アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

あの頃の上越線が蘇った日~EF64 1000 

2024-05-26 19:00:00 | 鉄道写真(EL)
 5月も残り一週間となってしまった。日々の流れは相変わらずの速さでアントンKを急かしているが、新年度になって趣味的見地からすれば充実した日々を送っている。週末が中心だが、線路端に立って鉄道撮影にも集中でき、音楽鑑賞にも過去のアーカイブの中からテーマを絞って聴くことが出来ている。これから雨の季節を迎えるから、音楽鑑賞が増えてくるだろうが、撮影にも可能な限り挑戦していきたい。撮りたい被写体やポイントは一向に減らないので、まずはそれらを熟すことが目標なのだ。
 今月は、久しぶりに新潟~福島へと遠征することができた。上越線に旧型客車が運転されるのをきっかけに計画を立て、若手の心強い友人とともに同行できたのである。上越線の旧客列車なんていつ以来のことだろう。アントンKが知る限り、2000年前後に旧客3両で走った「レトロトレイン駒子号」まで遡ってしまうのではないか。上越線でも南側の水上までは年に何度も運転はあるが、新潟側では珍しいはずだ。こんな想いを抱きながら、かれこれ数年振りの上越を目指したのである。
 数年ぶりの上越国境は、現代の鉄道では当たり前になった、沿線では草木が伸び放題の哀れな光景が広がっていた。別に驚きはしなかったが、国鉄時代から度々訪れ、広大なループ線やオメガカーブの線形は変わらずとも、岩原を中心とした高層ビル群のくたびれた姿に目のやり場を失ったのだ。アントンKの思い入れのある80年代からすれば、スキーヤーも何十分の一になったとか。時代が変わったとはいえ、やはり現実は厳しく寂しく映ったのである。
 もちろん、日中にL特急「とき」が行き交う訳でもなく、貨物列車でさえその存在を忘れさせてしまうダイヤ。目の前にはアントンKの知らないローカル線化した上越線が延びていた。今やこの日のような、イベント列車が走る日のみ活気を取り戻す、そんな路線になった現実を受け止めなくてはならない。
 数年ぶりに中里の直線に立った。沿線には旧客列車を撮影しようとファンの山があちこちに出来ていたが、近年報道にあったような過激なファンは皆無でその向きでは一安心できたのである。左奥からロクヨンが姿を現わした時、なぜかゴハチのスキー列車が蘇り、この地で心を燃やした日々の事が次々に思い出されたのである。


今回は国鉄末期に運転された、同じ場所で撮影した「重連の旅」を合わせて掲載しておく。

憧れの撮影地「山崎」へ向かったGW

2024-05-06 07:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 「山崎」へ行ったと言っても、国鉄時代今から45年前の話。
最近は何処へ行っても混雑するGWは避け、その前後に遠征は考えるようにしているが、掲載写真の時代は、まだ学生の身分、時間はあるが金が無いといった時代だから、世間が連休と言っても何のその。大垣夜行で関西を目指し、新幹線には見向きもせずといった旅行も多かった。お若い読者様には、大垣夜行と言っても理解不能だろうか。当時は、東京駅を23時台に出発する大垣行き普通列車が走っていた。深夜帯は快速運転になったはずだが、名古屋で夜明けを迎え、大垣には朝方ちょうど何をするのにも良い時間に到着した。今思えば、こんな便利な列車が毎日走っていたのだから、やはり国鉄時代は鉄道ファンにとっては天国だったと言えるし、また現在の鉄道よりもっと身近に感じられたもの。今ではどこへ行くにも、新幹線は外せなくなってしまった。強引に在来線移動を試みたなら、時間がいくらあっても足りない状況だろう。だから自家用車、バス、航空機へと旅行手段が変わっていく。鉄道会社も、鉄道離れの原因を自ら生み出しているのではないかと思えてならないのだ。
 さてこの時は、撮影旅行としては2回目の関西だったはず。土地勘はまるでないから、当時の雑誌を片手に撮影地を友人と巡った良き思い出だ。この後、兵庫の須磨海岸まで行って関西ブルトレを狙って、やってくるゴハチに一喜一憂したことも懐かしい。
 写真を見ると、現在の山崎とさほど変化は無いのだろうが、電柱がまだ木製だったり、背景に山が迫り緑が多く写り込んでいることに気づかされる。被写体である鉄道車両は、現在と全く異なることは当然としても、被写体以外に写り込む背景がここまで変わり、雰囲気が違ってしまうとは当時は思いもしなかったことだ。長年カメラ撮影を続けていると、同じような体験が数多く繰り返される。こんな体験の反省から、アントンK自身の撮影意識も徐々に変化してきた。この写真の当時から、先輩方に教わった「被写体は大きくはっきり!」という構図意識は根底には未だに在り変化出来ずにはいるが、近年では臨機応変にカメラを構えられるようになり、構図の引き出しも増えてきたと撮影した画像を見返している。写真に写っている153系新快速、そして東海道緩行103系はすでに過去帳入り。EF81は、当時まだ新しい電気機関車だったが、45年経った現在でも九州で走っているという現実。趣味は長く続けるものなのだ。
 1979-05-05      4573     EF81 117   山崎-高槻

