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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

小田急ロマンスカーVSEの頃~10000系

2025-02-27 15:37:03 | 鉄道写真(EC)
 すでに2月も終わりに近づき、少しずつ春めいて来ているのは体感できる今日この頃。アントンKにとって春は待ち遠しいが、一番苦手な季節でもあるのだ。今年も花粉の症状がもう始まってしまった。昔に比べれば随分落ち着いてきたが、それでも目が痒くなり鼻水が出るのは毎度の事。しばらく憂鬱な日々が続くのだ。
 この時期は、早咲きの桜が咲き出し、春を体感できる時期でもあるから、体調を考えながら出向きたくなるのだが、今年に限っては、先月から雨が少なかったせいか、開花が遅れているそうで案外長い時間楽しめるかもしれない。
  掲載写真は、神奈川県松田町にある河津桜の公園から・・・この時期の天気も読みづらく変わりやすいが、この日午後を廻ると太陽が雲隠れしてしまってテンションが下がったことを思い出す。やはり晴天下で撮りたいとリベンジを考えたが実現していない。
  2022-03-09        小田急10000系VSE   新松田付近

雪と鉄道の魅力を再認識

2025-02-19 21:00:00 | 鉄道写真(DL)
 寒波の到来を告げる報道がある中、北海道まで撮影に出かけてきた。夜行列車が消え、年々駅が少なくなり、次々に線路でさえ剝がされていく北海道の鉄道。特にJR路線については、あまり良いことが聞こえてこないので、この先の進捗が大変興味深いところだが、今回は周りの鉄チャンの勧めもあり、初めて除雪列車を狙いに道北まで、そして常紋峠を行くレッドベア(DF200)にも挨拶してこようと計画を立て、そして何より、本州では見られないであろう広大な雪景色、パウダースノーを味わいたくて出向いてきた。
 予報通り、朝から晴天に見舞われた稚内だったが、外気温が-18℃を示した温度計とは裏腹に、風が無かったからか随分体感温度は高いように感じる。まずは、除雪列車の撮影をすべく撮影地を廻ったが、雪の量も然ることながら、沿線の草木が生え放題で、なかなか納得できるポイントが見つからない。ラッセルとは、除雪のために走る列車のことだが、いわゆる機関車の単機を狙うことと一緒で、これを被写体に写真でまとめようとすると中々難しく感じた。蒸気機関車は、煙を出すところが撮影ポイントになるが、ラッセルは、雪をどれだけ巻き上げるかが勝負の分かれ道となる。しかし雪の量がポイントになるなんて、予想することは出来ず運次第ということだろう。それよりも、大変驚いたのは、当日朝から利尻富士が見えている事で、この季節に拝めるなんて思いもしなかったのである。実際地元の鉄チャンに聞いてみると、冬場で利尻が見えるのは、片手もないくらいだと話してくれた。初めてでこんな日に当たるなんて、まず今後も無いと思い、綺麗にその姿を現している利尻とともに撮影しようと撮影計画変更と相成った。
 同一列車を何度か撮影しながら、宗谷本線から石北本線へと転戦。翌日の撮影に備えてロケハンしながら北見を目指した。美深や音威子府もかなりの積雪だったが、白滝、瀬戸瀬あたりからもかなりの豪雪で、この時点で常紋峠での撮影は見送ることにした。しかしそのお陰で、遠軽までの今まで撮影したかったポイントでの撮影が叶った。むろん早朝に通過するDF200のたまねぎ列車がメインターゲットだが、まるで白と黒の水墨画の中から、紅一点輝きながら現れたDF200にはとても感動、これぞ来た甲斐があったというもので、思い出のシーンとなった。
 ここでは、アントンKにとっては奇跡と呼べる利尻富士と宗谷ラッセルのコラボ画像を掲載しておく。凍りついた天塩川が遠くまで続く中、威容なたたずまいを見せてくれた利尻富士。写真では何度も見たことがあったが、肉眼で見たその印象は、海を隔て6kmも離れているとはいえ随分大きく感じたこと。そしてやはり白と黒の大地に姿を現した宗谷の守護神DE15ラッセルの赤。この赤は力強さを感じた。ここではこれが日常なのだろう。こんなに素晴らしく美しい日本の風景が、これからもずっと続いて欲しいと願わずには居られなかった。
 2025-02       雪362    DE15 2514      宗谷本線:雄信内付近         


 

 

