アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

第2回 大ブルックナー展

2015-06-28 07:41:53 | 音楽/芸術

2回目となる「大ブルックナー展」を聴きに行ってきた。

梅雨の時期だから、天気予報とにらめっこしては、行程を計画してきたが、結局は一番早く楽な方法に相成った。予報よりも、実際は良い方向の天候で、今日も全国的にまずまずの予報に変わっているため、ちょっと悔やんでいるところだ。かといって何か変わる訳ではないのだけれど・・・

今回は、第7番ホ長調。後期の楽曲でも、第8・第9番に比べて少しだけ小ぶりだからか、前半にモーツァルトの協奏曲が演奏された。1月の第8の時よりもさらに聴衆は増えているようで、5階席までほぼ満席に見えた。この土曜日の15時開演という演奏会の設定が微妙な時間帯で、もう少し早くするか、あるいは、夜にするかしないと、結局この土曜日1日が演奏会で終わりとなってしまう。特に東京からだと、いかにも中途半端になるので再考願いたいところだ。当然関西の地元の方々にとっては、ゆっくりとした休日の午後ということになるのだろう。まあ仕方がないか・・・

前半は、モーツァルトのK488。結構好きな曲で、よくモーツァルトの中でも、抜き出してCDで聴いている楽曲だ。この日の演奏は、モーツァルトらしく、明るくさわやかな演奏。実に指揮者井上氏のソリストへの配慮が伝わってくる演奏だった。どちらかというと、インテンポでグングン押してくるが、聴かせどころはたっぷりと、ソリストにお任せといった感じ。ソリストの関本昌平は、アントンKは初めてだと思うが、現代風の技巧派のピアニストといった雰囲気。大変細かな音のタッチが綺麗で、それも粒が揃っていて心地よい。フォルテはもっと音量が欲しかったが、ピアニッシモは、透き通っていて美しい。アンコールも、指揮者に半ば強引に促されてショパンを披露していたが、テクニックを全面に押し出した演奏内容で、ただただ驚嘆した。今後年齢とともに、どのように音楽に深みが出てくるのかが期待される。

そして後半、ブルックナーの第7交響曲。かつて井上氏は、新日本フィルでこの第7を録音している。およそそれから十数年の時間が経ち、どんな変化が現れたかが個人的な聴きどころだったが、基本的な解釈はさほど変わっていなかったように思う。ノヴァーク版とはっきり謳っているにも関わらず、あえて逆らって部分的にハース版のように演奏するスタイルは相変わらず見られ、やはり井上氏の拘りが大いに感じられた。版による相違は、アダージョ楽章の打楽器の追加が一番大きいところだが、各楽章の表情記号が細かいところで変化している。この日、井上氏は、アダージョのクライマックスでは、打楽器を強烈に叩かせていたが、フィナーレの表情付けや、第1、第4のコーダでの演奏は、明らかにハース版仕様になっていた。アントンKも、このコーダの解釈は大賛成であり、音楽が小さくせせこましく成らないのが良い。どんどん音楽が大きく膨れ上がっていく過程が長く、第1楽章のコーダでは、弦楽器が管楽器に負けることなく主張していたのが印象的。井上氏の解釈は、全体にじっくりと進めていくので、音楽の間というものが強調され、効果的に伝わったと思っている。特にアダージョのクライマックスに入る前の(譜面記号R)フェルマータの強調。ここは特に効いていた。全体にオケの鳴りが悪いかなと思っていたが、フィナーレの第3主題あたりから、その不安も吹き飛び安堵したが、かつて何度も何度も聴いた朝比奈の第7とは、同じ大フィルと言えどもかなり変わってしまったという印象はぬぐえない。時代とともに、世の中とともに、演奏内容もそしてオケも変わる。当たり前のことなのだが、どことなく寂しさをもってホールを後にした。

第2回 大ブルックナー展

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488

ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調(ノヴァーク版)

井上道義 指揮

大阪フィルハーモニー交響楽団

ピアノ:関本昌平

 

兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

 


