アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

高崎から電機が消える日

2024-06-22 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 長年、蒸機機関車とともに、我々鉄道ファンを楽しませてくれた高崎の電気機関車。先日ついに機関車全廃の発表が成され、来る時が来たという複雑な想いが募っている。もちろんこれは、旅客会社に限っての発表であり、JR東日本の機関車のことを指している。今や数両の電機と、それにディーゼル機関車数台のことで、行楽シーズンの週末を中心に蒸機に隠れて動いていたロコ達だ。今後最後の花道とばかりに、運転が複数計画されているらしいが、静かに余生を送っていた機関車たちの雄姿をじっくり目に焼き付けておきたいと思っている。
 高崎の機関車というと、アントンKの場合EF65やEF641000ではなく、どうしてもEF58やEF15と未だになってしまう。これこそ国鉄時代末期に鉄道に目覚め夢中になった証で、やはり今当時を思い出しても強烈な印象だったのだ。
 そんな訳で、掲載写真は国鉄時代から、高崎第二機関区所属だったEF58けん引のスキー臨を載せておく。当時高崎は、第一と第二に機関区が分離しており、高一はDL,高二はELと分けられていた。写真はすでに45年もの時間が経過しており記憶が無くなりつつあるが、友人たちとミゾレ混りの天候の中、必死に列車を待った辛い記憶だけが鮮明だ。
1979-02-11    8702ㇾ    石打スキー2号 EF58 133 12系客車9連 土樽付近

万能電機EF65の落日

2024-02-28 09:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 ダイヤ改正が迫り、いよいよ国鉄型電機の代表とも言えるEF65型がその日を迎える。アントンKにとっては、2000番台を名乗った時点で区切りが付いていたが、その後も往年の国鉄色に次々と姿を変え、まだまだ現役と思わせられた近年は、新たな趣味のお仲間もできて、大いに楽しい趣味生活だった。今は機関車への拘りよりも、友人との撮影行での数々の場面が次へ繋がってきたと思える。昔に比べたら、そんな緩い気軽な撮影だが、世代を越えてこうした鉄道趣味が継承されていくことを望みたい。
 旅客会社のEF65はすでに定期運用を持たず、貨物会社の同機もダイヤ改正で仕事が激減するとの噂があるが、あれだけ後任のEF210型が出番を待っている状況だから、これも致し方ないのだろう。でもどこか寂しさを覚えるのだ。
 まだまだ落成してから日の浅い、EF65 1000番台のコンテナ列車けん引の画像を載せておく。国鉄時代、まだEF58が東海道では幅を利かせていた時代のもの。そういえば、次位のコキフは、現存しないのか、見なくなった。
1981-02-11      8068     EF651095         掛川-菊川

ある日の大宮にて~EF15

2023-10-07 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 親戚が大宮市にある関係で、幼少の頃からここ大宮駅には親しみがあり、アントンKの鉄道への道しるべであることは、以前からこのブログでも書いてきた。
 鉄道車両にカメラを向けたのは、地元の私鉄車両に始まり、三鷹電車区での電車たち、通過していく貨物列車や特急電車で、それでも飽き足らず東京駅や上野駅へと出向いたのは、誰でもが通った道だったろう。そして北の鉄道の聖地大宮での一時も、今にして思えばグッと鉄道を身近にしてくれた場所だった。当時から音楽も大好きで、鑑賞だけでは不満足で楽器を手にしながら楽しんでいたが、音から伝わる空気感が、鉄道と接している時間と共通していると思ったものだった。その音を感じるだけで、目の前に風景が広がってくるのは音楽鑑賞と同じだと思えたのだ。だから、当時はよく特に当てもなくテレコを担いで1日駅で過ごしていた。ホームでの雑踏をBGMに、構内放送や列車の通過音が懐かしく今もスピーカーから聞こえている。引っ切り無しに到着、そして発車していく列車たちを音から想像するだけで、当時見た光景が蘇ってくるのだ。
 掲載写真は、そんな時代に撮影した大宮駅での1コマ。川越線ホームだった12番線から撮影している。キハ35系が到着してまもなく横に現われたEF15の貨物列車。ホームの高さも現在に比べれば一段低く、どこかの地方駅の様相だが、大きく様変わりした現在の大宮駅からは想像すら難しく感じる。
 1978-09-20    2763    EF15 129            大宮駅

 

在来線特急列車の思い出~583系

2023-09-16 08:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
来年春、金沢まで伸びている北陸新幹線がついに敦賀まで延伸する。これで関東から福井・敦賀方面へ出向く場合、東海道~北陸経由一択だった選択肢が広がりを見せる。費用ベースだったら話は変わるだろうが、旅行する手段が増えることは、単純に良い事として考えられるようになった。
 思えば、在来線の優等列車の変遷は、新幹線の延伸とともに形成されてきた。最近ではアントンKも、新幹線のある日本の風土を美しく感じられる心を持てるようになったが、それによって失われた尊い情景を思い起こすと、いくばくかの切なさを感じてしまうこともよくある話である。
 そう思うと、東北・上越新幹線が誕生する前の華やかな在来線の列車たちがとても懐かしくなってくるのだ。当時よくよく出向いていた大宮駅の日常は、今思えば夢のようだが、引っ切り無しにやってくる特急列車、急行列車に目が回るくらいの感覚だったことを思い出している。沿線に撮影に出てもそうだ。次から次へやってくる列車たち全てにカメラは向けられず、フィルム消費を抑制しながら、撮影計画を立てたものだった。当時は、こうして目の前を通り過ぎる優等列車たちが消滅するという想いは無かったように思う。なかなか乗車さえ許されなかった特急列車への憧れ、カッコよさが見たい撮りたいという原動力だったように感じている。
 思い入れが深い東北特急列車。大好きだった赤べこED75とともに撮影に行った東北線を走る列車群は、アントンKにとっては鉄チャンの過渡期でも重要な時代だったのかも。こうして振り返ると、タイムスリップしたくなってしまうのだ。掲載写真は、貝田の下り坂を飛ばしてきた583系特急「はつかり2号」上野行き。13両編成の重厚な車体が軽々と目の前を駆け抜けていく。いつまでも見ていたい特別なシーンだった。

1982-03-17     22M     はつかり2号   東北本線:貝田-藤田


週末中心に運転された「白根」~183系

2023-08-05 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
今でも地方を走るローカル特急は数多いが、昔と違うのは、新幹線ありきのダイヤ設定に変わってしまったことだろう。新幹線の延伸により在来線の特急列車が淘汰され、新幹線を主体にした列車ダイヤになることで、第三セクター化、運賃値上げ等、今までとは様相が変わったと感じる。来年は北陸新幹線の延伸が予定されているが、いよいよ日本海側の特急列車も過去帳入りとなってしまうのか。
 掲載写真は、183系電車による特急「白根」。上野から吾妻線万座・鹿沢口まで結んでいた典型的な観光特急だった。今でも、「草津」と名称を変えて運転されているが、その存在は忘れられているほど地味な列車に成り下がってしまった。アントンKは、この前身だった157系電車が好きだったことから、特急「白根」には、比較的昔から馴染みがあり、沿線のEF12などを絡めながら、当地にはよく足を運んだもの。183系1000番台が田町へ新製され、157系が置き換わってからも、この183系は「白根」の運用を持っていた。 ただ短期のリリーフ登板のように、185系電車へとバトンを渡したと記憶している。
1979-08-26   8037M   白根3号   吾妻線:祖母島-小野上