アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

大田フィル演奏会を聴く

2015-10-26 08:34:19 | 音楽/芸術

友人の出演するアマオケの大田フィルの演奏会に行ってきた。

アマチェアオーケストラいう団体は、基本的には演奏することでお金は発生しない。つまり仕事として演奏活動をしていない人たちの集まりであると理解している。日常の忙しい仕事の合間に時間を見出して、好きな音楽に触れ、練習を重ね、そして発表されるのだろう。純真無垢の音楽が展開される醍醐味がある。こんなことを期待してアマオケや学生オケの演奏会の機会には毎回出向いている。

プロのオーケストラを聴く場合、来日オケも含めてのことだが、長年の印象はどうしても「波」があり、同じオケでも全く違った印象を受けるオケも少なくはなかった。当然のことながら、舞台に上がる回数もアマオケに比べれば圧倒的に多いから、演奏の良し悪しは出てくるが、まさに鑑賞している音楽から、何の気持ちも伝わらず、ただ事務的に即物的に音が鳴っているように聴こえた時は、正直席を立ちたくなる思いだ。悲しいかな彼等にも日々の生活があり、そのために音楽を演奏しなければならない事は分っているつもりだが、演奏を通して明らかに気持ちが乗っていないことがこちらにわかってしまう事も多々あった。何があろうとも自分たちの最高の演奏を聴かせることがプロとしての意識の高さではないか。それがだめでも、それに近づけることが演奏家としての使命だと思うのだが・・・

内容がそれてしまったが、今回の大田フィルの演奏会は、メインをブラームスの第2交響曲としたプログラムであった。若い頃とは違い、このブラームスを聴くことにも幅が出来てきた最近のアントンKではあるが、今日のブラ2については昔から好んで聴いている楽曲の一つではあった。特に後半の3~4楽章の明るい響きとコーダへ向かっていく過程の躍動感はワクワクさせられて大好きな部分。どこまで今日の演奏で聴かせてくれるのかが、自分の中では注目点であった。

演奏は総じて管楽器、特に木管が弱く聴いていて不安になってしまったが、ブラ2としてはまとまった演奏が展開されていた印象をもった。ブラームスでは、特に木管が重要だと理解しているアントンKであるので、CLやObの音色、デリカシーの無さには落胆したものの、Vcがその分、気を吐いていたように感じられた。フィナーレ(第4楽章)に入り、音楽が熱く高揚していくところなど不満も多々あるが、今回はそこを聴きに来た訳でもなく、奏者の難曲に立ち向かう情熱の一端を感じ、同じように熱くなれればそれで良しと考えていたので、大きく期待を裏切られることはなかったのだ。指揮者の守谷氏も、フィナーレのこの部分では、より気合いが入った指揮ぶりを見せ、奏者を引っ張ろうと全力であった。

アントンKは、世界で活躍する一流の演奏家たちの演奏でも、自分の心に届かない演奏も過去に数々体験してきた。逆にアマオケの演奏を聴いて、涙が出るほど感動した経験もある。オケの音色、能力は雲泥の差であるはずなのに、人間の心の感動はそれに比例しないのだ。良い音色、ハーモニーが感動を呼ぶとは限らない。ベルリン・フィルだから、コンセルトヘボウだから良い演奏のはずだ。感動するに決まってる。多くの場合、こうした先入観が自分の心に悪さを仕掛けるから、こちらも演奏者よりも、いかにこれから聴く音楽の中に身を置けるかが重要となり、いつもそのことを気にかけてコンサート会場に向かっている。今日の演奏は、友人が出演していたということもあり、中々音楽に集中できなかったというところが正直なところだ。自分自身もっと精進しなくてはならない。

2015-10-24

大田フィルハーモニー管弦楽団 演奏会

ベルディ   歌劇「運命の力」序曲

ライネッケ  フルート協奏曲

ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 OP73

大田区アプリコ大ホール 13:00

 

 


KARAJAN ADAGIO

2015-10-18 20:00:00 | 音楽/芸術

何を音楽に求めるか!

