内外に多く、日本では朝比奈を中心に会場に足を運び、バイトをしてはコンサート代に消えていた切ない時代でもあったのだ。そんな時代が今から約40年前で、その頃小泉氏が新日本フィルの音楽監督を務めていたということらしい。学生の分際で、なかなか思った演奏会に全て行くことなど無理に決まっている。どうしても取捨選択をしながら楽しんでいたのであった。そして今回、いつもお力を享受している新日本フィル定演で演奏を味わう機会を持ったのである。

シューマン、そしてフランクと2曲の交響曲を聴き終え、まず印象的だったのは、オーケストラが伸びやかに、生き生きとした雄弁な響きに満ち溢れていたということだ。見えない自信がオケ全体から感じられ、今鳴っている響きを聴衆とともに楽しんでいるように感じられたのである。実に前向きな音楽が聴衆に向けられ、響きが大きく圧倒的な音響を作っていたのだ。フランクなど、こんな音楽だった?と疑ってしまうほど印象が強烈で、あのテーマがしばらく耳についてしまい興奮のルツボにハマってしまった。指揮者小泉氏との相性も抜群に見え、オケにとってもかなりプラスに作用し、本来の実力が思うように発揮できて、また演奏しやすかったのではないかと思っている。相性について語るのなら、コンマス崔文洙氏とマエストロ小泉氏の意思疎通が演奏に反映されており、実にゴージャスな音色がホールに響いていたように感じている。今回は、コンマスの崔氏とともに、もう一人のコンマス伝田氏が横並びで奏し、迫力に拍車をかけていたが、何と言っても今回も崔文洙氏のリードが素晴らしく、アントンKも毎度のこととはいえ、その奏法を間近で目の当たりにして気絶しそうになったのである。前半のシューマンから、崔氏の音色はキラキラとした多色のステンドグラスのような輝きで我々聴き手に語りかけてきた。時に情感深く、そして時に物凄い熱量を以って襲いかかってくるのであった。崔氏の演奏を聴いていると、身体全体から響いているような錯覚を覚えるのだ。感情移入が激しく中腰になり、反りが入ってくるとオーケストラ全体にその熱量が伝わるようで、益々緊張感が高まり音楽が最高潮を迎えるのであった。今回もそうした熱演の中から、明日への勇気と活力を頂いたのである。

思えば、上岡氏が音楽監督だった5年前では、今回のような響きを聴くことが出来なかったように思う。独自性は強かった上岡氏ではあったが、今にして思うと、オーケストラとの相性は?と感じてしまう。上岡氏を聴いて、新しい発見もたくさん頂いた。ただ今のアントンK、好き嫌いで測ると、今回の小泉氏による全力で向かう新日本フィルの方が、解りやすく的を得ている気がしてならない。指揮者小泉氏にも今後は注視したいと思いを新たにした次第。

新日本フィル交響楽団第640回 定期演奏会

シューマン   交響曲第1番 変ロ長調 OP38 「春」

フランク    交響曲 ニ短調 M.48

指揮      小泉 和裕

コンマス    崔 文洙

        伝田 正秀

2022年2月19日   すみだトリフォニーホール 


雪の峠道を黙々と・・・~ED77

2022-02-20 08:00:00 | 鉄道写真(EL)

全国で当たり前のように走っていた普通客車列車は、見なくなって随分と時間が経ってしまった。現在でそんな列車を無理やり探すと、JR西の「SLやまぐち」号を筆頭に東武鉄道を始めとする一部の私鉄で、機関車けん引の列車としてかろうじて残っている状況だ。こんなことになるのなら、当時からもっと意識して、客車列車に乗っておけば良かったと後悔しきり。でも当時は、撮影目的で列車に乗って移動しても、その列車自体が客車列車で乗車が必然のことだったから、今のように追い求めるような感覚とはちょっと違う。発車時間を過ぎ、ゆっくり列車が動き始めているのに、開け放たれたドアから何度となく飛び乗った思い出も多い。現代に照らし合わせれば、何て危ない行為を・・となるだろう。消えていくものの儚さを追うことより、未来へ向かう輝きの尊さを意識して生きていきたいものだ。人生一度切り。最近はそんな唐突なことを考えている。歳を食ったものだ・・・・

福島の風土が好きで昔からよく行っていた磐越西線。この路線はJR化後でも、客車列車が朝夕残存していた。専用機関車ED77が引退し、ED75が入線してからも走っていたはずだから結構遅くまで残った方かも。この時は、SL会津路号の運転があり繰り出した時のもの。いや~とにかく寒く、そして露出が無かったことを思い出せる。当時は、もちろんフィルムカメラ、67と35mmの2台体制だったが、コダクローム200(PKL)をテストに使っていた記憶がある。コダクローム特有の黒炭のような黒が懐かしくもあるが、当時はあまり気に入らなかったフィルムで、以後極力使わないよう心掛けていた。そんな些細なことも、今やくだらない思い出。と同時に、何も考えなくても、もっと綺麗に撮影が可能な現代に撮らなくてどうする!と奮起しているのである。

1991-02-03    225列車  ED77 14        JR東日本/磐越西線:磐梯町付近

 


いつも憧れの的~181系「あずさ」

2022-02-19 11:00:00 | 国鉄時代(カラー)

前出でも記事にしたが、国鉄時代の特急色が復活したり、地方色でも転出先で整備され、そのまま運行されたりと、この時代次々と果敢なアイディアが生まれて、鉄道ファンならずとも目を楽しませてくれる鉄道。確かに収支だけを考えると、どえらい事になっているのは事実だが、少しでも好転することを祈りつつ、我々も少しでも鉄道に乗ることを心掛け、その積み重ねで存続を願いたいものだ。

学生時代によく通った中央線界隈。ここ三鷹付近は、普段は赤色の電車が行き来しているのだが、時より長距離の列車達が檜舞台に躍り出て、少年たちの心を釘付けにする。当時、茶色い電機よりも少年たちには特急電車の方がインパクトがあったようで、通過時間が近づくと踏切の周りに集まってきていた。確かに、当時の特急「あずさ」が姿を現わすと、いつもの線路端の空気が変わるというか、食い入るように見つめる少年たちがとても印象的だった。今回は、そんなことを思いながら、撮影した181系「あずさ」。もちろんアントンKも、当時から181系電車は好きで、まだ慣れないカメラを向けていたことを思い出している。さて、当時憧れをもって見つめていた少年たち、今でも鉄道ファンでいてくれるのだろうか・・・

1975-04     13M あずさ7号 Tc181        中央東線:三鷹付近