ロマン派時代の作品を指揮する巨匠たち

2024-05-05 10:00:00 | 音楽/芸術
 いつの間にかGWも後半に入り、風薫る5月に突入した。これから梅雨に入るまでの数週間は、1年で最も過し易い季節の到来となり、何をするのにも良い時間を送れる気持ちになる。新年度を迎えて仕事の方は、本格的にアクセルが踏まれるだろうが、その合間に見出す限られた時間こそ、日々過ごしていくための必需品となるのである。少なくともアントンKは、そんな時間を作ってはカメラを持って線路端へ行ったり、ひと時の音楽に耳を傾けている。でも今年は、普段では中々手つかずの部屋の片づけを頑張った。最近は、CDの新譜の発売が減っているように思う。どんどんネット配信に切り替わっているのか、クラシック音楽の世界では分からないが、今後の動向に注目している。カーオーディオをも含めて、世の中音楽の聴き方も相当様変わりしてしまい、アントンKは今陸の孤島状態なのである。長年集めてきたCDも何回かに分けて整理、処分してしまい、今は新譜を増やすこともせず落ち着いているが、昔から後期ロマン派の作曲家を好んで鑑賞してきたとはいえ、目の前にあるCDは、ブルックナー、マーラーが相変わらず多い。現状では、FM放送をエアチェックしてMDに保存してあるソフトの方が多いはずだから、今後はそれを楽しむことにして、CDはもう少し減量しても良いかもしれない。
 思い入れのあるCDは、もちろんすぐ近くに置いているが、ブルックナーを指揮する巨匠たちは、マーラーも指揮するとは限らない。要するに、世間でブルックナー指揮者と言われた巨匠たちは、マーラーでは同じような評価を得られなかったのである。というか、一部の指揮者たちを除いてどちらか一方の作品を繰り返し取り上げている印象だ。カラヤンはブルックナー、バーンスタインはマーラーといった具合。例を挙げればキリがないが、両方とも取り上げ録音して残している指揮者たちは限られている。アントンKの好きな朝比奈隆は、ここで今さらいう事もなくブルックナー指揮者だが、マーラーも一部の交響曲の録音が残されている。もちろん実演のライブ録音だが、アントンKもその当時、その演奏会に出向き、朝比奈のマーラーを何度か聴いている。一般的評価はさほど話題にもならなかったから、その程度なのかもしれないが、アントンKにとっては圧倒的な名演に映り、それまで聴いたことのない響きや音量が朝比奈節と相まって大満足だったことを思い出せるのである。こんな時、世間の評価なんて当てにできない、やはり最後は自分の耳が頼り!と痛切に感じたのだ。
 掲載写真は、ビデオ画像を撮影したマタチッチの指揮姿。マタチッチと言えば、ワーグナー、ブルックナーが彼の十八番で、来日時は出来る限り実演に接した指揮者の一人。このビデオでは、半分も伝わっていないが、とてつもなく豪快で荒々しい演奏。N響がいつもの大人しいN響ではなく、ここぞの爆発が散見出来た。今思い出しても背筋がゾクゾクしてしまうのだ。