ベーム vs カラヤン

2015-06-10 16:00:00 | 音楽/芸術

アントンKがクラシック音楽を聴くようになったきかけ・・

親父の影響だ。若い頃からクラシック音楽を楽しみ、LPレコードを収集していた親父。そんな環境だから、この手の音楽は、気軽に自宅で聴くことができたという訳。その点では恵まれていたかもしれない。アントンKが音楽を聴き始めたころ、登竜門のようにムソルグスキーの「はげ山の一夜」に始まり、モーツァルトのジュピター、シューベルトの未完成、ベートーヴェンの運命、田園と聴くようになり、自宅にあったレコードは、カラヤン/ベルリンフィルであった。何の疑いもなく、カラヤンの演奏を何回も何回も聴いたもの。それはそれで素晴らしいと感じていたと思う。何の予備知識もなく、こういうメロディでこんな曲という認識はでき、さらにブラームスやチャイコフスキーへと向かって行った。決して親父はカラヤン好きということではないと思うが、昭和40年後半から50年代にかけては、この業界はカラヤン中心に回っていたのではないか、と思えるくらいの勢いがあったのだろう。

そんなある日、友人からベーム/ウィーン・フィルのレコードを薦められて聴いてみたことがある。ベームと言えば、これまた当時カラヤンと双璧を成す巨匠であり、日本でも大変な人気者であった。そのベーム指揮するところの、ブルックナーの「ロマンティック」を聴いて唖然としてしまったのだ。これほどまでに楽曲が違って聴こえるのか、初体験と言ってもいい状態だった。それまでは、自宅にあったカラヤン指揮するところの「ロマンティック」を聴きこんでいた訳だが、このベーム盤を聴いて初めてこの曲の意味のようなものが分かった気がした。ウィーン・フィルのオーボエの素朴な音色や、フルートの愛らしさ、そして何と言ってもウィンナホルンの雄弁さに衝撃を受けたのだ。第1楽章の中間部ですでに涙が止まらななったことを今でも覚えている。と同時に、今まで聴いて来たカラヤン盤は、いったい?と情けない気持ちにもなった。つまり、アントンKは、今まで楽曲を味わっていたのではなく、どちらかというと、カラヤンを聴いていたということになるのか。これは当時大変ショッキングな事件だった。

画像は、そんな思い出があるベームの「ロマンティック」のLPのジャケット。撮影したものは後にCDで復刻されたものからだが、いずれも特徴あるジェスチャーでオケを促すベームの横顔。そんな想いもあり大好きなジャケットの1枚だ。

 


人間国宝 小三治の至芸

2015-06-07 18:00:00 | 音楽/芸術

先日、柳家小三治の独演会に行く機会があり、平日にも関わらず出向いてきた。

小三治と言えば、この度人間国宝となり益々注目され外せない落語家の一人となった。今までにも何度か独演会には行く機会があり、独特の語りには参ってしまうのであるが、今回も毎度のことながら大変楽しめた公演となった。

多種多様の落語家たちの中で、この小三治という落語家は地味な方かもしれない。メディアにあまり出ることもないようだし、また自分の独演会などの情報もつかみ難いのが現状だ。あまり宣伝を入れないように感じている。それでも毎回客席は満員で、チケットの入手は難しい。知る人ぞ知るといった落語家さんなのだろう。

お茶の入った湯呑みを自分の座る座布団の脇に置き、すすりながら喋る独特な語りは、どう言ったらいいのだろう、間を持つことで、客席の方が、その仕草一つ一つが釘ずけになるといった感じか。とにかく目が離せないのだ。舞台袖から現れた時から、前座さんとは違う雰囲気で、光を放ち、会場の空気が変わるのがわかるのだ。やはり同じ芸を長年続けてきた達人というか、人の器が違うのだろう。少しでも同じ会場で話芸に触れていたいと思わせる何かがある。それは、ある程度の年齢を重ね、そして自分の仕事を熟知して、それでもなお先へ進もうとする大きな力、気のようなものを感じとることができた。末長い活躍を願い、また出来ることなら足を運びたい。

2015-06-02   柳家小三治 独演会   習志野文化ホール

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