歓び、悲しみ、安らぎ、誇り、勇気、自信、怒り、愛・・・・・

人それぞれの想いが同じ音楽の中に溢れている。

「癒し」   この言葉を目的に企画構成されたのが、この「カラヤン・アダージョ」だ。

クラシック音楽とされるジャンルの中で、静かなゆったりとした楽曲を集めた音楽集であり、アフターファイブにつかれた心を癒すためのCD集とでも言えばわかりやすいか。カラヤンの演奏だからBGMにするのも相応しい。とろける様なハーモニーで、どの楽曲もゴージャスな音色に包まれている。もう10数年前になるだろうが、このシリーズがクラシックのジャンルの中でも続編が発売になるほどヒットしていた時代があった。

アントンKは、そのリアルタイムの時代には目もくれなかったが、ごく最近になって心境の変化なのか、歳を重ねたからなのか、聴いてみたくなり手にしてみた。


児玉宏氏のブルックナー演奏

2015-10-10 12:00:00 | 音楽/芸術

先日、児玉宏指揮のブルックナー演奏を聴く機会をもったので書き留めておきたい。

アジアオーケストラウィークとして今年海外(中国、韓国)のオーケストラとともにシリーズ化されていたこの催し。その中で日本からは大阪交響楽団が加わっていたという訳。ホールがオペラシティホールであるということで、時間を作って出向くことにした。個人的にブルックナーをここオペラシティで聴くことが一番響きが良く思い入っているからだ。

さて今回のオケ、大阪交響楽団だが、その前身は大阪シンフォニカ交響楽団として存続していたオーケストラということ。アントンKにとって、大阪のオケとなると、今まではどうしても大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)しか考えられず、情けないことだが過去から現在まで一度も聴いたことがなかった。朝比奈時代はもちろんだが、大阪にも複数オケがあることはわかっていながら、機会がなく今回が良いきっかけになったとも言える。また同様に指揮者児玉宏氏についても同じことが言える。演奏会の資料等でお名前は認知していたが、中々足を運ぶことはなく来てしまった。

今回、何の指揮者の予備知識もなく聴いた今回のブルックナーの第9番。思いのほか良い演奏に感じたので、大変充実した気持ちになったと同時に、もっと以前からこの児玉氏の演奏を聴いておけばよかったと後悔の念をもってしまったことも事実。そうアントンKを思わせるくらい衝撃的な演奏だったと、今振り返っても考えている。

演奏が開始されまず驚いたのは、冒頭の弦楽器のピアニッシモ(pp)の音の大きいこと!各声部の音のバランスが大きくしっかり音が出ていて安定している。そこに管楽器が加わり、音楽が大きく膨れ上がって行くが、どの声部も音量がかさ上げされているようで、聴いていて重厚でありすごく安定し落ち着いて聴こえたのだ。そしてその後フォルテッシモ(fff)で第一主題が奏されるが、最初の主題提示は、圧倒的でまさにブルックナーの響きであり、この時、かつて聴いた朝比奈の音を思い出してしまった。つまり、朝比奈氏がよく語っていた「譜面に忠実」にということで、全ての声部がフォルテなら、フォルテで演奏するということを実践しているとすぐに感じてしまったのである。これは、楽曲全体に渡る演奏姿勢のようで一貫し、このスタイルが児玉氏の演奏スタイルであり、かつブルックナーに相応しいのかなとも思った。

オーケストラに対して的確に指示を出し、自己主張を明確にしてオケを引っ張る児玉氏の指揮振りにも好感がもてたが、それに喰いついていったオケのメンバーも好演していたように思う。この大阪交響楽団は、メンバーは40~50名と聞いたが、それが事実なら、今回のブルックナー演奏者の大半がトラということになる。確かに弦楽器の奏者が少なくて、音量からすれば理想的とは言えないし、管楽器についても、荒くなるところが散見できたものの、それをまとめ上げた指揮者の児玉氏の力量は素晴らしいものなのかもしれない。

実際全曲を聴き終わって感じたことは、最近一部で耳にする新時代のブルックナー演奏とは反する、本来のブルックナー演奏、響きの世界が展開されていたと言える。演奏自体は、ストレートなものというより、かなり独自に動かしていたし、フレーズをゆっくりまとめたり、演歌調になったりと、かと思えばスケルツォなどは荒々しく奏し、野人ブルックナーを思わせる内容であり、聴きどころも満載だった。

どこかで読んだことだが、もう40年以上ドイツ在住の児玉氏は、ミュンヘンでのオペラ指揮経験からか、今回のような音作りだそうで、これが本当なら、この手の指揮者は今や貴重ではないか。最もドイツ音楽に近い日本人指揮者と言えるかもしれない。2005年から続いたブルックナー全曲演奏も今回の第9番で終わりだそうで、今後の展開に今目が離せないでいる。

2015-10-07

ASIA ORCHESTRA WEEK 2015

リスト 交響詩「オルフェウス」

ワーグナー「ファウスト」序曲

ブルックナー 交響曲第9番 二短調 (ノーヴァク版1951年)