更新機の人気者~EF65 2127「カラシ」

2025-02-13 15:00:00 | 鉄道写真(EL)
 鉄道車輛について、ベストに思うのはいつもオリジナル塗色であると未だに考えている。あれだけ地味だったEF65 0番台だって、白っちゃけた更新色に比べたら原色はどれだけマシに思えるか・・・
 中でもアントンKが最後まで馴染めなかったのは、更新塗色の中でも広島施行の外観。何を誤ったのか正面貫通扉がクリーム色に塗られた機体である1127号機はじめ、更新機が増え始めた時期、他に何台か出会った記憶がある。しかし、この塗色が、今のお若い機関車ファンには堪らない魅力に感じて絶大なる人気があったのだとか。1127号機が2127号機へと改番され、この塗色で最後の1両という理由だけではなさそうだ。貫通扉の色から、「カラシ」と愛称が付き、稼働していた当時は日夜ファンの的だったと聞く。いつの時代も、個性的なカマに注目が集まり、ファンの間でも話題になったから、これからさらに進むであろう没個性の時代に機関車ファンはどこへ向かうのか、他人事とは思えないが興味が沸くのだ。
 掲載は、晩年は新鶴見区の虎の子だった、2127号機の試単運転。この日は珍しく特製マークを掲げての運転となった。ファンのみならず、実際にこのカマに携わる職員の方々にも愛情を注がれていたことが理解できる、心温まるシーンに感じている。
 2015-06-25    試単6992    EF65 2127        新鶴見付近
 

DD51重連 爆走!

2025-02-11 20:00:00 | 鉄道写真(DL)
 機関車の重連運転で外せないのは、北海道で走っていた寝台列車たちだろう。三往復走った「北斗星」、大阪から「トワイライトエクスプレス」、そして現在もその姿を拝める「カシオペア」合計5往復もの寝台列車が全てDD51重連運転で北の大地を爆走していた訳である。
 アントンKは、これまで凸型の機関車は好まず、ディーゼル機関車なら、DD54やDF50の方が好きで昔から撮影欲が高かった。むろん現在活躍しているDF200も好んで撮影しているが、凸型機関車のようにボンネットがある被写体は、撮り方によって随分と印象が変わってしまい、一筋縄ではいかない手ごわい相手に感じてしまう。「どう撮ろうか?」という基本の所で、いつも引っかかってしまうのがこの機関車だった。
  しかし、朱色の国鉄色からブルトレ専用色になり、しかも常に重連運転でかっ飛ばす姿を何度も見るうちに、テツの渦に引き込まれ渡道の回数が増えていった。重低音を轟かせながら驀進する姿を、北海道の四季折々の素晴らしい風景の中で撮影したいという気持ちが溢れ出したのである。何度渡道しても、思い通りの場面にはならず、掲げた目標から見放されたまま列車の方が先に消えていってしまったが、そこで培った想いは計り知れない。
 掲載画像は、試行錯誤しながら渡道し、やたらと熱くなっていた時期のもの。海峡線と掛け持ちで動き、夜明けから日没まで撮影して、最後は函館のラッピで反省会というお決まりのパターン。とても懐かしく感じる。
2014-05-18    8001    トワイライトEXP   DD51重連運転  中ノ沢付近
 

重連に燃ゆる時~EF64 1000

2025-02-09 18:00:00 | 鉄道写真(EL)
 同一機関車が重なって走る姿は、いつ見ても心躍るものだ。アントンKの場合は、鉄道写真に目覚めた頃から、機関車の重連運転は気になっていて、それがそのまま撮影対象になっていた。思い返せば、八王子機関区のデッキ付きの電機まで遡れる。回送を兼ねた重連運転で本物ではなかったが、次位のパンタは一つしか上がらないものの、長いタンクを牽く姿には熱くなったものだ。そんな鉄人生の創成期だったから、やはり機関車の重連運転はその後も大いに気になっていた。
 重連運転で括れば、ED75やEF64、そしてDD51の重連総括運転は、中でも最も魅力的だったように思う。本務機と補機どちらも力を合わせて突き進む走行姿が頼もしく、まさに五感が痺れる感動を味わえたものだった。
 現在全国で唯一重連総括運転が見られる中央西線のEF64 1000だが、来月のダイヤ改正で重連運転消滅という噂が流れているようだ。国鉄型電機がこれだけ数を減らし、逆に新型電機が次々とロールアウトする中で、現在のEF64 1000の状況を考えれば避けられない成り行きだろうと誰もが考えるだろう。歴代の機関車たちがそうしてきたように、やはり時代は繰り返すということになりそうだ。
 掲載写真は、武蔵野線を走るEF64 1000重連運転の貨物列車。この時代は、重連運転で都心まで運用されていた。むろん中央東線経由で関東の地まで足を踏み入れてきたEF64 1000だったが、その後単機牽引とはいえ天下の東海道を稲沢(愛知区)から行き来するとは、誰が想像できただろうか。この時代残念なのは、いくらロクヨンとはいえ更新機がほとんどを占めてしまい、国鉄色の原色は極稀にしかお目にかかれなかったことだ。今の逆転現象なんて夢のまた夢だったのである。
2010-08-07     88列車 EF64 1045+1008      武蔵野線:新三郷付近